2015年春ネパール調査(6) 2015ネパール地震(1)当日から5日目

 4月25日に発生したネパールの大地震(2015ネパール地震)でカトマンズ大学の電気やネットなどはストップしましたが、4月29日にやっと回復しましたので、この5日間の見聞記をお知らせします。

地震当日(2017.04.25)

 ネパールは土曜日が休日ですが、先週はその前日の金曜日に元首相が亡くなったため、また今週の金曜日(4月24日)は王政から共和制になったための休日で、これでウイークディが2週間続きの連休になりましたし、先週の火曜日(4月14日)は新年元旦だったための休日も加わり、このところ休みの多いのんびりとしたネパール・ライフを過ごしていました。休日には周辺のハイキングをかねた散歩をしていますので、ネパール地震が発生した4月25日(土曜日)午前も周辺の水田地帯を散策し、稲刈り後の水田植物の花(写真1,2)を眺めたあと、大学正門前のレストランで昼食を注文し、座って待っている時でした。午前11時56分、ネパール地震が発生しました。2~3分も続く大きな横揺れで、1995年の神戸・淡路地震の時に大津で体験した震度5より大きいと感じました。震度では6*くらいかもしれません。ラジオでは7.9(後で訂正され7.6)と言っていますので、マグニチュードなのでしょう。レストランにいた人たちは、「ブカンパ(地震が)アヨ(来た)」と言いながら、道路に飛び出しました(写真3、5)。

* (震度の注釈)「気象庁震度階級関連解説表」を改めて見ますと、1995年の神戸・淡路地震の時に大津で体験した震度は「5弱」の「多くの人が身の安全を図ろうとし、一部の人は行動に支障を感じる」状態でしたので、今回の震度はそれよりは大きかったことは確かですが、地震の際には、部屋から道路に飛び出し、立っていることができたこと(写真3、5)にくわえて、宿舎の部屋の冷蔵庫などの家具類をはじめポットやコップのたぐいまでそのまま立っていましたので、震度「6j弱」の「立っていることが困難になる」ほどではありませんでした。とすると、今回の震度は、「5弱」の上程度から「5強」の「非常な恐怖を感じ、多くの人が行動に支障を感じる」状態に相当したのではないか、と思い直しました。ただ、カトマンズなどの湖底堆積物に覆われたところでは軟弱地盤なので、震度「6弱」以上になったかもしれません。

地震直後には、近くの町バネパ上空に大きな土煙が上がりました(写真4)。おそらく倒れた家の土壁から出た土煙なのでしょう。私のいる大学周辺のドゥリケルは新興住宅地で、建物が比較的新しかったため倒壊した家は見当たりませんでしたが、建物の壁のレンガが崩れ散乱し、バイクが壊されていました(写真6)。人的被害も少なかったようなのは、地震発生が休日の正午頃だったので、子供たちも家にいて、みんなで地震対応ができたからなのでしょう。しかし、大学の図書館の書架はのきなみ倒される被害がでました(写真7)。大学のネットは図書館2階で管理していますので、当分ネットは使えなくなりました。


地震翌日(2017.04.26)

  地震第1目の夜は、星空でしたので、ほとんどの人は外で寝たようです(写真8)。ただ、大学の食堂はプレハブで屋根がトタン張りで倒壊の心配がないため、一部の人は食堂内で一夜を過ごした人もいました(写真9)。カトマンズからの新聞が届くようになり、ラジオ情報のみとは違って、生々しい写真で倒壊した建物などの情報が伝わり、地震災害の恐ろしさが伝わってきました(写真10)。私はといえば、レンガ建ての3階の宿舎で夜を過ごしたのですが、パソコンやカメラ・ラジオなどの必要品はパッキングし、着の身着のまま、靴も履いたままで、いつでも机の下に潜り込めるようにして、机の横のベットでまどろんでいましたが、それでも3回ほどの余震でとびおきました。
戸外で夜を過ごした人たちからは、「とっても怖くて室内では寝られない。You are brave.(あなたは勇敢です)」と言われますが、正直なところ、こちらもおっかなびっくりでした。ただ、夕方6時頃から朝の5時ぐらいまでの暗い間は、時々停電があるのにくわえてネットが使えないとはいえ、電気が来ていると、お茶も飲めますし、先日発表したネパール地質学会への投稿原稿をまとめたり、今回のネパール地震の写真やデータなどの整理ができますし、さらには各種の電池の充電ができるので助かりました。
2日目には大学の食堂も復活しましたが、通学・通勤のために大学が運行している20台ちかくのバスがこないため、カトマンズなどからの学生や職員たちが登校できなくなっています。しばらくは、図書館のように使用不能の施設もありますので、大学の休止状態が続くのではないでしょうか。学生寮に泊まっている人や職員寮の人たちがキャンパスの芝生で過ごすなか、3月からキャンパスの森に住み続けているカッコウがいまも癒しの歌を奏でてくれています。しかも今回見たのはペアーの2羽のカッコウでした。最初は2羽いるとは気づかず、鳴き声から1羽いると思っていました。まず、先に1羽のカッコウが鳴きながら飛び立っていった後もしばらく鳴かずに枝に止まってた他の1羽もいることに気づきましたが、結局、その1羽も先に飛んでいった鳴き声を追いかけていってしまいました。写真を見ると、先に飛んでいった個体は体の縞模様や斑点がはっきりしていますし、首周辺にマフラーのような毛をつけ、勇ましい感じがしましたので、オス(写真11)ではないかと判断しましたが、他の1羽は模様が薄く、全体に丸みをおび、鳩のような感じがしましたので、メス(写真12)ではないかと思いました。すると、メスがオスを追いかけることになりますが、そんなこともあるのでしょうか。3月はじめの桜の花とともにやって来たツバメも今は子育てに夢中です(写真13)ので、他の鳥の巣に卵を産みつけるというカッコウもそろそろその時期を迎えているのかもしれません。大学図書館の森の日陰で、井上ひさしの「新釈遠野物語」の雉子(キジ)娘をのんびりと読んでいますと、キジの死を悲しみ、山躑躅(ツツジ)になったキジ娘とカッコウが、いまも人々を癒してくれるという点では重なってくるような感じがしました。

地震3日目(2017.04.27)

  停電の多い大学ではネットが使えませんので、カトマンズ大学ドゥリケル病院なら発電機があり、常時電源が確保されているからメイルが使えるかもしれないと考え、1時間ほど歩いて出かけたところ電気はあるが、やはりメイルは使える状態ではないことがわかりました。
病院近くの畑地にはヘリが停まっており、ネパール中央部の被災地から被害者を運んでいるところでした(写真14、15)。担架に乗せられた被害者は、看護師に住民も協力して、カトマンズ大学ドゥリケル病院に運ばれていました(写真16、17)。
病院周辺の住宅地でも夜を外で過ごす人たちのテントがあり、トイレも設置されていました(写真18)。ラジオ情報では死亡者3,700名、負傷者7,000名と報告されているうえに、エベレストの登山者にも雪崩で20名ほどの被害者が出ているほか、これからさらに各地での救助が進めば、大きな被害の実態が分かってくると思います。はたして、氷河湖は無事でなのかどうか。氷河湖決壊洪水が起こらないと良いのですが。カッコウが癒しの歌を奏でるなか、咲きはじめたカトマンズ大学事務棟前のタイサンボク(写真19)が、バネパの町を見下ろしながら、初夏のちかいことを伝えています。

  地震4日目(2017.04.28)

  大学から歩いて小1時間のところにバネパの町があります。ネパール地震直後にこの町から大量の土煙が出ましたので、気になっていました。朝食後、歩いていきますと、町の入口近くにバケツを持った人たちが長蛇の列を作っていました。その人たちは給水車から水をもらいに集まっていたのです(写真20、21)。地震による水道管の故障で、断水状態だったのでしょう。

  さて建物ですが、通りに面した新しい建物はヒビが入っているとはいえ、倒れた建物は見当たりませんでしたが、通りから少し奥にある旧市町の古い建物は倒されていたり、今にも倒れそうで、支えの木材がつっかい棒になっていました(写真22、23)。地震直後に大学近くから見たバネパの町の土煙はこれらの古いレンガ建ての土壁が崩壊した時に出てきたものであることが確認できました。付近の祠では子供が祀ってある神々を眺めていました(写真24)が、その背後の池は見事と言って良いほど繁殖したアオコに占められていました(写真25)。富栄養化状態がかなり進んだことを示しています。
バネパの町外れにも、戸外で夜を過ごすための簡易テントが作られていましたが、その背後に見える弱々しいレンガの建物は(写真26)地震に耐えて残ったところを見ると、まがりなりにも新しい鉄筋コンクリートなら、今回のネパール地震の強度には持ちこたえることができたのでしょう。大学に戻ってくると、また1つ、発見がありました。大学のグランド周辺の強度の弱い粘土質の盛土部分に地震の際にできたと思われる亀裂が南北方向に走っていました(写真27)。この亀裂は南北方向に働くアジア大陸とインド亜大陸の衝突による圧縮応力で形成された割れ目の可能性があり、このような割れ目は、氷河流動で側壁への圧縮応力で形成されるクレバスとの共通性があると思われます。
ヒマラヤはアジア大陸とインド亜大陸の衝突で地震が発生する時に上昇すると考えられていますので、4年前の東日本大震災によって、東北各地の地殻が大きく変動したのと同じことが、今回のような大きなネパール地震の際にもヒマラヤで起こり、世界最高のチョモランマ(エベレスト、サガルマータ)はさらに高くなっているかもしれません。今日の午後は雨でしたが、夕方雨があがり、久しぶりにヒマラヤが雲間に顔を見せてくれました。神々の座、雪化粧のガウリシャンカールをお届けします。
 
余話
地震5日目(2017.04.29)
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写真29 壁のひび割れを指し示す検査員 (2015.04.29 at 16:14)

2015_07earthquak29

写真30 壁のひび割れ(杖の黒テープは10cm間隔) (2015.04.29 at 16:48)

夕方、ヘルメットをかぶった人たち(写真29)が部屋に来ました。地震の影響が建物に現われていないか、調べているという。部屋に入るとすぐに、(東側の壁にはありませんが)、西側の壁に幅1~2mm、長さ1mほどの割れ目というより、ひび割れ(写真30)があるのを見つけてくれました。これが今回の地震でできたものだといって、彼のノートに記録していきました。ぼくには、このひび割れが今回ののものか、もっと古いものか、分かりませんが、この程度のひび割れなら、地震国日本の家屋の壁にはしばしば見られるのではないでしょうか。「この部屋に住んで、大丈夫か」と聞くと、「OK」と言ってくれました。

これからの予定
現在はカトマンズ大学の講義は中止状態ですので、5月1日ICIMODのディビット・モルデン所長とヒマラヤの写真データ・ベースについて打ち合わせをし、5月2日はカトマンズの地震の被害状況を見て、5月3日にバスでポカラに行き、国際山岳博物館の展示更新を10日間ほど行う予定です。また、道中やポカラなどの状況は次のメイルでお伝えします。
それでは、みなさまもご自愛ください。ナマステ!