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13.地質構造

   ヒマラヤ地域の上昇のプロセスとその原因を考える上で、まず地質構造を明らかにすることが必要である。なぜならばヒマラヤ地域の上昇を引き起こした強大な圧力と温度の影響は長い時代にわたる上昇のプロセスを通じて、ヒマラヤ地域の岩石、鉱物、そして大きくはその地質構造にあらわれている、と考えられるからである。
  リチャード・ストラッチィはガルワル・ヒマラヤからチベット中央部へと広く旅行し、地質調査とともに、ガルワル・ヒマラヤのピンダール氷河の流動測定や氷河構造を調査したり(文献26、27)、また植物調査なども行ったナチュラリストであった。彼はヒマラヤ地域の地質構造についての考え方を1851年に発表し(文献25、図3-A)、ヒマラヤ地域の基本的な地質構造が北に傾斜しており、ヒマラヤの上昇は東西方向の地層の走行方向に沿う運動と花こう岩の活動に伴う下からの運動とによって起こされた、と述べている(注7)。ストラッチィの後に初期のヒマラヤのナチュラリストの伝統はヘルマンとアドルフ・シュラーギントワイト兄弟などに引き継がれてゆくのをヒマラヤ地域の探検史上に見ることができる。  ロツィーは1907年にシッキムとネパールの境のカンチェンジュンガ峰付近の調査によって、ヒマラヤ地域の地質構造が南へ向かって約150キロも衝上している巨大な逆転褶曲とナッペ構造であることを示した(文献28)。ナッペ構造とは、横臥褶曲や衝上断層によってある岩体が水平に近い基盤上を大規模に移動した構造である。彼の考え方は後のヨーロッパ人の研究者たちに大きな影響を与え、ヒマラヤ地域の地質構造がヨーロッパ・アルプスの地質構造と類似したナッペ構造などからなっている、という解釈を定着させた。そして、アーガンドはアルプス山脈の地質構造がナッペ構造であることを提唱した一人であり、インド亜大陸がアジア大陸の下にもぐり込んでゆく運動によってヒマラヤ地域が南へ張り出し、そしてヒマラヤ山脈が形成された、とする仮説を示した(文献32)。
ハーゲンは10年以上もネパールに住みつき、美しい写真のある本『ネパール』(文献29)によってネパール・ヒマラヤを紹介した人である。彼はヒマラヤ地域の地質構造が幾つものナッペ構造でできており、これらのナッペの運動によってヒマラヤ山脈が形成された、と考えた(文献30、図3-C)。そして彼は、数千キロも遠く離れたヒマラヤ山脈とアルプス山脈との地質構造がほとんど違っていない、と述べている。
橋本らは1950年代から長期にわたる地質調査を行い(文献31)、在田が示しているように(図3-B)、ヒマラヤ地域の地質構造はブロック構造が基本であることを示した。ストラッチィを除いてヨーロッパの地質学者は、アルプス山脈に見られるような主として水平方向の運動によるナッペ構造がヒマラヤ地域の基本的な地質構造であるとしているのに対し、垂直方向の運動を重視する橋本らはヒマラヤ山脈の基盤が垂直方向に変位するブロック運動によって上昇したとする仮説を提案し、ヨーロッパの研究者のいわゆるナッペ運動とは異なった考え方を示している(図3-DとB)。
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