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ボーデン湖・バイカル湖紀行(1)

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琵琶湖に地形的によく似たボーデン湖は素晴らしい湖沼環境を生かした観光地である。

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ボーデン湖のヨットハーバーは湖岸植生に覆われて湖から見えない工夫がされている。

(1990年5月8日)
   近くて遠い国、韓国のキンポ空港までは大阪からわずか1時間32分だ。空港周辺には工場や高層アパートがケイオスティックに立ちならび、高速道路がのびる。水田群は今が代かきの真っ最中だ。オリンピック時に建てられたと言う空港は近代的なデザインで、トランジット用の待合室などはかなり大きなものだ。だが、トイレが汚い。洋式なので使い勝手が悪いのだろう。使用後に流さなかったり、紙がなかったりで、汚れている。全部を近代的、つまり西洋式にするより、部分的に使い勝手の良い伝統的なものを工夫して取入れたほうが良いのではないか。大阪空港では、洋式3に対して和式が1ぐらいの割合だったが、1対1でも良いと思う。和式なら少々汚くてもできるが、洋式で汚れていたら便器に座る気になれないではないか。かってネパールでは洋式便器の上に乗って用を足したことがあったが、ネパールでは、水を持って用を足すネパール式のほうが衛生的だ。また、隣の人がまる見えの徹底した中国式は、入るのに勇気がいる。近代化するにしても、それぞれのお国柄をうまく出せたら良いと思う。ある意味で、トイレ事情はその国の近代化の発展段階を示すようだ。  キンポ空港には喫煙室が設けてある。しかし、ノン・スモーキングの休憩室で堂々とタバコを吸っている若者たちがいた。彼らのうちの1人がネパール帽のトピーをかぶっていた。「ナマステ」とあいさつすると、韓国への入国が認められないので、香港経由で戻されるところだと言う。入国すると、働くからというのが拒否の理由で、日本へも行けないらしい。彼らはタカリー族だ。ネパールの大商人の一族である。「当たって砕けろ」方式で来たが、韓国でも日本でも、外人にとっては状況が良くないようだ。カトマンズは政情不安で、仕事もろくに出来ないとのこと、あっても金にならないらしい。近代的なキンポ空港の大きな建物の中でさまざまな多様性が混在し、モザイク模様を作り出している。はたして、これらの変化は定行進化だろうか。  フランクフルト・チューリッヒ行きの出発案内は、ハングルと英語、日本語で行われたが、ドイツ語の案内はなかった。チロル風の吊り革ずぼんのおじさんやドイツ語を話すおばさんもかなりいたというのに。ここにも、日本語の影響増大が見て取れる。  午後8時45分、ソウルのキンポ空港離陸。夜景の美しいソウルを過ぎると、地上の明りは少なくなり、時折対照灯の回転する光が見えかくれする。機内の明りが暗くなるのは、もう寝ろと言うのか、それとも北朝鮮対策なのかとも勘ぐりたくなる。十三夜ほどの月がかかる。シベリヤの上を飛んでモスクワに向かうと言うのに、地上が見えない夜の飛行になるとは残念。機内を早々と暗くしたから、メシぬきかと思ったら、フル・コースの食事にワイン、スコッチの飲み放題だった。大韓航空はリスクが大きいが、サービスは良い。(5月9日)
   日本時間午前2時、機内は窓を締め切っているので暗いが、外を見ると、雲間に氷河が見えるではないか。カール氷河だ。いったいどこの氷河か。ソ連のどの辺まできたのだろうか。飛行ルート上には、氷河のありそうな所はない。それに、太陽の方向がおかしい。ソ連上空を西に向かっているとすると、太陽は進行方向の左手方向から射すはずだが、逆に、右手方向から太陽の光がきている。1時間ほどすると、機内放送で「アンカレッジに着く」と言う。なぁんだ、そうか。アラスカに向かっているとすれば、右手からの太陽は理解できる。あの氷河地帯はアラスカ半島のだ。しばらくすると、左手の雲海上に大きな山塊が見えてきた。マッキンレーだ。今回の旅行業者の人は、飛行ルートはソウル-モスクワ-フランクフルト-チューリッヒと言っていたので、いっぱい食わされた感じだ。もっとも、これで往復とも同じルートを取らなくて良くなったと言えるが。しかし、旅行会社も旅行会社だ。そのほかにも今回は、申し込んでいた旅行日程をインツーリストが勝手に変更し、イルクーツクの1泊を増やし、ハバロフスクの1泊を減らしてきた。これでは、イルクーツクに招待をしてくれるバイカル生態学博物館のガラジー先生も困るだろうから、事前に、希望どうりに直してもらおうとしたら、旅行会社の人が「出発前に文句を言うと(せっかくビザとバウチャーを出してくれたので)、めんどうになる」と言うので、その交渉はイルクーツクですることになってしまった。それもこれも、情報がうまく調整されていないからだ。なにが、グラスノスチ(情報公開)か。

 アンカレッジ飛行場に近づくと、湿地帯に囲まれたクック入江に石油採掘用らしきタワーが見える。スマートな樹形を持つシトカ・スプルースの森が広がる。ほとんど使うことなく、忘れていたシトカ・スプルースの名前が出てきた。シトカ・スプルースの名前は1968年に加納さんに教えてもらったものだ。降雪下限を示す雪線がアンカレッジ周辺の山々の裾野を縁どっている。空港周辺の雪山には2段のカール地形が発達する。しかし、氷河は見えない。汚れた雪面に新雪がかぶっているのは、スノー・パッチだろう。

 アンカレッジ空港には、雪の山が数カ所残っていた。除雪の解け残りだ。滑走路にひび割れが目だつのは凍上のせいか。空港待合室には、「うどん」ののれんがかかっている。女店員には日系の人が多く、互いの会話も「そろそろ、ご飯食べに行きましょう」などと日本語で話し合っている。案内版にも日本語がある。日本の経済力の由縁か。トイレはきれいだ。下を20cmほどあけ、オープンな感じだ。座ると、隣の人の足元が見える。ドアーの隙間も1cmほどあいている。次に人が待っているのが見える。密室にしないことがクリーン・アップに役立っているのかも知れない。こうすれば、自制が働くとでも言うのか。

 なつかしの大白熊の剥製に再会。立ち上がった姿は3mほどもあろうか。オオカミの剥製もある。ジャック・ロンドンの世界を思い出す。彼の「野生の呼び声」はまさにアラスカそのものだ。みやげ物店にエスキモーの動物の牙の彫物が見あたらない。セイウチの牙の棒タイもないようだ。自然保護の影響か。ただし、豪華な毛皮のコートはたくさん並べてあるのに。ちぐはぐな感じだ。

 JST5:22、離陸。湿地、沼群と森の中に、小さな開拓地が点在する。1直線に森が切り裂かれているのは防火線か。進行方向に行くにつれて、凍結した湿地が増えてくる。やがて雲海を抜けると、左手後方にマッキンレーが小さくなっていた。雲間のアラスカ山脈中に空港が見える。アラスカは飛行機交通が中心だ。鉄道・道路より、いきなり飛行機が入ってくるのは、開発途上国の特徴でもある。
 6:00、ユーコン河が大きく太く蛇行している。大部分がパック・アイス状に氷結しているが、ところどころに泥色をした河水が流れている。支流はクリスチャニア・スキーのようにめまぐるしく蛇行している。自然の河だ。森林地帯の中に、雪面で覆われた木の少ない部分があるのは山火事の跡か。
 6:20、大規模な氷食を受けた植生の乏しいブルックス・レンジには、カール地形はさだかでないが、エンド・モレーン地形が所々に認められる。幅の広い氷食谷はU字の名残か。川や山腹の湖の1部分が青氷になっている。アウフ・アイス的だ。
 6:30、平原に出る。一面の雪原で、森林は見あたらない。緩やかに流れる川の1部分が青いのは、氷結しているためだろう。積雲の列が東西に伸びる。積雲の列がやがて密になり、北極海に出たと思われる所は、大雲海になった。(またメシだ。大部分の乗客は、映画を見て、食べて、寝ている。ブロイラーの気分だ。窓を少し開けて、写真をとっていると、スチワーデスが「窓を閉めろ」と言いに来る。ブロイラー様の邪魔になるのだ。夏の北極廻りだと、夜がほとんどないからなのだろう。)
 7:55、雲の切れ間に海氷のシアー・クラックが見えかくれする。
 8:20、オープン・リードというより、かなり広い開水面が分布する。東西性のヘルムホルツの雲が出来ている。
 8:32、海氷のクラックも東西性が卓越する。
 8:50~9:00、海氷地帯が続く。太陽の位置は進行方向に向かって左。
 9:15、南北と東西方向の雲の構造をもつ雲海が分布する。
 9:50、開水面が出て来る。
10:04、大きな割れ目が発達する海氷地帯。割れ目は進行方向に直角、太陽の位置は左後方。オープン・リードの規模がしだいに大きくなる。
10:27、小さく割れた浮氷地帯から海氷のない海に出る。進行方向に直行する積雲列と進行方向に平行な上層の卷雲の2つの構造をもつ雲。飛行ルート沿いの北極海には、開水面が出て来ると、雲が多くなるポリニィヤ現象が現れていた。
12:10、進行方向左手、霞のかかる逆光の中に、フィヨルドとサーク氷河が望まれる。ノルウェイ付近に近づいたのだろう。
12:43、ドイツの現地時間で4:43。それにしては、太陽の位置が高いのは白夜に近いからなのだろう。ジャンボ・ジェットの排気が飛行機雲を作る。下界から飛行機雲を見ていてもあまり感じないが、飛行場のジャンボ群を見て、上空で飛行機雲ができるのを眺めていると、成層圏・対流圏への影響の大きさを実感する。ジャンボ・ジェットの燃料消費は相当なものだろう。
14:57、卷雲や高層雲の切れ間に黄色や緑の四角い畑がうっすらと見える。フランクフルト周辺は、層雲で覆われていた。飛行場が込んでいるので、20分ほども上空で待たされる。フランクフルト上空を旋回していると、層雲を突き抜けて、淡いピンク色の煙が火山の煙のように立ち登っていた。あたかも、大火山が1つに、小火山が3つもある。かなりの公害か。南方を注視しても、アルプスが見えない。雲の中か、あるいは霞の中なのだろう。空港周辺には、ゆったりとした住宅と緑地が広がり、アウト・バーンが走っている。空港はかなり濃い霧が立ちこめ、視程が200mほどしかないのに、よく着陸できたものだ。まず、これで一安心。何かが起こっても、明日の会議には、ここからでも駆けつけることが出来るだろう。霧の中の飛行場に、トロッコ式の荷車、エレベータ式の荷台車や各種の車が勢いよく動いている。霧のためもあって、気温が9℃と低温で、作業する人たちが寒そうだ。その中を、自転車が1台、走り回る。いかにも丈夫そうな、荷を運ぶ自転車のようだ。飛行機と自転車の共存、近代的なジャンボ・ジェットとともに、伝統的な自転車が活躍しているのがよい。
16:13、ガスの中を離陸。南ドイツの上空からみると、緩やかな起伏の丘のような地形が広がっている。おそらく氷河が侵食したであろうドラムリン的な地面に展開する長方形の緑や黄色、茶色の土地利用の模様は何が作り出しているのだろうか。緑は麦畑、黄色は菜の花畑、そして茶色は耕作地か。霞が濃くかかっているので、ボーデン湖西部がわずかにしか見えない。
16:55、チューリッヒ空港着陸。ウェッバー氏の長男が迎えにきてくれていた。ポプラやマロニエ並木を通り、まずチューリッヒ湖へ。さすが、浄化効果を上げたと言われるように、透明な水だ。サケ科の魚が2種、縞模様のと斑点模様の魚が船着場近くをのんびりと泳いでいる。マロニエやライラック、小手鞠の花などの季節なので、湖面には花粉がかなり漂っている。

 ウェッバー氏とは美術館で落ち合うために、チューリッヒの町に入っていくと、横断中の老人が転倒する光景にでっくわした。すると、すぐに通行中の2人の若者が走り寄ってきて、老人を助け起こした。ウェッバー氏の長男は「運転してなければ、助けに行くんだが。あの老人はノーベル文学章の授賞者だ」と言う。美術館には、ゴッホやセザンヌなどの有名な絵が手の届くところに、さりげなく飾ってある。石造りの美術館だが、階段などでは木の感触を楽しむかのように、板を張ってある。町中の美術館だが、森の中で芸術鑑賞ができるように工夫しているのだろう。

 ウェッバー氏は自宅に招待してくれた。白樺や赤松、山吹、ぼけの花が咲く芝生の庭で、奥さんはチューリップの植え替えをしていた。この付近の森にはオークの木も多いとのこと。よく言われている酸性雨の影響は、他の要因もあるので、はっきりとは現れていないようだ。

 ウェッバー氏の自宅からは、グライフェン湖の近くを通り、ライン河の滝に向かった。途中の緩やかな丘陵地では菜の花に似たカラシナの黄色い畑や濃い緑の麦畑、淡い緑の牧草地、そして耕作したての茶色の大地がモザイク的に分布している。飛行機からみた土地利用の模様を作りだしている畑がよく分かった。ラインの滝の水量は現在は毎秒300トンだが、最大は毎秒1000トンにもなると言う。ラインの滝は100mほどの落差があり、中央部の島で2つに分かれた水流が豪快に流れ下っていた。

 ラインの滝からはドナウ河の源流地域を通り、ボーデン湖の東部に出る。シップリンゲンの大規模な浄水場からの水はシュトゥットガルトまでいっているとのこと。湖岸の鉄道沿いにはリンゴの果樹園が分布している。ユーバーリンゲン周辺までくると、ブドウ畑が広がる。夕方になると、雄大積雲が発達し、稲妻が光りだし、雨となる。メアーズブルグのホテル・ベーレンには20:10着。23時頃まで、ホテル・レーベンで夕食。明日の発表時間を10分にするように言われる。

(5月10日)
   朝5時50分、スズメ、ムクドリ、山鳩などの鳥のさえずりで目がさめる。快晴だ。昨日の約25時間のフライトの疲れが残っているが、鳥の声と鐘の音が長旅の疲れをいやしてくれる。昨夜言われたように、15分用の原稿を10分用に直す。

 ブッチェンにチーズとソーセージをはさみ、コーヒーで朝食。ブッチェンはやや堅くなっているとはいえ、かってのユースホステルの食事を思い出させてくれる。ホテル・ベーレンは由緒ありそうな旅館だ。古めかしい門構えにややきしむとはいえ古風な曲がり階段、木目あざやかなロッカーやベッドなどが、木造りの感じをよく残している。壁には、図鑑風タッチの白バラの絵がかかる。

 ホテルから会場の城風の建物までは2分とかからぬ。10時15分に会場につくと、予定していた政治家がまだ来ないので、10時45分の発表予定が早くなると言われた。待機していると、政治家がやっと来たので、発表時間は初めの予定どうりになると再通告される。だが、政治家の話は10時45分の発表時間を過ぎてもえんえんと続く。すると、係の人がまた走ってきて、午前の発表を午後に延期してくれと、再々の通告をする。係の人が政治家の長演説に泣かされている様子が手に取るように見える。

 とにかく、政治家が何を言っているのかさっぱり分からないので、会場の庭に出て、ボーデン湖の景色を楽しむ。対岸のコンスタンツ方面までよく見渡せる。(昨日の飛行機からは霞が濃かったのと、チューリッヒからは雷のなる夕方に着いたので、ボーデン湖をよく見ることができなかった。)小中学生ぐらいのグループの一行も、老人の人たちに混ざって、ドイツで1番大きな湖の景色を楽しんでいる。

 ホテル・レーベンで、レーベン・ブラウを飲みながら、スモークド・サーモンとロースト・ビーフの昼食を済ませた後、午後のしょっぱなに報告することになった。係の人が言うには、昼前の腹の減っているときより、食後の方がよいだろうとのこと。昨夜は「10分の報告にしてくれと言われた」が、今日は「15分の報告でよろしい」と言う。それにしても、よく変わる、全く。報告には通訳がつくので、報告10分、通訳10分の20分になると思っていたが、通訳係の人はご婦人連の案内でマイナウ島に行っているし、すでに報告原稿のドイツ語訳ができているので、通訳の必要はないとのこと。スライドも4ー5枚削ってしまったので、今から、また15分原稿に直すのは難しい。

 そこで報告では、10分原稿をゆっくりと読み、13分ほどで終了した。ボーデン湖と比較した琵琶湖の水質や琵琶湖総合開発の課題、観光客が1年を通じて多いことなど、興味を持ってくれたようだ。

 (報告原稿を挿入)

 報告が済んでからは、車を廻してくれ、フェリー経由でマイナウ島へ行った。マイナウ島のこんもりとした林は、遠くから眺めると、鎮守の森の形に似ている。杉の木が多いからだろうか。ドイツによくあるポプラのような先太りの林相でなく、杉独得の先細りで、丸い感じの林相が鎮守の森のシルエットを作りだしている。杉はかなりの大木になっており、マイナウの森にどっしりとした安定感を与えている。

 湖の会議の婦人連がベルナドッテ婦人と広間で歓談しているところへ合流できた。白ワインを飲みながら挨拶する。吉良先生の勲二等瑞宝章授賞とブラジル出張のため、代わりにきたことを伝える。さすがに伯爵婦人だけあって、ゆったりとした気品のある英語の話し方をされる。広間のある舘の前の大イチョウの木に一行が興味を示したようだ。ゲーテにはイチョウの詩があるとのこと。木の説明版には、イチョウのマークがついている。イチョウや杉をはじめ、ヒノキ、タイサンボクなど馴染みのある木が目につく。雑草にも、日本のに似たのがある。森に放し飼いの、孔雀がかん高く鳴いて、しばらくすると。夕立が襲ってきた。ご婦人連は大きなケーキを平らげながら、レストランでひと休み。
 帰りのフェリーはファールバウテンの先住民族の水上家屋とヨシの保護地域を遠望しながら、メアーズブルクへ帰る。

(5月11日)
   ボーデン湖巡検日。

 イメンシュタット:冬から春にかけての波浪からヨシ帯を保護するため、湖岸に平行に石積みの護岸堤を設置している。

 フリードリッヒシャーフェン:エアバスの開発基地になった飛行機産業の大きな町。コンクリート護岸が発達する。港の東側の住宅地から、2本の排水口が湖へ突き出している。(ボーデン湖周辺の建物は一般に屋根があるので、この大きな町で屋根なしのコンクリートの建物を見ると、品格がないように思える。)

 ライン川の流入地点:流入河川水は黒泥色の水(グレイシャー・ミルク)で、透明度小さい。流入水と湖水の境にゴミが潮目状に集まっていて、流入水が低温のため密度流として潮目から下に潜り込んでいる。ゴミは木と草がほとんどで、発泡スチロールやビニールは見ない。

 調査船:滋賀大の調査船クラスの大きさ。コアーを垂直方向に2つに切ると、数cm間隔に暗い灰色と明るい灰色のヴァーブ的構造がみられた。プランクトンネットを表層数m曳いただけで、白い透明なミジンコ等がたくさん取れた。たくさんのプランクトンを見て、やっと、ボーデン湖の富栄養化がかなり進んでいることを納得した。

(5月12日)
   メアーズブルグは港町である。コンスタンツのスタードから連絡船が10分おきぐらいにやって来る。連絡船と言ってもカーフェリーが中心だ。ボーデン湖が細長い形をしているので、陸路を回るより、スピードは遅いが、連絡船の方が便利なようだ。港の標高が400m。メアーズブルクの町は湖岸から比高100mほどの斜面に発達し、1988年に1000年祭を行ったほどの古い町である。急な地形を利用して作られた古い城がある。城に保存されている民具の中で、牛乳からチーズを作る道具などはヒマラヤのシェルパ族のものとそっくりだ。通りに面した民家は、茶色の木の柱の間を白壁で塗り込めた伝統的な模様が美しく修復されている。壁や窓が藤の花や蔦などで美しく飾られている。裏通りの民家の一部は湖岸の円礫やレンガなどを積み上げた壁が残っている。

 メアーズブルクのようなHistorishe Alttownでは、特別な場合を除き、車の乗入れを禁止しているので、鳥の声や人々の話声、足音そして鐘の音が、音の風景を構成している。朝6時50分、静かな町にゴミの回収車の音が響く。街角には、ダンボールやプラスチックの袋、所定の容器にゴミが分別されている。早朝の回収は所定の容器のみで、容器はセットされると、自動的に持ち上げられ、中身が回収されていく。こぼれかすを見ると、木片や木屑、木の枝、葉が多いので、堆肥にでもするのかもしれぬ。

 メアーズブルクも石畳の町である。石畳の工事を見ていると、レンガなどの石畳の下に4ー50cmの砂を敷き詰めていた。雨などがよくしみ通ることだろう。日本の町並み改修を見ると、石畳も取り入れられているが、石畳の隙間がセメントで塗固められているため、わざわざ、雨水が浸透できないようにしている。外見だけは石畳だが、実際はアスファルトと変わらない。街路樹も、根の廻りには雨水がしみこむような工夫が施されているが、これは日本でも最近取り入れられるようになっている。

(5月13日)
コンスタンツは町全体が一種の公園のようだ。町の中心部は、自動車・自転車乗入れ禁止だ。騒音が少ないので、石畳を歩く人の足音が聞こえる。ギターをかなでる辻音楽士が、オルガンに合わせて操り人形を踊らせる大道芸人もいる。静かな町に音楽が響く。寄付協力のために黒の山高帽を逆さにおいて、20人ほどの学生たちが美しい合唱を聞かせてくれるのも、町が静かな公園のようになっているからだ。慈悲の心を発揮する人々。ツェッペリンにちなんだホテルなどの歴史的な建物がある。昔のスタイルや色彩を保ち、壁画でかざっている建物もある。建物は、あたかも、公園の木のようだ。店屋はショウ・ウインドウの空間を大きく取り、夜も明るくしているところが多いので、散歩がてらにウインドウ・ショッピングが楽しめるようになっている。

 日曜の午後は、ほとんどの店が閉まる。例外は、アイスクリーム屋とサンドイッチ屋さんぐらい。アイスクリームをなめながら公園の町を散策する。サンドイッチ屋さんには、大きな丸いパンを2つに切って、肉と野菜をつめこみ、ヨーグルトをかけたトルコ式や、ボーデン湖産のサケ科の魚のムニエルをはさんだイタリー式などがあり、カフェ・テラスに席を取り、サンドイッチをビールやワインとともに食べながら、町のたたずまいや人々のふるまいを眺めるのは悪くない。あるカフェのすぐ横では、考古学の発掘調査が行われていた。発掘現場をのぞいてみると、周辺の木枠にパネル説明がいきどどいているので、現物を見ながら過去の歴史が手に取るように分かる。考古学の発掘調査も、「コンスタンツ公園」の出し物の1つになっている。

 町を歩いても、日本などのようにゴミが散らかっているのをほとんど見かけない。ゴミ箱の数がかなり多く、場所によっては20mおきぐらいにゴミ箱が設置されている。感心するほど町をきれいにしているというのに、タバコの箱や吸殻が路上にかなり捨てられているのはどうしたことか。また、建物の壁や地下道などに落書きが多いのはなぜか。景観保全のために、広告塔やバス停留所のみで広告をするほど、町の美観に気をつけているというのに。

 コンスタンツのバス運賃は自己申告制のように見える。切符を買う人は前の入口から入り、運転手の所へいく。切符をもっている人は後ろの入口から乗る。切符を持たずに、後ろから出入りしても、とがめられなかった。うば車もOKなのは、空いているからなのだろう。

 ツェッペリンの像をかざしたタワーのあるコンスタンツ港周辺は、湖水に接近できるよう湖岸にゆるい傾斜を持たせる工夫がしてある。昼にはプラタナスの木陰のベンチで編物や食事をする人や、また夕方などには散歩をする人々の憩いの場所になっている。人になれたカモの群れが歩き回り、白鳥が大きな音をたてて滑空していく。だが、ここにも釣り糸に足をちょんぎられたと思われる鳩がいる。釣り人のマナーの悪さはドイツでもか。ゴミはほとんど落ちていないが、なんといっても、タバコに関してはルーズだ。

(5月14日)
   フェリーの船着場から湖岸を西に散歩する。湖岸には、砂岩、硅岩などの堆積岩から片麻岩までの変性岩の礫がみられる。砂岩の割合が多いが、堆積岩から変性岩の礫を見ていると、日高やヒマラヤの河床礫を思い出す。湖岸にはゴミが少ない。漂流物には、コーラやビールの缶、タバコの箱、菓子類の包装紙などもあるが、もっとも多いのは木の枝やアオミドロのような緑の藻だ。貝類も少なく、2枚貝は2種で、薄いからでドブガイ的なもの(4cmほど)と焦げ茶の虎模様のある3角形的な4面体に近い形のもの(1cmほど)、また巻貝は1種で、形はなんと形容しようか、ほら貝を小さくしたような形で、大きさは1cm,殻は半透明の感じだ。沈水植物は見あたらない。漂流物に生物の種類が少ないのは、ゴミの少なさとともに、琵琶湖と多いに違うところだ。生物の多様性が感じられないのは、低温とホロシーンだけの短い歴史、急に深くなる湖底地形と関係するのだろう。(しかし、プランクトンは多い?)

(ファックスによる手紙文)
1990.5.14 ボーデン湖にて
琵琶湖研究所のみなさまへ
 ボーデン湖の水は琵琶湖を思い出させてくれます。というのは、富栄養化の進んだボーデン湖からの水を飲むと、琵琶湖と同様に舌にザラザラとした感じが残るからです。(それにしても、チューリッヒ湖の水のきれいなこと、旨いこと!)
 ボーデン湖会議に集まった2百名ほどの人たちも、琵琶湖との水質や観光客の動態の違いや琵総の課題などについて理解してくれたようです。湖の会議の正式報告書の出版が計画されています。
 ボーデン湖では富栄養化がかなり進んでいるとは言え、湖岸を歩いても、琵琶湖のように生物の多様さをあまり感じることができません。水草と言えば、ノリのような緑の藻と茶色の藻、貝類は2種の2枚貝に、巻貝1種が目につく程度です。このことは、ボーデン湖の湖岸が地形的に急で、深く、水温が低いことや湖の歴史が後氷期しかないので、生物の多様性が現れるには、まだ時間が短すぎるのかも知れません。
 ところが、ボーデン湖の船による巡検時に、州立研究所のミューラー先生たちがネットで表層数mを引っ張っただけで、ミジンコなどのプランクトン類が実にたくさん採れたのにはびっくりしました。そのためでしょう、サケ科の魚が豊富です。イタリー系のレストランでは大きな魚の切れ身のムニエルを売っています。魚のムニエル・サンドを食いながら、コンスタンツ港の公園を、ビール片手に散歩するのも悪くありません。
 ミューラー先生からは、ボーデン湖に関する資料をいただくとともに、データー・ブックの人文社会系のデーター記入を依頼しましたので、州立研究所の年報と一緒に送られて来るはずです。

 ボーデン湖の湖沼研究所には、前田さんの留学の件で、ティリツァー教授、ワイツ博士に会いに行ってきました。ティリツァー先生の所には、今年はかなりの人がいるので、前田さんの来るのを1年延ばせれば、スペースなど十分に割り当てることが出来るのだがと、まず初めに言っていましたが、ドイツでも同様に予算を1年延ばすのは難しかろうから、その際はティリツァー研で前田さんが研究できるよう調整してくれるとのことです。この話合いの結果はティリツァー先生から数日中に連絡されると思いますが、その時は、「滋賀県の予算制度上、来年に延ばすことができないこと、今年の 月から世話になりたいことなど」を折り返し、前田さんから返事して下さい。

 さて研究テーマですが、前田さんの7つの研究テーマを半年で行うのは困難であろう。ティリツァー先生(実際はワイツ博士)のところでは、分離した菌株の光や温度に対する増殖特性や菌株とバクテリアの共生・寄生関係、菌株とシリアータの補食関係が研究できる。シアノバクテリアの分類と菌株の毒性特性はコンスタンツ大のブーゲー先生が、シアノバクテリアの生理特性はキールの研究者たちが、菌株と繊毛虫との関係はドイツでは無理で、ノルウェーのベルゲン大の研究者がそれぞれ研究を進めているとのことです。大事なことは、前田さんがくる前に、カルチャー・ワークを十分にやってくるようにと、ティリツァー先生は強調していました。

 ティリツァー研にいるアメリカ人が10月には帰るので、前田さんの研究室は確保できるが、学生も30人と多いため、顕微鏡などの器具がフル回転で使用されており、前田さんには使いがってが悪いこともあるだろうとのことです。たしかに、案内してもらった顕微鏡室や分析室、計算機室などの各実験室には数人の人たちがいて、研究所全体がエネルギッシュな感じがした。(研究所の廊下の壁には、研究内容紹介のパネルがかなり密に掛かっている。)研究所の芝生の庭はボーデン湖岸まで広がり、目の前にマイナウ島を望むことが出来ます。この芝生の庭では、バーベキュー・パーテーをよくやるそうです。ティリツァー研の研究・生活環境は素晴らしそうだ。