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5 おわりに

 内陸アジアのグレート・ヒマラヤなどの各地域の陸化とひき続く上昇は,南極に氷床が形成された新生代後期のいわゆる氷河時代のはじまりと同時性をもった現象である。新生代後期から現在へといたる地形変化と気候変化にかかわる自然現象の変遷は,現在の地球の姿に大きな影響を与えており,地球の歴史のなかでも重要なできごとと位置づけることができる。内陸アジアの自然現象の変動も,グローバルな地形・気候システムがつくり出す自然史と深くかかわっているとともに,そこに同時に地形変化と気候変化が地球上でもとくに著しかった内陸アジア特有の自然史が見い出せるのではないか,と思われる。
内陸アジアには,グレート・ヒマラヤ,トランス・ヒマラヤ,クンルンやテンシャンなどの上昇してきた大山脈とともに,タクラマカンなどの沈降する沙漠的大盆地が共存している(図1)。チベット高原などの内陸アジアの上昇してきた地形は,ついには対流圏上部までつき出し,大気大循環に大きな影響を与えるまでになった。このことは,同じ内陸アジアであっても,それぞれの地域特有の地形発達の歴史がみられることを示し,それとともに気候条件が変化し,地域性をもった自然史が形成されてきた,と解釈できる。
成都からラサまでの飛行機から観察されたように,ほぼ同高度をもつチベット高原南部の氷河現象の発達程度には,明らかな地域性が認められたのである。現在の氷河が大規模に分布する地域と氷河の発達規模が小さい地域およびその分布がみられない地域が,チベット高原東南部の大規模な横断山脈と河川系の地形構造に沿って,北西から南東方向にいくつかの帯状に分布している。成都からラサ間の約1,500㎞のあいだで氷河が大規模に発達しているのは,怒江から工布江〓(シンニュウに大)までの東西幅約150㎞のニイエンチェン・タンラの地域である。この山域の南部には,チベット高原で最長の33㎞のカチン氷河や末端高度が森林帯にあたる2,400mのアザ氷河などがあり(Shi et al.,1978),これは末端高度が約5,000mで長さが20㎞の東ネパールのクンブ氷河などの中部ヒマラヤ地域の氷河にくらべると,東部ヒマラヤに属するニイエンチェン・タンラの氷河は,はるかに大規模で低位置にまで発達している。
ニイエンチェン・タンラのほかはミニヤ・コンカ峰北の大雪山地と全沙江左岸の白玉付近の山地にもわずかながら氷河がみられたが,小規模なものであった。これらは発達過程にある氷河というよりは,気候条件の変化によって氷河は衰退しつつあり,氷河現象にかわって岩石氷河などの周氷河現象が現れる地域となっている。成都~ラサ間のその他の地域には,現在の氷河がみられなかった。ニイエンチェン・タンラ山地のように発達しつつあると考えられる氷河地域では,少くとも同高度・同方向の地形面は相似た気候条件をもつと考えられるので,連続した氷河分布がみられるのであるが,大雪山地などの衰退過程にあると考えられる氷河地域では,もともとの氷体量や氷河表面のデブリの与える熱的な性質などの違いのために氷河の融けのこり方が異なってくるので,気候条件が同一の地形にあっても,すでに氷河がとけ去ったところとわずかながらも依然として残っているところといった分布上の不規則性がみられるようになった,と解釈できる。大雪山地や金沙江左岸の山地では,氷河の各現象が水平・垂直的に連続するニイエシチェン・タンラとは異なり,氷河が不規則に分布し,積雪・雪渓から連続した関係をもつ氷河現象がみられない。このことは,地形的雪線(または平衡線高度)が氷河の分布高度よりもさらに高くなってしまったことに,その原因が求められるであろう。このことはまた同様に,ツァンポー河沿いの不規則な分布をとる砂丘についてもいえるであろう。これらの砂丘はとても発達しつつあるものとは考えられないのである。現在,対象とする自然現象が発達しつつあるのか,それとも衰退に向っているのかということをみきわめるのはむずかしいことであるが,各地域の自然現象の現在の分布特性にみられる水平的構造や垂直的構造を総合することによって,長期間にわたる自然現象の変動傾向を見定めることはフィールド・ナチュラリストにとって必要なことであろう。われわれのもっている観測資料の示す短期間の変動傾向が,自然現象の長期間にわたる変動傾向のなかで,どのような意味あいをもっているかを考えておくべきであるように思われる。
チベット高原南部地域内にあっても,氷河の発達する地域と氷河のみられない地域が共存することは,同じ夏のモンスーンによって涵養される氷河地域であっても同時性をもった氷河の発達地域が空間的に局在化していることを示す。このことはとりもなおさず,形成の歴史を異にする山脈と河川系によって著しい地形的地域特性が形成されてきたチベット高原にあっては,氷河形成にかかわる気候条件も地域ごとに異なってきたために,広大なチベット高原の氷河現象には空間的・時間的特性が現れていると思われる。
チベット高原の氷期に関して,南京大学のWang先生たちは更新世前期に1回,中期に2回,後期に1回の4氷期があったと報告してるのに対し,蘭州氷河凍土研究所のZheng 先生たちは更新世前期,中期,後期にそれぞれ1回の3氷期があり,最終氷期は2亜氷期に区分できるとしている。チベット高原の氷河期の年代測定結果はまだでていないので,各研究者によって氷河堆積物の形成時期の解釈が異なっていることを示している。また4氷期説が報告されているカラコルムや西部ヒマラヤは冬の降雪によって涵養される大規模な氷河群が分布しており(図1),主として夏の降雪によって涵養される中部~東部ヒマラヤの氷河拡大期の回数(2~3氷期)と異なっていることが報告されていることは,チベット高原の全域にわたって必ずしも同時的に氷河拡大がおこったと考える必要はないことを示す(伏見, 1980)。いずれにしても,グレート・ヒマラヤの東と西の両地域で大氷河群が発達しており,夏または冬の雪によるそれぞれ異なった涵養の仕方と氷河の歴史を示しているようだ。極端なことをいうと,現在が間氷期であるかどうかは,依然として巨大な南極氷床の存在やその歴史を考えると議論のあるところであると思われるのであるが,たとえ現在が間氷期であっても,気温の上昇割合にくらべて降水量が著しく増大すれば氷河の拡大があってもよいのである。どうも,トランス・ヒマラヤ東部のニイエンチェン・タンラの低位置にまでのびてきている大規模な氷河は,そういったタイプの氷河であるように思われるのである。そのなかでネパール・ヒマラヤの氷河は,ヒマラヤ山脈とチベット高原の上昇につれてモンスーン気候が成立すると,ある段階までは従来の冬の降雪に新たな夏の降雪が加わることによって氷河の涵養・形成にとって有利に作用し,氷河が拡大したが,ヒマラヤ山脈の高度が現在のように著しく高くなると,冬も夏も降雪の源である水蒸気の供給ルートを遮断するようになるので,ネパール・ヒマラヤの氷河は他地域とは異なり,衰退に向かい続けているのではないか,と解釈できる。
以上にのべてきた氷河現象にみられるように,ヒマラヤなどを含む広大なチベット高原には多様な地域性をもった自然現象がみられ,それぞれの地域性をもった自然現象は,チベット高原を中心とする上昇の過程で,それぞれ異なった地形・気候環境の歴史をつくりだしてきた,といえるだろう。近年の中国人研究者によるチベット高原の研究には,目をみはるものが多くあり,蘭州氷河凍土研究所長のShi Yafen先生が文化大革命以前から育ててきた中国人研究者の成果をぬきにしてはチベット高原などの内陸アジアの自然を語ることができない。ここで紹介してきたように,そのなかにも実に多岐にわたる考え方を認めることができるのは,とりもなおさずヒマラヤ,チベット高原などの内陸アジアの自然史には地域的特長が認められることを示すともいえよう。この地域性をもった多様な自然現象を統一的につかむためには,内陸アジアの上昇とともに変化してきた各地域の自然現象を正確な時間軸と空間軸におきかえて,それぞれを比較し,さらに汎地球的な自然史との関連を明らかにすることが重要である。

引用文献
Fushimi, H. (1978) Glaciations of the Khumbu Himal, East Nepal. Seppyou, 40 Special Issue, 71-77.
伏見碩二(1980)内陸アジアの氷河群-氷河現象の地域性と歴史性について-.月刊地球, 2-3, 201-210.
Fushimi, H., Ikegami, K., Higuchi, K. and Shankar, K. (1985) Nepal case study: catastrophic flood. Techniques for prediction of runoff from glacierized areas, Int. Assoc. of Hydro. Sci., 149, 125-130.
郭旭東 (1974) 中国西蔵南部珠〓(ノギヘンに白の下にタ?)朗〓(王ヘンに馬)峰地区第四紀気候的変遷. 地質科学, 第1期, 59-80.
Oppitz, M. (1974) Myths and Facts, reconsidering some data concerning the clan history of Sherpas, Kailash, Journal of the Himalayan Studies, Ⅱ, 1/2, 121-131.
Shi, Y. Hsieh, T. and Cheng, P. (1978) Distributions, features and variations of glaciers in China. World Glacier Inventory, Zurich, 51-56.

追記
1970年代は名古屋大学水圏科学研究所に在籍し,ヒマラヤ研究中心だったぼくが,1982年に滋賀県琵琶湖研究所へ移り,その後2007年まで所属は滋賀県立大学環境科学部に変わったとはいえ,ぼくの仕事は琵琶湖中心の水資源環境課題(Issue)だったので,チベットやヒマラヤのことに十分な時間をさくことができなかった。だから,1987年の西コンロンの氷河調査の後,ラサを経由して蘭州まで,チベット高原を西から東へジープで横断旅行した(図1の赤線ルート)内容のほうが,チベット紀行にふさわしいかもしれないが,なにせ膨大な資料はほとんど眠ったままの状態なので,なんともいたしかたない。
ただ,この紀行文の冒頭に書いているように,1980年は健在だった中国の実力者・鄧小平さんの音頭とりで中国が外国人研究者にチベットを開放したエポック・メーキングな年で,現在のチベット研究の出発点にもなった時期なので,約30年前の当時をしのぶ紀行記録としての価値はいくぶんはあるのではなかろうか。最後に,読者にとってもそれぞれの興味をチベットに見いだしていただけたら望外の喜びである。
これは月刊地球(1980年2巻10号707-726頁)に掲載された報告(内陸アジアの自然-青蔵高原科学討論会の報告とチベット高原の見学旅行-)のテーチス年報への改定転載文である。旅行記は月刊地球にふさわしくないのではと当時よく言われたが,ぼくとしては単なる物見遊山の紀行文ではなく,やがていくつかの論文を生み出すサイエンティフィック・リポートのつもりで,初めて行くことができたチベットのフィールド・ワークをまとめたのであった。だから,月刊地球の題が「内陸アジアの自然」であり,テーチス年報の副題が「氷河現象からみたトランス・ヒマラヤからグレート・ヒマラヤの自然」と銘うっている。「紀行文」を期待しているむきにははじめにお断りしなければならないが,当初の原典からかなりの引用文献などの学術用語的な硬い表現を省き,写真と地図を加えたとはいえ,副題の氷河現象が中心なので読みにくいのはご容赦いただくとともに,正確な出典などを望む方は原典に当たっていただくことをお願いする。なお、本文は2011年に発行されたテーチス紀行集編集委員会編「テーチス海に漂う青い雲(若きフィールドワーカーたちの見聞録)発行いりす」に採録された。