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2015年ネパール春調査(15) 余録(2) KCH

画像写真1 新築直後のKCH(1976年)。

 白石さんとで設計したカトマンズ・クラブ・ハウス(KCH)は、ボーダナート寺院近くのクソン・ノルブ・タワーさん(以下タワーさんと呼ぶ)の敷地のなかに完成した(写真1)。1976年のことであった。KCHの建設資金は、渡辺興亜さんが中心になって日本のヒマラヤ関係者から集めた。このKCHは1990年代半ばまでヒマラヤ関係者の基地としての役割を果たすことになる。写真1の玄関前の左右2本の小さな松の木に注目しておいて欲しい。

画像写真2 玄関でのスナップ(1980年;左がタワーさんで、その右が奥さんのフルバ・チャムジさんか?、後列中央が渡辺真之さん)。

その役割のひとつの例として渡辺真之さん*の隊は1980年に滞在している。この写真は隊のKCH玄関でのスナップで、後列中央が渡辺真之さん、左がタワーさんで、その右が奥さんのフルバ・チャムジさんのようです(写真2)。

追悼 渡辺真之さんhttp://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/10/blog-post_9.html


画像写真3 KCLの玄関前〈2003年)。松の木の成長に驚かされた。

  築後17年目で玄関前の小さかった松ノ木がKCHの建物以上に大きくなっている(写真3)。松ノ木の根が大きく張って、とくに左側の根が建物左部分の土台を持ち上げていたので、その時案内してくれたJPラマさんと「根切りする必要があるかもしれない」、と話したほどだった。建物の外壁であるが、もともとはコンクリートの打ちっぱなしで灰色であったが、全体が赤茶色に塗られていた。

画像写真4 タワーさんの奥さんの墓前のJPラマさん〈2003年)。

 2003年にKCHを訪れたすこし前に、タワーさんの奥さんが亡くなっており、旧KCHには複数の家族が住むアパートのような建物に変わっていた。旧KCHを管理する女性はいたので、奥さんの墓前にお参りをした。写真4はその時のものである。

画像写真5 旧KCHへの入り口(2015年)。

サンクーへの地震調査の行き帰りに旧KCH前を通ったのであるが、あまりの変わりように、旧KCHの場所を特定することができなかった。今回案内してもらったJPラマさんですら、ビルの合間を幾度となく確かめながら、自動車修理工場(National Motors)の入口(写真5)を見つけることができた。

画像写真6 旧KCH玄関前の自動車修理工場内で(2015年;パノラマ)。

自動車修理工場の門から中に入ると、思い出の旧KCHはあったが、修理場用のブリキの屋根が邪魔して赤の点線内の旧KCHの建物(写真6)をしかと見つめつことはかなわなかった。しかも、右側の松ノ木はさらに大きく成長していたが、驚いたのは、左側の松ノ木が枯れていたのである。大規模な根切りでもしたのであろうか。

画像写真7 旧KCH前の自動車修理工場内で(2015年;左が J. P. ラマさん)。

  さっそく、旧KCH前と言おうか、自動車修理工場内と言おうか、とにかくJPラマさんと記念写真(写真7)。さて、また1つ変化していたのは、外壁の窓より高い部分が白に塗られていたことであった。

画像写真8 旧KCH玄関(2015年)。

玄関(写真8)から中に入ると、各部屋は従業員がすむ宿舎になっている。さらに気づいたのは、旧KCH周辺でもやイェ行けの悪い家は倒れたり、ヒビが壁に入っていたりしているが、旧KCHの建物の外壁も内部も健在で、日々などは見られなかった。

画像写真9 旧KCH北側の壁と窓(2015年)。

北側の外壁をつぶさに見ても、ヒビなどは一切見つからなかった。面白いことに、窓ガラスの上の方まで空色のペンキが塗られていた(写真9)。目隠しなのか、青空を見たいという心境の表れなのであろうか。それとも、両方か。

画像写真10 ボーダナート寺院入り口付近で酔いつぶれて寝込む人(2015年)。

  6月6日にサンクー調査*へ行く途中、ボーダナートに立ち寄った時、正門近くで酔いつぶれて寝込んでいる人を見かけた(写真10)。この写真を撮ったのは、実は、タワーさんの最後は悲惨で、奥さんとも別れ、ボーダナートで酒浸りだったというタワーさんを、1990年前後だったと思うが、竹中さんがボーダナートに行き、タワーさんの寝込み姿を写真に収めていたのを想いだしたからである。
*サンクーで考えた。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2015/06/2015-2015.html

20世紀末のネパールは大きく変化した時期だったのではなかろうか。ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊を立ち上げた1973年に、東ネパール・クンブ地域のハージュン調査隊基地を建設し、調査を軌道にのせてくれたペンパ・ツェリンさん*は謎の死をとげている。一説によると、英語やチベット語などの外国語が得意だった彼は、アメリカのCIAもからんだともいわれるチベット独立運動が渦巻いた1970年代後半のネパールの秘密警察に利用され、最後には消されたのでは、とも言われている。ペンパ・ツェリンさんの後を継いだハクパ・ギャルブさんの弟はバングラデッシュで勉強した技術者で、生物学科をでた畑違いのハクパさんの建設会社では必要不可欠の人だったにもかかわらず、自殺をしてしまうのである。現在のネパールはバブル的な成長経済とも言われるが、21世紀が始まる直前の20世紀末のネパールは大変革の時代で、多くの人々はその波にのまれてしまったような気がするのである。旧KCHにとってなくてはならなかったタワーさんも、またタワーさん同様アルコール中毒で体を痛めて亡くなった奥さんも、そうした人たちであった。旧KCHもまたしかり、玄関の1本の松の木は大きく成長したが、他の1本の松の木は枯れたえてしまったことがネパール社会の、同時にまた人々のこの時代の変化を象徴しているようだ。
そのような人たちを押し流してきた20世紀末から21世紀初めのネパールに、2015年春、巨大地震が襲ったのである。
ネパール氷河調査隊ハージュン基地建設
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/09/blog-post.html
*追悼 井上治郎さん
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013_09_01_archive.html

PS KCHの前後

KCHの前身は、1974年、ターメルの北のゴルクファカに間借りした家および、その後にシンガダルバールの東のドビ・コーラの辺に借りた一軒家、通称「ヒマラヤ・ヴァーバン」であったが、1990年代中頃以降のKCHは山田さんや門田さん、および貞兼さんたちによって引き継がれてきた。また、タワーさんの子供のことであるが、長男のアン・ナムギャルさんは自殺したが、次男のフジ・ザンブーさんと長女のカルシャン・ディキさんはともにニューヨーク周辺にいて、ザンブーさんは運転手、ディキさんは看護婦として豊かな暮らしをしているそうです。二人とも外国暮らしとは、日本やドイツでの生活が長かったタワーさんの血を受け継いでいるようだ。