2015年春ネパール調査(11) ポカラ報告(写真速報)

  これまでは「2015年ネパール地震」を中心に報告*してきました。ここでは、地震で休校になったカトマンズ大学を離れて、ポカラで行った国際山岳博物館の展示更新などの5月前半の活動について述べます。

ポカラの魅力

  ポカラの魅力はなんといってもヒマラヤの大パノラマです(写真1)。西からダウラギリ・アンナプルナ・マナスルヒマールの8千m峰にくわえて、条件が良ければ一番東にガネッシュ・ヒマールまで見渡せます。なかでも7千mに満たないマチャプチャり峰がポカラの町の近くにあるため、大きく見え、ダウラギリ・アンナプルナの各8千m峰を凌駕しているように見えます。小さくとも、キラリと輝くマチャプチャリはポカラの宝です。今年の春は雨が多かったので、ヒマラヤには雪が降り、マチャプチャリがよけいに白く輝いていました。
ダウラギリやアンナプルナ・ヒマールは東西に連なっていますが、マナスル・ヒマールは南北方向に並んでいますので、ポカラから見ると、夕日をまともに受けるマナスル連峰が赤く染まるのが眺められます。残念ながら、一番左に見える本峰のマナスルは、前山があるので、頂上部分が少し見えるだけですが、中央のP29峯や一番右側のヒマルチュリ峯は立派に見えます(写真2)。マナスル峰とP29峰の手前の麓に、これまで毎年調査してきたツラギ氷河湖があります。
それともう1つのポカラの魅力は、カトマンズにくらべて空気や水が綺麗なことです。ただ、ゴミ問題はありますが、人口がカトマンズよりはるかに少ないので、ゴミの量が少なく、カトマンズでは街から追い出された牛がポカラでは街のいたるところにいますので、生ゴミなどを片付けてくれます。生ゴミの片付け役がいなくなったカトマンズではカラスがその役を一手に引き受け、カラス天国を築いていますが、ポカラにはカラスもいることはいますが、カラス天国の形成にはいたっていません。そのように、空気と水の良さに加えて、鳥も、カラス一色たんではなく、多様性が見られる点も、ポカラの魅力です。
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写真1 ヒマラヤの夜明け(7千mに満たないマチャプチャりが8千m峰を従える)。

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写真2 マナスル三山の夕焼け。

雲・風・ヒョウ

  いつも泊まっているドラゴン・ホテルの窓からマチャプチャリ峰を見ることができるのは、とても贅沢な眺めです(写真3)。朝日を受けると、しだいに雲が発達し、ホテルから見ていると、高度4千mほどまでは左(西)に、高度5千m以上は右(東)に流れて、「くの字」形になることがよくあります(写真4)。その時のポカラの地上風を国際山岳博物館のチベット風の旗(チョルテン)で見る(写真4の右下)と、左(西)にたなびいているのが分かります。ということは、地上の偏東風が高度4千m付近まで達し、高度5千m以上は偏西風の影響を受けていることを示しています。この偏東風がインドやバングラデッシュから汚染物質をヒマラヤに運んできますし、また偏西風は日本列島周辺まで達し、夏の梅雨や冬の降雪現象にも影響をあたえています。
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写真3 ホテルの窓から点線内のマチャプチャり峰が望まれる。

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写真4 マチャプチャリ峰周辺の積雲の形と地上風(右下)。マチャプチャリ峰のほうが、8千m峰の左のアンナプルナⅠ峰よりはるかに高く見える。

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写真4 マチャプチャリ峰周辺の積雲の形と地上風(右下)。マチャプチャリ峰のほうが、8千m峰の左のアンナプルナⅠ峰よりはるかに高く見える。

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展示更新など

  今回のポカラ行きの主な目的は、国際山岳博物館の展示*を更新すること(写真7,8)でした。前年の成果を日本でプリントしてきて、ラミネートしたうえで、新たな展示として追加してきましたが、今年は「215年ネパール地震」が起こりましたので、ネパールの地震がヒマラヤの高さにも影響するという視点で、急遽地震のテーマに加えました。また、カトマンズで南米アンデスの研究者ヨハン・ラインハルトさんに会い、新たな写真情報をいただきましたので、昨年展示した彼のアンデス展示にも新たな写真を加えることができました。

イチョウと追悼碑

  5年前、国際山岳博物館のJICAシニアー・ボランティアーの仕事が終わった時に、料理用に持っていったギンナンの芽を博物館の庭に植えてきたが、そのイチョウ*が1mほどに育っていました(写真11)。後何十年化すれば、黄色に輝くイチョウの黄葉の背後にヒマラヤの大パノラマが眺めれれるはずですが、ぼくは残念ながらその光景を見ることはできませんので、次の代の方々に楽しんでもらいたいと思っています。
*イチョウ
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/10/20131018_19.html
ポカラから車で半時間の西にあるナウダラにある、ドラゴン・ホテルのオーナー、ハリ・ダイ・トラチャンさんが作っている施設の一角に、マナスルのツラギ氷河湖近くから移設してきた友人たちの追悼碑*を訪れてきました(写真12)。今年は雲が多くて、追悼碑からはヒマラヤが見えませんでしたが、去年は素晴らしい天気で、記念碑からマチャプチャり峰などのアンナプルナ連邦が眺められました(写真12左上)。
*追悼碑
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/06/2014-10.html
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/11/2012.html

写真11 イチョウが1mほどに育っていた(手前は10cmきざみの杖のスケール)

友人たちの追悼碑を訪れてきました(写真12)。

友人たちの追悼碑を訪れてきました(写真12)。

陥没地形と鍾乳洞

  ポカラのセティ川支流カリ・コーラにあるジュムレティ周辺でたくさんの陥没地形(シンク・ホール)*が去年の春にできましたので、トラチャンさんの家族とともに見に行きました。シンク・ホールの動きは止まったようで、穴の中にも草などの植生が生えていました(写真13)。
*陥没地形(シンクホール)
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2014/05/2014-5.html
去年はジュムレティ周辺地域が陥没し続けていましたので、そこに建てられた民家の人は避難し、無人でした(写真14右下)が、今年は民家周辺の側溝もコンクリートで整備され、陥没地形の進行が止まったので、住人が戻ってきていました(写真14)。

ショウガと火炎樹の花 

 5月はじめのポカラは、芳しい香りのショウガの花の最後の時期である(写真18)とともに、ポカラを代表する緋色の火炎樹の花が咲き始める季節である(写真19)。
写真18 芳しい香りのショウガの花(ファンカ・フル)。

写真18 芳しい香りのショウガの花(ファンカ・フル)。

写真19 咲きはじめた火炎樹。   5月末から6月初めになると緋色の火炎樹*が満開の季節を迎え、ポカラの女性たちは緋色などの赤色のサリーを身にまとい、通りを闊歩する(写真20)。カトマンズの女性たちがジャカランダの紫色を好むのに対して、ポカラでは、原色に近い熱帯的な赤系統の色が好まれるようです。

写真19 咲きはじめた火炎樹。   5月末から6月初めになると緋色の火炎樹*が満開の季節を迎え、ポカラの女性たちは緋色などの赤色のサリーを身にまとい、通りを闊歩する(写真20)。カトマンズの女性たちがジャカランダの紫色を好むのに対して、ポカラでは、原色に近い熱帯的な赤系統の色が好まれるようです。

写真20 満開の火炎樹の下を緋色のサリーをまとった女性が闊歩する。

写真20 満開の火炎樹の下を緋色のサリーをまとった女性が闊歩する。

追記

  冒頭に「ポカラの魅力」としてマチャプチャり峰を中心にした迫力ある神々の座の姿や清涼な水・空気のなかで多様な生物が見られることなどを述べたが、その他にもまだある。それは、カトマンズではむずかしくなった”傘直し”を、山岳博物館近くのバザールの路上で店開きしていた靴屋さんがやってくれたのである(写真21)。日本が失ってしまった”物を大切にする修理文化”はまだネパールには生きているが、急速に発展するカトマンズは残念ながら日本の二の舞をたどっているが、ポカラではまだまだ健在で、そのこともポカラの魅力にくわえたい。時計を修理していていただくことはもちろんだが、次回も壊れた折りたたみ傘をポカラまで持参することになるのではないか。