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1.カトマンズの第1印象は、黒、だった。

カトマンズ到着以来ほぼ1カ月になるが、ヒマラヤが見えたのはわずか3月15日と16日の2日だけである。それも、はっきりと見えたのではない。スモッグ の中に、日本隊が初登頂したマナスル峰もうっすらと見えたにすぎない(写真1;

2.ヒマラヤ地震博物館とヒマラヤ災害情報センター

ヒマラヤ地震博物館とヒマラヤ災害情報センターカトマンズ到着以来ほぼ1カ月になるが、ヒマラヤが見えたのはわずか3月15日と16日の2日だけである。それも、はっきりと見えたのではない。カトマン ズ大学(KU)周辺のスモッグの

3.ネパール地震の経験から-ヒマラヤ地震博物館構想-

写真1 カトマンズ旧王宮の地震前(下)と地震後(上) 写真2 岩屑雪崩で埋まったランタン村とランタンコーラ 2015年2月24日~6月9日の「ネパール2015年春」計画の主な内容は、1)カトマンズ大学の講義と2)ポカラ国

4. 二つの会議

4月25日は「2015年ネパール地震」から1年目の記念日で、地震に関する下記の二つの会議がカトマンズで行われましたので、報告します。 記 会議1)International Workshop on Gorkha Eart

5.ゴルカ地震国際会議

ネパールへ来て2カ月近くたちましたが、ヒマラヤは一向に姿を見せてはくれません。厚いスモッグの層に隠れているからです。インド方面では40度以上の高温が続き、ヒマラヤ周辺の乾燥状態が続いているため、大気中の汚染物質がたまった

6.マナスル初登頂60周年記念祝賀会

2016年4月29日にマナスル初登頂60周年記念祝賀会がカトマンズで開催されましたので、報告します。日本山岳会が主催した会場はラディソン・ホテルで、夕方6時半から9時まで盛大に行われました。 祝賀会の開会はネパール式の点

7.カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー

2016年5月1日、国際山岳博物館で展示更新を行うため、バスでカトマンズからポカラへ向かいましたが、今朝のカトマンズも相変わらずのスモッグ空 で、ヒマラヤが見える気配はありませんでした。どうして、こんなにスモッグが濃いの

8.最終講義の報告

カトマンズ大学の講義のタイトルが“ネパールヒマラヤの環境変化” (*1)ですので、1965年以来のネパールヒマラヤにおける氷環境変動に関して、この半世紀にわたる12万枚ほどの写真資料を整備したデータベース(*2)を利用し

9.お世話になった方々

ネパールに来てヒマラヤが見えないほど残念なことはありません。そこで、ヒマラヤが見える割合を「ヒマラヤ展望率」(*)と呼んでいますが、昨春の38%に対して、今春はわずか8%にしか過ぎないという前の報告以来、依然としてヒマラ

10.お世話になった方々(追加)とヒマラヤ博物館構想の進展

 ネパールを離れる6月2日の前日、6月1日にはネパール復興局Under Secretaryの  Bhishma Kumar Bhusal博士とトリブバン大学のVishunu Dangol教授、6月2日にはやはりトリブバン

11 ヒマラヤ地震博物館に関して-雲南懇話会とネパール地質会議、カトマンズ大学講義-

みなさまへ ヒマラヤ地震博物館について、雲南懇話会およびネパール地質会議で発表するとともに、来年の3月~6月にはカトマンズ大学で3年目の講義をすることになりましたので、お知らせいたします。 「第38回雲南懇話会」(添付資

12. 新しいヒマラヤの写真データベースなど

富山市からも立山や剱岳が見渡せた(P1)2016年9月30日から10月4日まで立山カルデラ砂防博物館を訪れ、干場悟さん(P2)にお願いし、ヒマラヤの写真データベースの新しいホームページ「氷河の世界」(P3)を作っていただ

13.カトマンズに戻りました

2016年ネパール通信13 カトマンズに戻りました  (1)ネパールの空から(11月22日) 11月22日午後2時、カトマンズに戻りました。今日は天気に恵まれ、ヒマラヤがよく見えました(写真1)。 東ネパールのクンブ地域

14. ネパール地質会議そして、東ネパールで地震発生

2016年11月27日にネパール地質会議が始まり「ヒマラヤ地震博物館」*の構想を発表しました。 すると、翌28日午前5時20分にマグニチュード5.6の地震が東ネパールで発生し、アマダブラム 登山中のシェルパの人が落石で亡

15. 帰国しました

11月29日、カトマンズで開かれていた午前中のネパール地質会議に参加し、ヒンズークシ・カラコラム・ヒマラヤ全域の氷河台帳をまとめているICIMODのサムジワル・バジラチャリャさんたちの発表を聞いてから、カトマンズ空港に向

16 .サロンからヒマラヤへの想い

国際雪氷学会の名誉会員に選出された樋口敬二先生の卒寿記念の文集刊行に際して、1970年代に樋口研究室にお世話になって学生によるヒマラヤ調査を始めるとともに、その後も氷河研究を続けてきた半世紀の経過を振り返り、友人たちとの