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4.これまでのヒマラヤの概念

Picture  われわれが心にいだいているヒマラヤの概念、あるいはヒマラヤ観とはいったい何であろうか。

  ネパールの丘陵地に住む人たちはヒマラヤの山々を一般にヒマールと呼んでいる。インドのウッタル・プラデェシュ州の人たちはヒマチャールと呼ぶし、また地域によってはヒマレーともいうとのことである。ヒマラヤの山々を指してふもとの人たちがカイラッシュと呼んでいるのが、ネパールなどで聞かれる。これはヒマラヤの山々とヒンドゥー教のシヴァなどの神々とを同一視していることのあらわれであろう。いわゆる“神々の座”といわれるゆえんである。ヒマラヤの神々の姿に接すると露が朝日とともに消えてゆくがごとく、人々の罪もまた消えると語られている。
ヒマラヤ、すなわち“雪の住居”はもともと南方のインド側からの見方であり、ガンジス河水源地帯の山岳地帯を示している。そうするとインドのウッタル・プラデェシュ州やネパールとシッキムということになり、私たちが心にいだいているヒマラヤの地域範囲よりも小さくなってしまう。なぜならば西方ではカシミールなどのパンジャブ地域に行っても、また東方ではブータンやアッサムの山岳地域に行っても、さらに北方ではいわゆるヒマラヤの神々の座の北面に行っても、私たちはそこに“ヒマラヤ的”な“雪の住居”を感じるであろうからである。“ヒマラヤ的”とはどんなことを指し、そしてヒマラヤ地域の範囲をどのあたりに考えたらよいであろうか。

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チベット高原周辺図

 山登りからのヒマラヤ  
   インド側量局の長官を勤めたサー・シドニー・バッラードは、ヒマラヤを東西にパンジャブ、クマウン、ネパール、アッサムの四地域に区分した(文献6)。彼の示したヒマラヤ地域の範囲と地域区分が、その後の研究者の基本となる。  マルセル・クルツは北極点と南極点に加えて、地球上の“第三の極地”とういう概念を示し、彼はこれを世界最高峰のチョモランマ(これがもともとの現地名であり、約100年前にエベレスト、そして約25年前からネパールでサガルマータと呼ばれるようになった)に等しいものとして用いた。ディーレンフルトはこれを拡張し、いわゆるヒマラヤ山脈とカラコルム山脈の八千メートル峰のすべてに対して用いている(文献7)。
メイスンもまたヒマラヤとして従来のカラコルム山脈とヒマラヤ山脈とを扱い、彼の地域区分は登山家によく利用されている(文献8)。それによると西からカラコルム、パンジャブ、クマウン(現在ではガルワルと呼ばれる場合が多い)、ネパール(カルナリ、ガンダキ、コシ地区に細区分されている)、シッキム、アッサムと区分されている(図1)。彼の地域区分は河川系に対応しており、また国境線とも一致している場合があるので、地理的、政治的区分といえよう。だから、登山のときなどのアプローチを考えると、この地域区分は便利なものである。しかしシッキム・ヒマラヤは地域の占める面積が小さく、他の地域区分と対等に比較されうるものかは問題があるだろう。メイスンは「巡礼者はヒマチャールの最も神聖な祭壇にむかって路をしるしたのだった。そこではガンジス川が蓮の花のか細い糸のようにヴイシュヌの足から流れおちている」と述べている(文献8)。
深田はヒマラヤの範囲をさらに広くとり、ヒンズー・クシュ、パミール、コンロン、シナ・トルキスタン、チベットや北部ビルマなどの内陸アジアの高峰のすべてを網羅している。そして、彼は「ヒマラヤは東に近づくほど樹木が繁茂し、山容もアルプス的な尖峰が少なくなり、ドッシリと大きい東洋風になる。ブータン、アッサムには日本人好みの山が多い」と述べてる(文献9)。
これらのヒマラヤ地域の範囲の設定とその地域区分は、どちらかというと山登りからのヒマラヤ観に基づいているといえよう。サー・シドニー・バッラードからディーレンフルト、メイスン、そして深田へとヒマラヤの地理的概念が拡大されてきている。
文字どおりの“雪の住居”は地球上いたるところに見られるのだから、ヒマラヤとは単なる“雪の住居”として定義できるものではない。やはりヒマラヤとは“ヒマラヤ的”な“雪の住居”でなければならない。この“ヒマラヤ的”という言葉の第一義的な意味は、山登りからのヒマラヤ観に見られるように、まずもって地球上での最高峰を含む山脈である、という点に求められる。
地球上でも7000メートルを超える山々は内陸アジアにしかない(アンデスのアコンカグア峰が7000メートルを超えるとする場合もあるが、一般には6000メートル台とされている)、また、8000メートルを超える山々はヒマラヤ山脈とカラコルム山脈しかない。しかし、7000メートルや8000メートルを超える山々ということには、はたして自然科学の分野から見て本質的な意味があるのだろうか。次に自然科学分野からのヒマラヤ観を見てみよう。

自然科学からのヒマラヤ
  地質学者のガンサーは古生代(五・七億年~二億3000万年前)より前の時代の基盤岩の上に古生代と中生代(二億3000万年~7000万年)の褶曲山脈が世界でも有数の高峰となっている地域として、東はビルマのアラカン・ヨマ山脈から西はパキスタンとイランのスライマン山脈、バルチスタン山脈をヒマラヤの範囲として扱っている(文献10)。ガンサーはネパール・ヒマラヤ以西ではメイスンと同様の区分をしているが、メイスンのシッキム・ヒマラヤとアッサム・ヒマラヤの区分をシッキム・ブータン・ヒマラヤとネファ(North Eastern Frontier Agen-Cyの略、現在ではアルナチャル州と呼ばれる)・ヒマラヤとに区分している。しかし、このガンサーの区分もメイスンと同様に多分に地理的、政治的である、といえるだろう。
  地理学者のデュピュイは広義のヒマラヤの範囲として、その東限をガンサーと同様にビルマの山々としているが、その西限はイランの周縁の山々においている(文献11)。
  こうしてみるとヒマラヤ地域の南北方向の限界ははっきりとはしないが、少なくとも東西方向のヒマラヤ地域の範囲については地質学や地理学の分野から見るとビルマからイラン周縁にかけての広大な高山地帯、およびその周辺ということになる。
  ヒマラヤ地域の南北方向の区分に関してガンサーなどの地質学者は南からサブ・ヒマラヤ(シワリーク丘陵地帯)、低(ロアー)、ヒマラヤ(マハバラート山脈とミッドランド地帯)、高(ハイヤー)・ヒマラヤ(ヒマラヤ山脈)、チベッタン・ヒマラヤ(テーチス・ヒマラヤ)のように分けている。今西は、生物地理学と生態地理学の立場から亜熱帯的なインド的生物地理区と亜熱帯的な旧北区的生物地理区の中間に暖帯的なヒマラヤ的生物地理区があり、それらの生物地理区は互いに推移関係にあると述べている(文献12)。このようにヒマラヤ地域の自然現象の地域特性を考えるときには、平面的な東西方向と南北方向の差異とともに垂直方向の地形条件と気候条件とが作り出す地域特性も重要である。トロールは植生分布からヒマラヤ地域を次の七地域に区分している。①インダス・ヒマラヤ(カラコルム山脈、ヒンズー・クシュ山脈、スリナガールなどを含む)、②パンジャブ・ヒマラヤ(サトレジ河からインダス河の間)、③ガルワル・ヒマラヤ(サトレジ河からカリ・ガンダキ〈川〉付近までの間、部分的にはヒマラヤ山脈の北側のインナー・ヒマラヤまでを含む地域)、④シッキムヒマラヤ(中央ネパールからブータンまでの間、部分的にヒマラヤ山脈の北側のインナー・ヒマラヤをも含む地域)、⑤アッサム・ヒマラヤ(ブータンからブラマプトラ河までの間)、⑥ツァンポー・ヒマラヤ(ツァンポー河下流とブラマプトラ河の北東の地域)、⑦チベット・ヒマラヤ(ツァンポー河、サトレジ河とインダス河の上流地域)(注2)。
  デュピュイは、主として気候と植生の分布から、①西部ヒマラヤ(サトレジ川より西)、②中央ヒマラヤ(サトレジ川とネパールのアルン川の間)、③東部ヒマラヤ(アルン川より東)、④山岳高所帯(樹林限界よりも高所)、⑤トランス・ヒマラヤ地帯(ヒマラヤ山脈より北方)のようにヒマラヤ地域を区分し、ヒマラヤは地球上での最高の山々を包合するものとして、またずっと長い間、その活気ある魅惑的な世界を知らずにいたことへの反省の対象として、「ヒマラヤは一つのシンボルのように存在するのである」と述べている(文献11)。
  これまで述べてきたヒマラヤの定義はどちらかというとヒマラヤ山脈を南からながめた立場である。しかも、ヒマラヤ地域の東西方向の範囲についての議論は多いが、その南北方向の定義についてはあまり議論されていない。これに対してヒマラヤ山脈を北からながめるソ連や中国の研究者、あるいはスウェン・ヘディンなどのチベット探検家たちはどのようなヒマラヤ観をもっているか興味あるところである。ヘディンはチベットのツァンポー河とインダス河に沿う山脈をトランス・ヒマラヤ(カイラス山脈)と呼んだのであるが、ヒマラヤ山脈の北側のチベット内陸の山地に対して、なぜヒマラヤの名のもとに命名したのであろうか。ヒマラヤ山脈の北側に住むチベット人たちは「朝夕の陽光を食んで紅に染まるヒマラヤの峰々を蓮の花の花弁の一つ一つになぞらえる」とのことである(文献13)。  文化人類学の立場から、石井は「ヒマラヤ地域は西から東に傾いた文明化の度合いの差異がみられ、様々の国家形成の歴史を背負う人々が主に西に、逆に文明段階に達しないで近代国家に組み込まれてしまった諸民族が東の部分に分布する。前者の代表はカシミール盆地の住民カシミーリーおよびパハーリー語系の人々パハーリーであり、後者の典型はアルナチャル・プラデシュ(アッサム地方)の諸民族である。そしてその中間に文明の受容の度合いも中間的なネパール・ヒマラヤを居所とする諸民族ヒマラヤンが見られるのである」と述べている(注3)。  私たちの持つヒマラヤ観の根底にはまず世界最高の山々が広がる地域から生まれる概念があるが、そこに繰り広げられる人間をも含む生物界と自然界とが作り出す環境もまた私たちのヒマラヤ観の基盤となっているようだ。

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グルラマンダータ(ナムナニ)Ⅱ峰越しにマナサロワール湖(右)とラカス湖(左)、そして中央遥かにカイラス峰を望む。