20110218 to 0308 South East Asia

期間は2011年2月18日から3月8日まで、干場悟さんとマレーシアとタイを旅行したネパールに行くまでの19日間の写真記録である。

20110218Taipei to Kualalumpur

20110218 台北(17:07)→クアランプール(22:05)
クアランプールに行くための台北の桃園飛行場では「環保・希望・未来」展や中国の名画「清明上河図」を見た。飛行場はトイレも清潔で、亜熱帯的な花を飾っていた。台湾で4日間を過ごした後、台北からクアランプール空港に到着し、飛行機から入国審査場までは駐機エリア内を歩かされた。空港のトイレは清潔だが、日本的な便座で、洗浄用の水道ホースがあるのを見て、ネパールを思い出した。入国手続きをすますと、干場悟さんが迎えにきてくれていて、夜空に浮かぶ油ヤシのプランテーションを眺めているうちに、ウダツのある長屋建物の街中のホテルに宿をとった。

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20110219Kualalumpur to Malacca

20110219 クアランプール(14:30)→マラッカ(18:10) クアランプールでは午前中、マスジット寺院に行くも、宗教儀礼のためか、黒いガウンを着せられた。ヒンズー教国家のインドのオールド・デリーにも同名の回教大寺院があるがそのようなことはなかったので、回教国家のマレーシアでは宗教的な戒律が厳しいのであろうか。その後、ゆったりとしたスペースのある図書館や人文社会部門中心の博物館を見学し、午後はバスでマラッカに向かった。途中は、赤土が広がる油ヤシ・プランテーション地帯上空に、熱帯特有の発達した黒い積雲からのスコールに見舞われるも、ピンク色の建物の多いマラッカに着くころには天気は回復した。マラッカには、日本的な100円ショップのダイソーや回転寿司店もあるが、例によって、干場さん流の現地式の露店で夕食をとった。

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20110220Malacca01

20110220 マラッカ滞在
世界遺産都市のマラッカには帆船の博物館や、高床式のマレー式建物などの建築博物館、さらに太平洋戦争当時の日本軍侵攻を示す歴史博物館などの各種博物館がたくさんあり、あたかも街全体が博物館のようだ。街中の丘に登ると、マラッカ海峡を頻繁に通る貨物船を望見することができる。

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20110221Malacca02

20110220 マラッカ滞在
世界遺産都市のマラッカには帆船の博物館や、高床式のマレー式建物などの建築博物館、さらに太平洋戦争当時の日本軍侵攻を示す歴史博物館などの各種博物館がたくさんあり、あたかも街全体が博物館のようだ。街中の丘に登ると、マラッカ海峡を頻繁に通る貨物船を望見することができる。

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20110222Malaccka03

20110222 マラッカ滞在
早朝の丘の上からマラッカ海峡を展望し、オランダ人墓地を見学した。かなりの墓が破壊されており、民族対立の歴史を感じるのだった。朝の市場には、野菜・果物・肉・野菜などが豊富で、活気がある。マラッカにはジャスコやイオンのスーパーがあり、日本風の買い物や食事をすることができるとともに、チェックリスト方式を採用した日本的な清掃システムを採用した快適なトイレで用を足すこともできた。

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20110223Malaccka to Penang

20110223 マラッカ(10:40)→ペナン(18:00)
マラッカからバスでペナンに向かった。道中には広大な熱帯林とそれを切り開いた油ヤシ・プランテーションや石灰岩などの鉱山地帯が分布する。クアランプールは通過して、ブッターワースの渡し場からフェリーで、ペナン入りした。ペナンにもネパール人の出稼ぎが多いとみえ、彼らのたまり場のレストランでネパール語の会話を楽しみながら、食事をすることができた

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20110224Penang

20110224 ペナン滞在
早朝の散歩時に、路上で寝る人々やゴミ収集車、中国風寺院を見た後、ペナン・ナショナル・パークに向かった。ペナン・ナショナル・パークには、熱帯林の林冠を見学できる空中回廊があり、フタバガキ科(Shorea)の高木の森を身近に感じることができた。夜食は屋台で美味しいワンタンを楽しんだ。

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20110225Penang to Hadyai

20110225 ペナン(16:35)→ハジャイ(20:00)
マレーシアからタイに向かう日の早朝、魚・肉・野菜市場、回教・ヒンズー教・儒教各寺院をめぐった後、夜行列車に乗るために、フェリー乗り場に向かった。フェリーには、水洗トイレ(旧日本的座り便座)がある。列車からは、マレーシア農村地帯の夕暮れの油ヤシやヤシなどの林を眺め、2段式ベッドの夜汽車で休んだ。

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20110226Hadyai to Bangkok

20110226 ハジャイ→バンコック(12:40)
早朝の薄明の水田・養魚場がある水郷地帯に、ヤシ林とネパール的な株状の竹が車窓を流れる。バンコックは大都市であるが、バンコックの裏口にあたる線路わきのスラム街やピンクのトヨタ・タクシーや三輪自動車などがひしめく駅前の風景は、バンコック空港から街中に入っていくときの近代的な感じとは違って、もしリキシャが走っていれば、オールド・デリー同様の大いなる田舎の感がある。この見方からすれば、東南・南アジアでは、クアランプールは大都市で、バンコックは大きな・カトマンズは小さな田舎都市に例えられるであろうか。車中のトイレは、50年ほど前の日本のものにそっくりだった。

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20110227Bangkok

20110227 バンコック滞在
バンコックでは観光船に乗り、巨大なワット・アレン(暁)の仏教寺院巡りなどを行った。街には紀伊国屋書店もあり、「日本語が滅びるとき(英語の世紀の中で)、水村美苗著」という本が目に飛びこんできた。本の中身は読んでいないのだが、はたして、「日本語が滅びる」とは本当だろうか。バンコックは水産物も豊富でスルメなどの各種の魚介物には食指が動いた。

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20110228Bangkok to Kanchanaburi

20110228 バンコック(11:20)→カンチャナプリ(13:30)
映画「戦場にかける橋」のクワイ川の橋があるカンチャナプリに向かった。戦争中のタイメン鉄道のクワイ橋は(カンチャナプリの第二次世界戦争博物館でも見られるが)木製だったが、現在のはコンクリート製で昔の面影はなかったが、透明度50㎝以下のクワイ川の岸にはスイレンやホテイアオイ・ヒロバナエビモが繁茂し、富栄養化がかなり進行していることを示していた。

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20110301Kanchanaburi to Ayuttaya

20110301 カンチャナプリ(09:50)→アユタヤ(14:30)
ゆったりとした川面にピンクのスイレンが浮かび、その中をオオトカゲが泳いでいた。住民が通りを掃除する道路沿いの民家玄関にはランの花が飾ってあり、中国風の墓地がある。午前中のバスでカンチャナプリを出て、古都、アユタヤに向かう。タイの穀倉地帯を走り抜けて、古そうなレンガ作りの遺跡が散見するアユタヤには午後着いた

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20110302Ayuttaya

20110302 アユタヤ滞在
アユタヤの朝市には肉や野菜・果物などが豊富であるとともに、ハスの花飾りなども盛りだくさんで見ていても楽しい。広大な遺跡群は、その大部分が14~16世紀のビルマの侵攻による破壊活動の結果とのことである。周辺住民は遺跡群とともに暮らしているようだ

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20110303Ayuttaya to BKK to P kirikhan

20110303 アユタヤ(09:45)→バンコック(11:20着、13:00発)→キリカン(20:35)
アユタヤの朝市を再び見学した。豚の顔そのままを展示する肉屋や野菜・花屋がところ狭しと並び、僧侶が托鉢し、盲目の人が歌う。バンコックの周辺線路沿いの大規模な落書きとゴミの不法投棄は目に余る。マレー半島の広大な穀倉地帯を国境のスガイコロクに向けて、夜行列車は走った。車中のトイレは、かつての日本式だが、違うのは金属製の便器の縁に両足を乗せるタイプだった。

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20110304P kirikhan to Border to Kota Baru

20110304 キリカン→タイ・マレーシア国境 (07:40)→コタバル(12:37)
ヤシの並木が点在する夜明けの穀倉地帯からゴムの木の林は現れ、国境のスガイコロクが近くなると、ものものしい銃器を肩にかけた軍人が乗り込んできて、点検が始まった。この地域は反政府ゲリラ活動が盛んとのことだ。スガイコロクでは歩いて国境を越え、マレーシア側の国境の町、コタバルに達した

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20110305Kota Baru

20110305 コタバル滞在
例によって、朝市を見学した。マレーシアは回教国だから、肉屋にはブタ肉がない。ニワトリやヤギなどの肉屋の他には各種の魚、干し魚があるとともに、野菜は豊富で、ヘチマを売っているのを見ると、沖縄やネパールとの共通性を感じた。また、氷屋が大きな氷塊を運んでいる風景は、かつての日本そのものであった。戦争中のコタバルは東南アジア侵攻の日本軍上陸地点で、占領後、銀行の建物が憲兵隊(Kempetaiと表示されいる)本部になったとのことで、タイのクワイ川の鉄橋とともに、東南アジア各地では戦争中の日本軍の傷跡を見ることができる。指先で円盤をはじく玉突きのようなゲームはネパールや彦根の遊び(カムロ)と共通している

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20110306Kota Baru to Penang

20110306 コタバル(10:00)→ペナン(17:22)
ペナンからの飛行機でネパールに行くために、コタバルをバスで発ち、ペナンに向かった。バス道路沿いの木性シダの林はネパールや沖縄と共通の植生である。クアランプールへの中間地点付近の人造湖を過ぎ、クアランプール近く来ると、油ヤシの広大なプランテーションが分布する。ブッターワースで連絡船に乗り、夕方ペナン着。夕食は例の屋台のワンタンで舌鼓を打つ。

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20110307Penang

20110307 ペナン滞在
今回の東南アジア旅行最後の日の早朝散歩で地球一周途中のバイクに出会い、3年かけて地球一周した若き日の学生時代を偲んだ。その後、民族博物館を見学するとともに、チベットのポタラ宮を思わすような丘の上に建つ巨大な仏教寺院、極楽寺を見学した。コンビニの清涼飲料水には日本のヤクルトもある

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20110308Penang to Kathmandu

20110308 ペナン(08:08)→バンコック(08:35着、11:03発)→カトマンズ(15:00)
雨のペナンを発ち、バンコックに向かった。雲間にマレーシアの湖や曲流する泥色の河川が見られた。バンコックからカトマンズまでも雲が多かったが、雲の下にヒマラヤの雪山が顔をのぞかせていた。カトマンズ空港ではお世話になる仕事帰りのハクパ・ギャルブさんに偶然お目にかかり、いつものような渋滞の中を、ハクパ・ギャルブさんの郊外の自宅に着き、今回の東南アジア旅行を終えた。

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