回想録

追悼 米道裕彌さん

  サンヤへ

君をサンヤと呼ぶほど、僕は君のことをよく知らなかったと思う。なにせ、卒業以来半世紀も会っていないのだから、昨年の9月はじめ、日高山脈の札内川で亡くなった友人たちの追悼会で我々が再会した時(写真1)、お互いを認識するのに、かなりの時間がかかったほどだった。無理もないことだ。君の歯はほとんどなかったし、僕はといえば、ハゲ頭なのだから。

写真1 札内川追悼集会後、幸福駅でのスナップ(左から古川、米道、石本、藤野、佐々木各同期生)

だが君のことは、登山とともに農業に精を出している元気な古川から聞いてはいた。「スキー選手の娘さんを育てている彼は、マラソンもトライアスロンも、俺より上手だ」。われわれ仲間でも飛び抜けて元気な古川が認める君ことだから、心臓病の僕よりも長生きするのは間違いない、と思っていたのだが。その君が僕よりも先に逝くとは、どうしたことか。その古川がメイルで知らせてくれた。「遭難したのかと思ったら,サウナで倒れていたとのこと。なんとも信じられない。よく山に行った仲です。新年にも空沼小屋に行こうと言っていたのに。」

僕は来春もカトマンズ大学で講義をするので、その際、ヒマラヤの神々の座がよく見える丘に奉った亡き瀬戸純の石碑(写真2)に君のことを伝えてこよう。「サンヤが君のところへいった、ヨ」、と。そうか、べらんめい調の懐かしいサンヤ節はもう聞くことができない、のか!だが、北海道大学山岳部同期の瀬戸とサンヤはともに東京出身の下町言葉を操るので、泉下では、いわゆるべらんめい調のサンヤ節でお互いに騒がしくしていることであろうと想像するのは、やがて彼らに合流する同期の僕ひとりではあるまい。合掌!
(2016年12月23日、通夜の朝記す)

写真2 マナスル峰が望まれる瀬戸純の分骨場での高橋先輩(左)と同期の石本(挿入写真は左下がケルンと左上が石碑)

補遺

友人からのメイルでは、米道は「風呂場で倒れ亡くなった」(藤野)のか「サウナで倒れていた」(古川)とのことだが、いずれにしても、”ヒートショック”*が影響をおよぼした、と解釈できよう。そこで、藤野は「最近、小職の周辺では、箕岡さん(S31年入部)、数日前に北大工学部卒の2年先輩のテニス仲間、そした米道君と3名の方々が風呂場で亡くなっております。お互いに気をつけましよう!!」、また古川は「ということは、何時でも誰でも、ということのようです。水分補給だけは毎日気をつけましょう」と指摘してくれている。そこで、ヒートショックを和らげるために、風呂に入る前に筋トレで体を温めることに加えて、20年ほど前に狭心症になったのは、午前3時頃の深夜の血液が濃くなる時だったので、寝る前の血圧降下剤をのむ時には、十分に水を取ることにする。

*”ヒートショック”
・平幹二朗さんにみる理想の「逝き様」
2016年12月17日 石蔵文信 / 大阪樟蔭女子大学教授
http://mainichi.jp/premier/health/articles/20161216/med/00m/010/007000c?fm=mnm
・冬のお風呂場、ヒートショック注意 温度差なくして予防
浅野真
2016年12月21日06時51分
http://www.asahi.com/articles/ASJD56RWLJD5UTFL00R.html?iref=comtop_8_06