百沢智也、井上治郎、宮地隆二、樋口明生、渡辺真之、瀬古勝基、米道裕彌各氏の回想録を収録しています。故人のご冥福をお祈り申し上げます。

回想録として、カトマンズ大学での講義の思い出を掲載しました。

追悼 井上治郎さん

1973年春は、北極海の氷島T3などのアルバイトで資金をためたわたしたちが、ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)をはじめたときで、その年の井上治郎さんは、京都大学のヤルン・カン登山のあとGENにくわわり、世界最高峰チョ

追悼 宮地隆二さん

宮地隆二さん-山岳博物館ことはじめ-   ヒマラヤの氷河調査をはじめるということで、名古屋大学に行き、名古屋鉄道(名鉄)におられた宮地隆二さん(写真1)の覚王山の家におじゃまし、お話をよく伺いました。1972年

追悼 渡辺真之さん

札幌の三角山近くにあった下宿では学校にも行かず、かつて数学科在籍だった(と思う)渡辺タンクローさんがひなが碁にふけっていました。雪の夜道をとぼとぼと三角山めざしてもどる時など、雪景色にうかぶ下宿の二階に電気がついているの

追悼 樋口明生さん

カイラス飛行 あまりにもちかづきすぎたため前山にかくされていた世界最高峰チョモランマは、一歩一歩登るにつれて、なにものをも圧倒する姿をますます大きくするようだ。ネパール・ヒマラヤの氷河調査をつづけながら5千メートルの雪原

追悼 五百澤智也さん

回想 追悼 五百澤智也さん-ランタン谷の思い出- 五百澤さんの訃報を知ったのは、2014年1月16日でした。その日、「五百澤さんのご逝去」を知らずにだした年賀状への返事として、奥さまから寒中見舞いが届き、五百澤さんが20

追悼 瀬古勝基さん

瀬古さんは1996年秋の雪氷学会北見大会の頃に失踪することになったが、その1年前の1995年10月の前述のギャジョ氷 河の共同調査と半年前の1996年3月にカトマンズで開かれた「Ecohydrology of High

追悼 米道裕彌さん

回想録   君をサンヤと呼ぶほど、僕は君のことをよく知らなかったと思う。なにせ、卒業以来半世紀も会っていないのだから、昨年の9月はじめ、日高山脈の札内川で亡くなった友人たちの追悼会で我々が再会した時(写真1)、お互いを認

追悼 小須田達治さん

1973年2月、小須田達治さんと私は、名古屋大学を中心とする北大や京大などの学生によるネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)の先遣隊員としてカトマンズに向かった。そこでまずは、その調査許可を取るために2か月間、ネパール外

カトマンズ大学での講義の思い出(1)

カトマンズ大学での講義の思い出(1) 2015~2017 年の3年間、毎年春3か月をカトマンズ大学で講義を行いましたので、その内容を紹介します。2015年の講義期間中にはネパール大地震を経験しましたが、それも懐かしい思い

カトマンズ大学での講義の思い出(2)

1)はじめに カトマンズ大学で行った講義の始まりは、名古屋大学に留学していた時に知り合った旧友リジャン・バクタ・カヤスタさんが助教授を勤めるカトマンズ大学で「滞在費は持つから、講義をしに来ないか」と誘ってくれことです。そ

ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出(1) ―そうか、あれからもう、半世紀たつのか!―

ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出(1) ―そうか、あれからもう、半世紀たつのか!― 1)はじめに 東京の牛木久雄さんから突然電話が来て、「ハクパさんからGEN50周年になるがどうするのか?」、と知ら

ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出(2) カイラス望見飛行とチベット高原へのあこがれ

ヒマラヤ山脈の谷は大きくて深いので、隣の谷にはどんな氷河があるのか、分からない。そこで、ネパール・ヒマラヤ東部のヒンクコーラからホングコーラの氷河調査をするために、羊を連れて、両河川を結ぶメラ峠を越えたことがある(写真1

国際協力と海外調査について -ネパールとモンゴルでの経験に学ぶ-

国際協力と海外調査について-ネパールとモンゴルでの経験に学ぶ- 1) はじめに 私は1963年11月の北極海海洋調査をはじめとし、2017年3月のネパール・ヒマラヤ氷河調査までの約半世紀に38回の海外調査を行ってきた(注