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氷河群の時空間構造-生態学的氷河学の視点から-

   1995 年のポスト・モンスーン、ネパールはクンブ地域の氷河調査に参加し、かつて長期滞在したギャジョ氷河に17年ぶりに再会することができたのであるが、そこで、おもしろい発見をするとは思ってもいなかった。というのは、1970年代にはいわゆる典型的なカール氷河だったギャジョ氷河が、消耗しきって、雪渓化してしまっているのを見つけたからである。そもそも、氷河と雪渓間の相変化を、一生の内に体験できるものとは思ってもいなかったからである。

氷河群
ネパール型
より具体的なヒマラヤ寒冷圏自然現象群集のイメージとして
参考文献
ヒマラヤ寒冷圏自然現象群集の将来像―生態的氷河学と自然史学の視点からー (1997)  地学雑誌, 106, 2, 280-285.

問題意識
1995年のポスト・モンスーン、ネパールはクンブ地域の氷河調査に参加し、かつて長期滞在したギャジョ氷河に17年ぶりに再会することができたのであるが、そこで、おもしろい発見をするとは思ってもいなかった。というのは、1970年代にはいわゆる典型的なカール氷河だったギャジョ氷河が、消耗しきって、雪渓化してしまっているのを見つけたからである。そもそも、氷河と雪渓間の相変化を、一生の内に体験できるものとは思ってもいなかったからである。

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クンブ地域の低位置氷河の全体的な縮小化・雪渓化がすすむなかで、融氷雪量増大のため氷河湖は拡大している。そこでは、間欠的な氷河湖洪水や泥流被害、また場合によっては雪崩災害なども多発する。このような水資源問題や自然災害ともむすびつくネパール・ヒマラヤの多様な氷河環境の将来像をどのように描いたらよいのか。(いわゆる、”より還元的な氷河科学”は、多様な氷河群をとらえきることができるのであろうか?そのために、はたして、氷河科学は有効な手法を提供できるのであろうか?)これらの問に対する回答がもしNoまたはDifficultならば、多様な氷河群をとらえるには、”より総合的な氷河学”が必要になるであろう。氷河科学のミクロ的な内側からの、いわゆるより狭い分野の専門的思考方法の、故にである。学問の常として、良くも悪くも、氷河「学」も氷河「科学」化しやすいようだ。ところが氷河学は、従来から決して、氷河科学とは呼ばれてこなかったことは、もって瞑すべきであろう。というのは、氷河学はよりマクロ的な外側からの全体的・総合的思考を基本に据えていたふしがあるからである。極論すれば、通常「科学」では局部しか問題にしないし、単純な部分へ還元することによる純粋状態を仮定しがちで、自然現象の多様で複雑な実態を反映しにくいきらいがあるのではないか。いわゆる「科学」がとり扱う局部的に真実と言われる現象が、必ずしも多様で複雑な野外現象の全体において真実とは限らないことにも注意する必要があろう。自然学と自然科学、環境学と環境科学の対比に見られるように、現実的には、従来の氷河学と氷河科学間の自律分散システム化が必要かもしれない(これは、人間生態学的な観点からも、です。氷河科学は知識でいけるかもしれぬが、氷河学はより知恵の働きが大きいのではなかろうか?)。そこで、希望的観測かもしれないが、よりマクロ的な外側からの思考を基本に据える従来の氷河学に、氷河群の概念をキーワードとし、かつ生態学的発想を取り入れた「生態学的氷河学」が、全体的な氷河現象を把握するために重要になるのではないかと考えている。そして、生態学的氷河学を歴史的に見れば、自然史が成立する可能性がある。

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氷河群
”「氷河群」とは単一氷体としての「氷河」に対置される概念である。もし、同一の氷河形成にとって必要な地形ー気候条件をもつ場があるとすれば、そこで形成される氷河は、「共通の氷河特性をもつ一群の氷河」であるはずで、「氷河群」と定義する(ヒマラヤ山脈、特にネパール・ヒマラヤの氷河研究における諸問題{以下では青い本と呼ぶ}、1973、p18)。チベット型氷河群とネパール型氷河群とは、それぞれ「冷たい氷河の系列」と「暖かい氷河の系列」とでもいえる異なった系列に属し、このような「氷河系」を決定づける因子の1つは氷体の物性である(青い本、p20)”と、このように青い本の考え方には、氷河現象の見方として、(個々の)氷河ー(各地域の)氷河群ー(地球全体の)氷河系の基本構造が見てとれる。
そもそも「群」の概念は、個体群や○○群落のように、生態学(社会学など)から発しているようだ。とすれば、個ー個体群ー群集ー生態系という個から地球全体をとらえる生態学的な基本構造からのアナロジーとして、生態学的氷河学の場合、(個々の)氷河ー(各地域の)氷河個体群ー(各地域の、例えばヒマラヤ)寒冷圏自然現象群集ー(地球全体の)自然現象系の基本構造で全地球的な氷河現象を他の自然現象との関連において、時間・空間的に再評価できるのではないか?その考えにたてば、上記の青い本の場合、生態学的な意味での群集の概念がなかったことになる。そこには、各地域の氷河現象と密接に結びつく、例えば、凍土などの寒冷地形・湖沼現象群やヒトさえも含む生物現象等などへの考察を欠いていたきらいがあるのである、と解釈できる。つまり、あまりにも氷河中心主義(氷河帝国主義?)ではないだろうか。氷河と関係をもつ多様な自然現象への配慮がないからである。生態学的氷河学の立場からは、自然全体が1つの有機的なシステムだから、氷河だけ切り放すことはできない。換言すれば、氷河のみではストーリーは決して完結しないのだ。氷河だけ切りとると、自然現象に血がながれ、かたわでいびつな自然になってしまう。そこで必要なのは、各地域の多様な自然現象と氷河との関係性、および全体的な自然現象における氷河の(空間的・時間的に観た)構造的・機能的変遷の(システム的)位置づけを明らかにすることである。このことはとりもなおさず、氷河現象からみた自然史を編むことにほかならない。ネパール型
氷河群はたして、青い本の「ネパール型氷河群」は存在するのであろうか? その伝でいけば、クマウン型やガルワル・ブータン・シッキム・アッサム各型氷河群などもできてしまう恐れがなきとしない。青い本では、「氷河系」を決定づける因子の1つは氷体の物性で、アールマン(1948)などの氷体温度を基準とした極地氷河ー準極地氷河ー温暖氷河の考えが氷河群の概念の有効性を示唆している(同、p20)”と述べられているが、このようないわば物理的な「氷河科学」的手法は、はたして、多様性ある氷河現象を統一的に把握するのに有効なのであろうか?まさに、そこにこそ、「氷河科学」の落とし穴がありそうだ。そこで、Ecologyの観点もふくめた総合的な「生態学的」氷河学の必要性を提唱しているのであるが、”ヒマラヤ寒冷圏自然現象群集”と言った場合、みなさんは、その内容をイメージできるようになられたであろうか?

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より具体的なヒマラヤ寒冷圏自然現象群集のイメージとして
①21世紀中ごろまでの小時間・小空間現象としては、氷河縮小・湖沼拡大による氷河湖洪水・各種地滑り災害の多発期をへて、水資源不足・不安定期をむかえる、と予測できる。1995年11月に発生した寒候期のサイクロンの進入による豪雪とそれによる雪崩災害は変動するヒマラヤ寒冷圏自然現象群を象徴するイベントであった可能性がある。②より大時間・大空間現象(気候変動・氷期論)としては、ヒマラヤの上昇につれて、冬雪に夏雪が加わるなかで、ヒマラヤの主体的自然現象(チベット的自然現象からの独立性、例えばヒマラヤ回廊など)の形成、また、ヒマラヤの氷河拡大期とチベットの大湖沼群時代から推察できる多降水期の湿地拡大によるメタン再生菌大増殖が温暖期のきっかけになる可能性がある。このプロセスが、報告されているように、氷期の風送鉄による海洋の植物プランクトンの増殖による大気からの炭酸ガスの取り込みで、寒冷期のきっかけになるプロセスとリンクし、氷期・寒氷期のシーソー・ゲームを形成する一因になる可能性を検討するのも、生態学的氷河学の課題となろう。
このような生態学的氷河学の視点から、(個々の)氷河ー(各地域の)氷河個体群ー(各地域の)寒冷圏自然現象群集ー(地球全体の)自然現象系の基本構造からグローバルな自然現象を再評価する視点は、まさに自然史の構築と気を一にするものである。つまり、ヒマラヤ寒冷圏自然現象群集を把握するということは、とりもなおさずヒマラヤの自然史を構築することにほかならない。以上のことは、山岳地域のEco-hydrologyカトマンズ会議で報告したことであるが、是非とも、みなさまのお知恵を拝借したい。