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1)はじめに

自動車や飛行機などの交通機関のお世話になるかぎり、どこの国でも交通事故のリスク (危険性)を避けることはできない。ネパールとて例外ではないが、どうやら、ネパールの交通事故のリスクは高いのではなかろうか、というのが実感である。つい1ヶ月半ほど前も、「バスが川に転落、31人死亡」の記事*がでていた。「大勢の乗客を乗せたバスが川に転落し、子供を含む31人が死亡した」とのことである。
* バスが川に転落、31人死亡=ネパール
https://www.jiji.com/jc/article?k=2017102800628&g=int
この事故に関しては、「ネパールでの交通手段は、安易に値段だけで決めず、天候、季節、道路運行状況、風評等を考慮して慎重に選んで移動してください」と指摘する一方、結びとして「道路事情も、運転手のマナーも悪いネパールでは、このような事故が割と頻繁に起きます。回避するためには、利用しないのが一番かもしれません」と報告*されてはいるが、交通事故のリスクがいかに高いとはいえ、調査やトレッキングの旅行をするために、自動車や飛行機に乗らざるをえないのも現実である。
* ネパール夜行バスの重大事故発生に伴う注意喚起
https://tokuhain.arukikata.co.jp/kathmandu/2017/10/post_251.html
1960年代のポカラには自動車はなく、カトマンズから1週間かけて歩くか、アメリカのダグラス・エアクラフトが1930年代に開発したネパール航空のプロペラ旅客機DC3機に乗っていき、牛の放牧場の草原に着陸していた時代から現在では近代的に整備された飛行場に大きく変わっている。そこで、プロペラ機の草原からジェット機が行き交う飛行場に大きく変化してきた航空交通事情の光と影、および同時発生的に引きおこされた世界的といっても過言ではない凄まじい自動車公害に見舞われているネパールの地上交通事情の課題について、1960年代以降のヒマラヤ写真のデータベース*を使って報告するとともに、交通事故への対応について体験的に考えてみた。
* Gallery(写真データベース)
https://glacierworld.net/gallery/

2)カトマンズ盆地の交通事情

写真1 カトマンズ盆地内の交通事情(1)

1970年代までのカトマンズ市内はインド製の自動車、アンバサダーのトラ模様のタクシーなどが走っていたが、交通渋滞とは無縁の自転車天国、また街中いたるところに住んでいた牛天国で、典型的な田園都市であった。ただ当時でも、インド製の三輪タクシーは真っ黒な排気をだし、カトマンズの環境汚染の先駆けになったのである(写真1の左上)。しかし、カトマンズの環境汚染の持続的改善に努めてきてくれていた牛さんたちは環状道路の外側に追い出されると、爆発的に増えた車が、牛さんたちが阻んでいたバザールの狭い商店街までにも侵入してきたのである*(写真1の右上)。悪名高い三輪タクシーは廃止になり、土産の玩具になっている(写真1の左下)が、今ではアメリカ援助の影響もあり、排気を出さない電池による三輪乗合自動車が走っている(写真1の右下)。
*2017年ネパール通信20  余話7
ネパールのトイレ・ゴミ事情から考える
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/20-episode7-toilet-gabbage/
写真2は 電池による三輪乗合自動車の乗り場風景(写真2の左上)で、マスクをした運転手のハンドル前には貯金スペースがある((写真2の右上)。料金は距離によって違うが、10キロほどで20円程度で、どこでも乗り降りできる。料金が通常のタクシーの20分の1程度の便利な交通手段なので、車内はいつもすし詰め状態だ*((写真2の左右の下)。
*2017年ネパール通信21  余話8
カトマンズ盆地の大気汚染
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/21episode8-air-pollution/

写真2 カトマンズ盆地内の交通事情(2)

写真3 カトマンズ盆地内の交通事情(3)

 電池による三輪乗合自動車のフロント・ガラス越しに他の同型車も走っているのが見える(写真3の左上)ように、環境に優しく安いこの車は市民の足になっており、日中の酷暑でランニング・シャツで運転する一般のガソリン・タクシー(写真3の右上)に乗る市民は少ない。ガソリン・タクシー車で評判なのは、ボデーが丈夫で、自分で修理できる1973年型トヨタ・カローラだそうだが、現在ではインド製のマルチ・スズキがカトマンズの町を闊走している。カトマンズの街から約30キロの郊外ドゥリケルにあるカトマンズ大学までは毎朝8時にスクール・バスが出て、夕方5時に戻る(写真3の左右の下)ので、大学の研究室は午前9時に始まり、午後4時には閉まる。
  カトマンズの街と大学のある郊外ドゥリケルの間の車の渋滞と大気汚染は著しく、オートバイと自家用車やバスなどによる大渋滞(写真4の左の上下)は毎日のようにくりかえし、大学への手前の峠では凄まじい黒煙を撒き散らすトラック(写真4の右上)や砂塵を巻き上げるバス(写真4の右下)のすぐ後ろをバイクの運転手が追いかけているのもいつもの光景である*。
* 2017年ネパール通信3(写真報告)

「カトマンズ大学にきました」
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/2017-3/ 

 

写真4 カトマンズ盆地内の交通事情(4)

3)カトマンズ盆地外の交通事情

 

写真5 カトマンズ盆地外の交通事情(1)

 

カトマンズ盆地をでると、道路事情が悪くなり、ランタンからのバスは狭い道でトラックとのすれ違いがうまくできずに、擦り傷が痛々しい(写真5の13~14)ほどだった。ポカラに向かう道中では、交通事故の現場にしばしば出会うのである(写真6の25~28)。従って冒頭に述べた「バスが川に転落、31人死亡」の記事がますます現実味を帯びるのであるが、飛行機のトリの眼では見ることにできないネパールを知るために、交通事故のリスクを知りながらも、ムシの眼のバス旅行を行っている。事故のリスクの高いネパールのバス旅では、いつ何時事故にあうのかも知れぬ。これまで事故に巻き込まれなかったのは幸いとしか言いようがないほどだ。そのため、最後の「6)事故への対応」が必要になる、と考えている。

写真6 カトマンズ盆地外の交通事情(2)

4)環境汚染への影響

 

写真7 環境汚染への影響(1)

写真4でふれたように、整備の悪い自動車の黒い排気はネパールの大気汚染*の一因になっており、カトマンズ盆地内ではいたるところで黒煙を吐き散らすトラックなどがあり(写真7)、雨が降ると、自動車の排気中に含まれる毒性物質も道路から畑などへ流出し(写真7の19と20、写真8の21と22)、そのためダイオキシンなどによる二次的な環境汚染を人体におよぼす可能性が心配される。
*2016年ネパール通信6
カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2016/nepal2016_07smog/
バス会社の中で、グリーンライン・ツアー社の旅行バスは無理な急発進などもしないため黒煙なども出さないので、”グリーン”に名前の通り環境にとっても良いことにくわえて、無理な無謀追い越しなどもしないため、事故のリスクが低いと思われるので、お勧めしたい交通機関である。料金は他のバスよりも少し高いが、カトマンズ・ポカラ間の旅行では、行きは右窓席・帰りは左窓席を予約し、トリスリ川とマルシャンディー川を見るために*毎回利用している(写真8の23と24)。
*2017年ネパール通信16 余話3
カトマンズ・ポカラ間の河川環境の変化
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/topic-3/

写真8 環境汚染への影響(2)

写真6 カトマンズ盆地外の交通事情(2)

 

5)飛行機・飛行場の事情

写真9 航空便の事情(1)

 

冒頭の「はじめに」で述べた1960年代のポカラ空港は牛の放牧場だったので、飛行機が来ると、牛飼いが牛を草原の滑走路から追いはらって、 DC3機が着陸するというまさに牧歌的な環境であった(写真9の左上)。その空港も今では近代的の舗装され、晴天時にはひっきりなしに飛行機が到着し、たくさんの旅行客をポカラに運んでいる(写真9の右上)。自動車による地上交通の時代を経づに、いきなり飛行機時代に突入したという歴史は開発途上国に見られる現象であるが、いわゆる系統発生を繰り返さずに、新しいシステムに移行しており、さらにこのポカラの飛行場の近くには、近い将来、中国の援助で大型のジェット機が離着陸できるカトマンズのような空港が新たにできるとのことである。
1970年代までのカトマンズ空港(写真9の左下)も現在では整備され(写真9の右下)、連日多くのジェット機がヒマラヤ目当ての観光客を運んでいる。まさに、新たな技術時代、いわば、外国援助によるデジタル社会の到来ではあろうが、緊急の事故発生時などの場合には、自国で積み上げたアナログ社会の経験のない脆弱性を感じるのである。つまり、ネパールでよく見られることであるが、各地に散在する故障したままの外国援助の新型機器のように、十分に使いこなせなくなることを危惧する。2015年3月にはトルコ航空機の着陸失敗の事故が起こり、1週間ほど空港が閉鎖されたので、再会を約束していた友人のKさんは日本からバンコックまでせっかく来てくれていながら、カトマンズに飛ぶことができずに、日本へ引き帰して行った。さらにさかのぼるが、1992年7月と9月にはタイ航空とパキスタン航空が事故を相ついで起こし、それぞれ100名以上の乗客が命を落としているのである。
最近のカトマンズで最も普及している新しいインド製のマルチ・スズキのタクシーを運転するネパール人は、「新しいマルチ・スズキよりも1973年製のトヨタ・カローラのほうが良い。新しい車はデジタルで、故障するとお手上げだが、73年製カローラは(アナログなので)故障しても自分で直せるからだ。それに、車体が頑丈なので、自家用車として今でも大切にしている」と言っているのだが、そのタクシー運転手の言葉からくみ取れるのは、古いものと新しいものの共存、まさに系統発生の重要性を示しているのではなかろうか。その点は、何もネパールの課題としてあげつらうのではなく、日本の問題点として、古きものを捨てて新しきを追い求める、いわゆる使い捨ての日本社会にも言えることである。最近でも続出している日本企業の不祥事なども同様な問題点に根ざしているのではなかろうか。
世界最高峰のエベレストがあるクンブ地域のルクラ飛行場では、カトマンズ空港からツイン・オッター機に乗り(写真10の左上)、ドゥドゥ・コシ(川)左岸のモレーン上に着陸(写真10の右上)するスリル満点の体験をすることができる。この飛行場はエベレスト峰登頂者のヒラリーさんたちが援助してできたクラシックな山岳飛行場の代表のようなたたずまいで、狭いドゥドゥ・コシ(ミルクの川)の上り勾配のラン・ウェイに着陸するのだが、急変する悪天候の時には、しばしば事故が発生する。現在のルクラ飛行場に着陸(写真10の左下)して、まず目に入るのは、かつては想像だにしなかった、空席待ちをしているアルミ缶やガラス瓶などの再生資源用のゴミ袋(写真10の右下)であった。エベレスト地域への急激な観光客の増大にともなって生じたゴミ問題が新たな環境課題*になってきていることを示している。
*2013年秋ネパール調査
2013秋調査旅行余話(2)
トイレ・ゴミ箱・簡易洗浄器
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2013/2736-2/

写真10 航空便の事情(2)

写真11 航空便の事情(3)

1970年代の氷河調査では、トリの眼観測と称してマウンテン・フライト用のピラタス・ポーター機などをチャーターし、ネパール・ヒマラヤ上空を30時間ほど飛び、1万枚ほどの氷河などの写真を撮影した。ピラタス・ポーター機を操縦するのはスイス人パイロットのウィックさん(写真11の左上)で、ムシの眼では入ることのできなかったネパール北西部のチベットのグルラマンダータ(ナムナニ)峰と聖山カイラス峰(写真11の右上)地域の撮影をはじめ、温暖化で氷河縮小・水資源減少のため村を移動セざるをえなくなったネパール北西部のムスタン地域(写真11の左下)などの航空観察を行うことができた。航空機による広域的な写真情報は貴重な環境情報を含んでおり、ネパールへの行き帰りは、できるだけヒマラヤの写真を撮ることに努めている。写真11の右下の航空写真は、ネパールの南部地域一帯が大気汚染のスモッグに覆われている光景*で、カトマンズ空港への着陸直前の大気環境を示している。
* 「ネパール2015年春」調査(1)
クアランプールからカトマンズへ

1.クアランプールからカトマンズへ


写真12は 今春のネパール調査を終了した6月初めのクンブ地域の8000m峰の航空写真である。エベレスト峰やローツェ峰が上、チョー・オユー峰が左下、そしてマカルー峰が右下で、飛行機が8000mの高度を飛んでいるので、チョー・オユー峰は下に見て、ローツェ峰やマカルー峰は水平に、エベレスト峰は仰ぎ見るような角度で、モンスーンの雨期の初めの降雪で白くなっていたそれらの8000m峰を観察することができた。ヒマラヤを眺めるための飛行機の席は、カトマンズに向かう飛行機では右側、カトマンズを離れる時は左側を予約し、エベレストなどの神々の座を眺めるのが楽しみである。迫力のある神々の座を眺めるためには、格安航空のクアランプールからのエアーアジア機の南からのルートよりも、昆明からの中国東方航空機の東からのほうが、エベレスト山群などにより近く、高度も高く飛ぶので、天気さえ良ければ、写真12のような写真が撮れたのは「眼福」であった。ついては、写真12の画像をネパール人の友人たちに今年の年賀状として送ろうと考えている。

写真12 航空便の事情(4)

6)交通事故のリスクへの対応

「ネパール・ヒマラヤ上空を30時間ほど飛び、1万枚ほどの氷河などの写真を撮影した」と前述したが、その間には危ない経験をしたこともある。エベレスト峰から流れるクンブ氷河の撮影時には、上空の偏西風(ジェット)が強く、飛行機が何回も上下に激しく揺り動かされ、メンバーの一人は気分が悪くなり、吐き出すほどだった。だが、幸いなことに、1970年代の隊員たちには飛行機や自動車の交通事故で命を失った者はいない。さりとて、将来は事故にまきこまれる可能性は否定できないので、その対応として保険に入ることにしている。
毎回のヒマラヤ調査行に際しては、不慮の事態を想定し、保険(海外旅行・団体登山・航空会社)をかけることにしているが、高齢者の3ヶ月以上の海外旅行保険は、飛行機の割安切符代よりも高額になっている。旅行(従って保険)期間を3ヶ月以内にすることがライト・エクスペディション*にとって費用を安くするために必要になる。ただし、ぼくのように心臓手術などをした人は疾病補償に関する保険の制約がさらに厳しい。
*2017年ネパール通信5
ランタン村周辺の雪崩災害と災害地形などについて 4)おわりに

5 ランタン村周辺の雪崩災害と災害地形などについて


また、不慮の事故に見舞われた際、現地の大学ないし病院に検体として提供することを考えていたが、カトマンズで検体に関する情報を収集したところ、日本とは違って、ネパールでは検体数が充足しているので、検体申請は歓迎されないとのことである。そこで、その点は出発前に書くことにしている遺書からはずし、“現地では遺体を荼毘にし、地元民がするように、水葬にすること。日本では、死亡通知は出さずに、葬式は内々で行い、 戒名などは不必要、また何回忌などもしないように。”との遺書を残すことにする。