ヒマラヤ・フィールド報告-セティ川洪水とマディ川氷河湖決壊洪水の原因-
5月26日(前回)の調査報告で「上流域の融雪水に加えて、氷河からの溶け水および調査期間中の夕方から夜にかけて経験した雹をともなう豪雨が、石灰質堆積物を押し流したことが、泥流を長期間発生させた要因になったのではないか、と考えている。セティ川上流域特有の石灰質に富む地質・地形条件に、温暖化とも関係する可能性のある降雨・融雪現象が相まって、泥物質を流出し続ける洪水を長期間継続させることは今後とも留意する必要がある」と述べたが、セティ川洪水の特徴は、洪水発生後10日間あまり、大量の泥水が流出したことにあるのでそのことを念頭において考察してみたい。
まず、セティ川最上流域には、かつてのポカラの谷を埋めた洪水堆積物の残存物と思われるバッドランド地形(写真;マチャプチャリ峰の東方の粘土堆積物から構成されるバットランド地形の上面を黒褐色のモレーンと地滑り地形が覆う)が衛星画像や地図に表されているが、ポカラのプリチブ・ナラヤン・キャンパス地理学教室の方が撮影したヘリコプターによる空撮画像をつぶさに検討すると、バッドランド地形の下部には水平からやや傾いた堆積層構造が読み取れる灰色の地層があり、その上部には黒褐色の地層を認めることができる(写真;アンナプルナⅣ峰西方のバッドランド地形の下部を構成する灰色の粘土層と黒褐色のモレーン堆積物がその上部を覆う)。なにせ現地はゴルジュと大滝があり踏査は困難であり、ヘリコプターで往復するようなフィールドなので、あたかも火星の画像解析のように、今のところ写真から推察するしかないが、黒褐色の地層は細粒泥質のマトリックスで一部礫岩を含むのが読みとれるのでモレーンと思われる堆積物、また堆積構造が認められる灰色の地層は細粒の粘土質で湖成堆積物と思われる。
ではなぜ、セティ川洪水の当初、泥質の洪水流(Mud Flow的洪水流)が発生したのかを考えると、NASA関連者が報告しているアンナプルナⅣ峰西方の大規模な地滑り現象はまさにバッドランド上部の黒褐色の地層部分で起こっているので、この地層を押し出すとともに、前回の調査報告で述べたように、融水や夕方から夜間の豪雨などによって、まずは上部の褐色泥質部分がより多く浸食されて流出してくれば、下流のポカラ周辺で観察された泥質の洪水流を説明できる、のではと解釈している。写真には、地滑り地形に挟まれたモレーン斜面を流れた水流の跡を認めることができる。だが、当初の泥質流は約10日ほど経つと、粘土質の濃い水流へと変化するのであったことから考えると、洪水後期には先のバッドランド地形下部の広大な粘土質部分が相対的により多く流出してきたため、と解釈できるにのではないだろうか。ポカラ洪水初期の泥質流といっても100%泥ではなく、幾分かの粘土も含むことであろうし、またその後の粘土質流といっても幾分かの泥をふくむにちがいない。
そこで、バッドランド地形中の泥の水流が池 に入ると淡青灰色のグレーシャー・ミルクに変化しているのを見ると、泥の流れが池に入ると粘土層はいったん沈殿し、いわゆるグレーシャー・ミルクになるが、流出後は再び泥の流れに変わることが読みとれるのである。この点から考えると、前回の調査報告で「セティ川は、まだまだ、かつてのグレーシャー・ミルクといわれる清涼な流れには戻っていない」と述べたが、池に入ってくる泥質流の粘土成分が沈殿しやすいことは、流れが穏やかになれば、いわゆるグレーシャー・ミルクに戻ることを示すので、現在のところいまだ粘土質の濃いセティ川であっても、やがてはかつての流況に戻ると思われる。
ただ、矢吹裕伯氏が「画像で河川の周りの被覆が以前と変わっているところを追っていくと、セティ川の洪水の源となった地域(写真;左側が4月29日、右側が5月6日のランドサット画像で、中央部のセティ川本流の東側の支流の谷の地形編が大きいとのこと。なお、両画像中央部のセティ川本流に接する右岸の白濁部がICIMODのSamjwal Bajracharya氏が考えている本流を堰きとめた地滑りだとのこと)の右上あたりかな?とも思われます」と指摘しているが、上記地滑り地域の南側の支谷の地形変化の影響がどのようなものかは今後の課題である。さらに、前回の調査報告で述べたように、この洪水の原因としてあげられている雪崩(資料2)や堰き止め湖の崩壊(資料3)、さらにGLOF(資料4))などは、今回の洪水を特徴づける洪水初期の泥質流の発生、およびその後の粘土質流への変化を説明するには十分ではないのではないか、ということは改めて指摘しておきたい。