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回想 追悼 五百澤智也さん-ランタン谷の思い出-

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写真1: ランタン谷周辺の山々(上はパノラマ写真で左にランタン・リルン峰7227m、右にシシャ・パンマ峰8027m;下は中央から左にランタン・リルン山塊、右端にキムジュン峰6781m)


訃報
五百澤さんの訃報を知ったのは、2014年1月16日でした。その日、「五百澤さんのご逝去」を知らずにだした年賀状への返事として、奥さまから寒中見舞いが届き、五百澤さんが2013年12月14日にお亡くなりになった訃報を知ったところ、さらに、友人の牛木久雄さんから次のようなメイルがきました。「年賀状には、書けなかったですが。 国土地理院OBの友人から、下記のようなメイルが本日着信しました。」・・・・・・・「JAC会員・五百澤智也様(昔、地理院ご勤務)のご訃報、お知らせです。お亡くなりは、昨年末12月14日。11月始めに入院なさった病院で、 「脳内出血」で。 昨夏に、お電話差し上げた際には、「足が弱くなって、 家庭菜園に行くのがやっと。」 と、いつに変わらぬ元気なお声でしたが、 突然の、残念なことになりました。 ご冥福を、お祈りします。そこで、牛木さんへは「本日、五百澤さんの奥さまから寒中見舞いがきまして、昨年12月14日に永眠されたことを知ったばかりです。傘寿になられたのに、ご冥福をお祈りするばかりです。」と、返事をしました。
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写真2.ランタン調査のフィールド・ノート(1975年1月20日)

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写真3.ランタン谷のツェルベチェ氷河周辺で測量する五百澤智也氏(左)とツェルベチェ氷河構造のスケッチ(右)


はじめてのランタン谷

五百澤さんとご一緒したヒマラヤのフィールドが、カトマンズの北にある中央ネパールのランタン谷(写真1)でした。ぼくにとってはじめてのランタン谷のその時のフィールド・ノート(1975.01.15~02.03)を見ると、現地でスケッチをたくさん描いています(写真2)。はじめてのフィールドだったからという理由だけではなく、きっと、細密なスケッチを描かれる五百澤さんの影響がぼくのフィールド・ノートの書き方にも影響したようです。私たちがランタン谷のキャンチェン・ゴンパに着いてまず始めた現地調査は、キムジュン峰(6781m)から流れてくるツェルベチェ氷河周辺で、氷河に対峙しながら測量をしている五百澤さんの立ち姿(写真3の左)を今でも思い出すことができます。
清水長正氏の「五百澤智也さん」(参考文献1)によると、「このまま地理院にいたのでは、本物の氷河を見る機会はない。氷河を見たことのない氷河地形学者では駄目だ」というので、「五百澤さんは1970年に国土地理院を退職し、以後、ヒマラヤに没頭された」(同上のp.353上段)とのことですので、このランタン行きは、五百澤さんの退職後5年のことにあたります。当時はカトマンズからバスでトリスリ・バザールまで行き、そこからランタン谷までは、歩いて5日間ほどかかりました。五百澤さんとフィールドをともにしていますと、「国土地理院を37歳で退職後、自活のために考え出した空撮ステレオ写真から作った山や氷河の細密記録図」(参考文献2のp.3)を作成するために、氷河地域の調査に敢然と立ち向かう五百澤さんの気迫をひしひしと感じました。
ランタン谷のツェルベチェ氷河はアイスフォールを思わすような急な氷河末端で、氷河流動を示す葉理(フォリエーション)構造が認められるとともに、氷河末端部には両岸に向って、またアイスフォール上部には横断方向にクレバス構造が発達しているのが認められました(写真3の右)。

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写真4.滋賀県立大学フィールドワーク・クラブのメンバーと楽しんだランタン谷でのスナップ

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写真5.2014年春のカトマンズ・シンポジウムで会ったカトマンズ大学の学生たちと


ランタン谷その後

五百澤さんは2002年に心筋梗塞になり、「地獄の入口まで行って戻ってきましたよ」と後で苦笑されていた」(参考文献1のp.351下段)そうですが、ぼく自身は新しい滋賀県立大学に転勤した1年後の1996年春に狭心症になり、おそらく五百澤さんも経験したであろう心臓が絞めつけられる苦しみにおそわれ、「地獄の入口」(同上)を経験した後、いろいろな薬を飲まされるはめになりました。ただし、ぼくの場合はストレスが原因だったようで、ストレスの少ない生活をすれば、狭心症再発は免れる可能性があると言うので、それ以後はストレスのかかる大学の会議などはできるだけ失礼し、9つのクラブ活動の顧問(参考資料3)をしながら、学生たちとの大学生活を楽しむように努めました。そこで、狭心症発病4カ月後に、よりストレスの少ない生活を求めて、フィールドワーク・クラブの学生たちとともに半月ほどのランタン谷トレッキングに行き、ひさしぶりのヒマラヤ・トレッキング(写真4)をした結果、心臓の調子が良くなり、薬漬けの生活からやっと解放されました。
さらにまた、2015年春にはカトマンズ大学で講義をすることになっていますので、その時には講義だけではなく、カトマンズ大学の友人、リジャン氏が「We can organize a field trip in April or May in Langtang Valley. There will be frequent field trips for various purposes such as data collection, station maintenance and so on. 」と述べていますので、ランタン谷の現地でフィールドワークをしながら、2014年春のカトマンズ・シンポジウム(参考文献4)で会ったネパール人学生たち(写真5)とディスカッションしたいと思っているところです。

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写真6.干場悟氏一行が2012年3月21日に撮影したツェルベチェ氷河下流域

    ところでツェルベチェ氷河の末端変動ですが、干場悟氏一行は2012年春にカトマンズからシャブルベンシまでバスで行き、トレッキングでツェルベチェ氷河周辺に行った時に撮られた写真(写真6;参考文献5)と1975年のとを比較すると、末端位置が後退していることがはっきりと分かりました(写真7)ので、来春、ツェルベチェ氷河を再訪する時には、五百澤さんに伝授していただいた測量を行い、ネパールの学生たちとともに、ツェルベチェ氷河の末端変動をあきらかにしたいと計画しています。
また、自動車道路が年々伸び、滋賀県立大学の学生たちと行った1976年のバス道路は、トリスリ・バザールからドュンチェまで伸び、ドュンチェ手前の地滑り地帯でバスの運転手さんは大いに苦労していましたが、2012年の干場さんたちの時はさらに道路が伸び、ランタン谷の入口であるシャブルベンシまで達していたとのことです。このような道路などの急速に進行している開発がおよぼす周辺環境への影響も見てきたいと思っているところです。
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写真7.ツェルベチェ氷河の1975年と2012年の末端位置の変化から氷河の後退がはっきりと分かる。

参考文献
1.清水長正 (2014) 五百澤智也さん.山岳, 109巻, p.351-357.
2.五百澤智也 (2007) 山と氷河の図譜.ナカニシヤ出版.
3.経歴  http://glacierworld.weebly.com/3207627508.html
4.ネパール2014春調査報告 8 -ICIMOD会議-.
http://glacierworld.weebly.com/20142418026149124931249712540125233551926619812288icimod2025035696.html
5.干場悟 (2012) ランタントレッキング6日目.http://jjhoshiba.blogspot.jp/2012_04_01_archive.htmlPS
8月28日~31日は立山・千寿が原に行き、干場悟さんから下記のヒマラヤのデータベースの整備を教えていただく予定です。記
1)時系列ブログ
氷河へのお誘い<http://hyougaosasoi.blogspot.jp>
2)テーマ別ウェブサイト
氷河へのお誘い<http://glacierworld.weebly.com>
3)ヒマラヤなどの写真データベース(10万点以上)
ピカサウェブアルバム<http://picasaweb.google.com/fushimih5>