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015年ネパール春調査(15) 余録(1) お世話になった方々

画像ハクパさんと干場さん

かなり真面目な顔つきで議論沸騰している二人の様子が忍ばれる。干場さん(写真1の右)は右手の人差し指を突き出し、真剣そのものです。たしか、地震直後の復興をめぐる議論でしたが、10年以上の長期的視点で述べるハクパさん(写真1の左)と短期的・現実的視点に立つ干場さん、ネパール語と英語を交えた両者の議論はなかなかまとまりそうにはありませんでした。まぁー、とにかく、お二人には長年お世話になっています。ハクパさんとは50年、干場さんとは10年ほどのお付き合いです。ハクパさんからは貴重な現地情報をいただいていますし、干場さんからは情報管理、データベースなどでコンピュータのお世話になっています。
 

Pictureリジャンさんとソナムさん

この写真は3月はじめの国際氷河学会で発表したソナムさん(写真2の左)のポスター前で撮った写真です。リジャン・カヤスタ助教授(写真2の右)はネパールの氷河研究の中核的な方で、今回のカトマンズ大学の講義に来るように声をかけてくれました。ソナムさんはリジャン教室の修士課程1年目の学生で、クンブ地域のクンデ村出身のシェルパニです。今後の成長が大いに楽しみです。
 

画像講義の受講生たち

カトマンズ大学の講義の主な内容は「ネパール・ヒマラヤの環境変化」で、受講学生は、リジャンさんの研究室で氷河学を学ぶ修士課程1年目の10人(写真3)でした。10人の学生のうち5人が留学生(パキスタン3名、インド2名)で、あと5人のネパール人のうち2人が、クンブ地域のシェルパの人たちでした。
 

Pictureダンゴル教授

 4月初めに行われたネパール地質学会の責任者であるトリブバン大学のヴィシュヌー・ダンゴル教授(写真4の右)は、学会参加費4万ルピーを半額にしてくださった方ですから、大いに感謝しなければなりません。教授からは会議後、次のようなメイルが送られてきました(写真4左の八木さんについては後述)。
Dear Fushimi sensei
I express my heartfelt gratitude to you from the bottom of my heart for making the 7th Nepal Geological Congress a success. Your active participation and support was instrumental for us to                                  organize the Congress.Thanking you once again
Vishnu Dangol, Ph.D.
Convener, Seventh Nepal Geological Congress


Picture門田さん

3月初めの国際氷河学会のICIMOD主催の晩餐会が Yak & Yeti の庭園で行われました。今回の国際氷河学会ではICIMODが強力にバックアップしていたのが印象的でした。これはその晩餐会で撮ったのが写真5で、ICIMODのデービッド・モルデン所長夫妻をなかにして、右が門田さんです。残念ながら、門田さんはこの会議後1ヶ月半ほどして急逝してしまいましたが、あたかも巨大地震に見舞われたヒマラヤのような驚きでした。この写真を撮った日は、ヒンズー教の色かけ祭り(ホーリー)の日で、雲ひとつない夜空に満月が輝いていました。


画像トラチャンさん

カリガンダキ川上流のツクチェ村出身、なになにチャンの名前のとおりタカリー族です。ホテルなどあまりなかったポカラに、30年前の40才前後の時、かなり大きなドラゴン・ホテルを建てたというから相当なやり手であることは間違いありません。そのトラチャンさん(写真6の右)がホテルが古くなったので新たに建て直したいというから、玄関を入ってすぐ左の欄間風の雪の結晶が掘られている壁などの古き良きものは保存したほうが良いのでは言っておきました。彼はネパール山岳協会の国際山岳博物館に関する相談役を務めています。現在ホテル業は息子のアショックさん(写真6の左)に譲っているので、70になっても、ネパールのアーチェリー選手としてアジア大会などに出場してまだ現役生活を楽しんでいる



画像スキヤキ・パーティの和田さん

そのトラチャンさん(写真7の左)がすき焼き・パーティーをしてくれました。ネパールではあまり手に入らない牛肉(どうやらコルカタ辺からくるらしい)を仕入れてきて、各種野菜も山盛りにした豪快なすき焼きでした。お客さんはネパール人の奥さんを持つ和田さん(写真7の右)で、ポカラ住まいが30年ほどになるという。もともとはJICAのボランティアーで、水産関係の仕事をし、現在ネパールで盛んになってきたニジマス養殖をはじめて行ったそうです。ネパールのニジマスは宮崎県産の卵が元になっているとのこと。彼は国連の労働関係の仕事もリタイヤーし、今はもっぱら畑仕事をしています。今年は異常気象で、とくに雹が多く、農作物に大きな影響が出ているとのことです。今年のヒマラヤは雪が多く、雪崩災害が発生していますので、地震があった今年のネパールは山も里もトリプルパンチの災害年です。
 

画像博物館展示とライ事務長

彼のフル・ネームはバル・プサッド・ライさん(写真8の左)で、名前の通り山岳民族、ライ族出身で、専門は民俗学です。博物館の展示は3大テーマ(山岳民族、自然、登山)で構成されていますので、彼は山岳民族部門を担当しています。事務長ですので、展示に必要な経費は今回も彼に相談し、見えにくくなった古い展示を更新するとともに、新しく「2015年ネパール地震」の展示をくわえたところ、早速見に来てくれました。


画像サンタ・ラマさん

サンタ・ビル・ラマさん(写真9)はネパール山岳協会の副会長で、国際山岳博物館を担当しています。任期は2年ですが、すでに半年過ぎ、最後の半年は次の選挙で仕事にならないので、この1年のうちにできるだけのことをすると言っていました。具体的には、辞めてしまった地質の学芸員の問題、さらに現在の生物の学芸員やガイド役および事務長役の課題、収納倉庫の新設や庭などへの水道施設の充実、外国の博物館との友好関係を進めることなどを考えているそうです。とにかく、年間入館者16万人ほどの入館料を3割程度値上げしたので、財政的に楽になっているので、この期に改革をできるだけ進めたいと話していました。


Pictureケシャブ・シュレスタさん

カトマンズの西にあるスワヤンブナート寺院の南側にはトリブバン大学付属自然史博物館があります。京都大学に留学したケシャブ・シュレスタさん(写真10)は元博物館の館長だった方で、荒廃した環境を取り戻すため、環境教育と緑化活動を進めるNGO組織「ネパール環境教育開発センター」(略称セニード)を設立しました。私たちも彼の活動を支援していますので、今回自然史博物館の現状を見るために行ったところ、博物館は閉鎖され、玄関と前庭周辺にはテントが張ってあり、避難民が滞在していました。玄関前にいた方にケシャブさんのことを尋ねると、電話してくれ、3日前にカナダから戻ってきたばかりのケシャブさんに再会することができました。話は地震被害の暗いものが多かったのですが、最後に「博物館敷地の環境公園だけは地震の影響もなく順調に育っている」と初めて笑みを浮かべて語ってくれました。


Pictureアジャル・アディカリさん

アジャル・アディカリさん(写真11)のお父さんのことは、ぼくの友人である平田更一さんの会社で画像解析の仕事をしていた関係で、1年前に亡くなられたことを聞きましたので、去年カトマンズに到着してすぐにお宅を訪ねて行きました。アジャルさんはカトマンズで仕事をしていますので、東京で本の編集の仕事をしている日本人の奥さんとは別居で、上手な日本語で「単身赴任です」と笑顔で言っていました。 アディカリさんの父、チェトラ・プラタップ・アディカリさんは上智大学に留学し、日本文学を研究しました。ネパールでは、夏目漱石や宮沢賢治など本をネパール語に翻訳した本を出版するとともに、彼の「富士山麓}というネパール語の俳句の冒頭には、「富士山とピンクのサクラの日本人と、ヒマラヤと赤いシャクナゲのネパール人は義兄弟」と書かれていることをアジャルさんが教えてくれました。庭に植えられたソメイヨシノの花を見てチェトラ・プラタップ・アディカリさんは去年亡くなられたとのことですので、今春1周忌が予定されていましたが、地震のため延期になりました。
実は、チェトラ・プラタップ・アディカリさんは亡くなられたあと検体になって、医学生たちの教材になっているのですが、脳や心臓にはたくさんの思いが込められているから。心して解剖してくれるよう医学生に懇願する詩が残されています。アジャルさんからお父さんが検体になっていることを聞いていましたから、今回のネパール調査に当たって、2度の心臓手術をしてきましたので、何かの時には最後のネパールへのご方向として検体になることを、来る前の遺書に書いてきました。アジャルさんにネパールの検体のことを調べてもらいますと、検体はあまり望まれていないことがわかりました。というのは、インド周辺などの遺体を扱う業者からたくさんの検体がはいってくるのだそうです。そのような事情もわかりましたし、幸いなことに、ぼく自身は検体にならずに帰れそうですが、来年春に来る予定ですので、もう少し調べてみようと思っています。


Picture宮原さん

80才の宮原さん(写真12)は今ポカラに大きなホテルを作っています。場所は風光明媚なサランコット。フェヴァ湖岸からロープウェイでお客さんを運ぶという雄大な計画です。ポカラ空港近くの事務所に寝泊りして現場に日参している姿は若々しく、とても心臓冠動脈にステントがぼくより1つ多い、8つも埋め込まれている人とは思えません。事務所で長年働いているラムさんの日本食で元気を取り戻しているのでしょう。ぼくもラムさんの美味しい野菜天ぷらをご馳走になりました。

 そもそも宮原さんに初めてお目にかかったのは1970年、日本エベレスト・スキー隊が終わり、東ネパール・クンブ地域のギャジョ氷河に滞在している時でした。数ヶ月ごとにナムチェ・バザールに買い出しに来た時に、エベレスト・ビュウ・ホテルを作っていた宮原さんはシャンボチェのモレーンの丘にテント暮らしをしていました。買い出しの後に宮原さんのテントを訪れると、京都大学の井上さんもいて、香りがあまりないのですが大きなマツタケのような形をしたキノコを料理してくれました。宮原さんはパタン(ラリティプール)にもヒマラヤ・ホテルを作っていますので、ポカラのが3つ目です。老いてますます盛ん、という感じでした。


画像ザヤ・サンジャさん

前述のサンタ・ラマさんから、バンダ(ゼネスト)中止のため、モンゴル山岳協会の方の歓迎会を行えるようになったので、ついては参加しないかと誘われました。歓迎会場はネパール・レストランで、広島会議にも参加し、多少の日本語を話すモンゴル山岳協会長のザヤ・サンジャさん(写真13の右)にお目にかかることができました。どっしりとした貫禄のある彼女も踊りだすほどの楽しい会になりました。さっそく、写真を送ったところ、次のような返事がきました。
Zaya Sanjaa  2015/04/11
宛先: 伏見 碩二
Dear friend FUshimi
Yes we all of us had very nice time. I was very happy. And I saw of Mongolian climber. Now I am going to mongolia. Waiting for fligth, sitting in a Internet cafe. Thanks a lot.
Wish you all the best. Welcome to mongolia when available. I can invite you with my pleasure.
Warm regards,
Zaya Sanjaa


画像貞兼さんと八木さんのグループの方々

「2015年ネパール地震」で引き起こされた雪崩で大きな被害を受けたランタン村があるランタン谷の調査を行っている貞兼・八木両グループが5月31日に情報交換をヒマラヤ・ホテルで行いました(写真14)。
貞兼さん(写真14の右手前)
日本では反原発、反沖縄基地課題の情報センター的役割を精力的におこなう闘士ですが、一方40年ほどにわたりランタン村を支援し続けてきている篤志家でもある。もともとは東洋文庫のチベット研究者で、ヒマラヤの地名などではいつも誤りを訂正してくださるチベットノロジーの碩学であるところが、ランタン村のチベット的文化・社会とのつながりの深さの根源かも知れない。1970年代半ばに彼女が息子と呼ぶランタン村のテンバさんの父親との関係から始まり、今年4月25日の雪崩でほぼ全壊した村の再建を息子たちとともに取り組んでいます。両手を広げて、アルコールがダメな彼女が、あたかも酒に酔ったような口調で話すしぐさは女将の感じがしたものです。中原さん(写真14の右から4人目)
今回同行の中原さんは立派なカメラを常に持っているので、てっきりカメラマンとも思いきや、彼もまたチベットぬきに語れない方のようです。チベット避難民を長年援助する彼は、あのナンパ・ラ(峠)にかつて行ったことがあるそうです。なんとその時高度5741 mのナンパ・ラで、(貞兼さんによれば)彼は上半身裸になったという。よほど、気分が高揚したに違いない。ぼくは1980年と1987年にティングリ・ゾン方面からチョー・オユーの西のナンパ・ラを仰ぎ、いつかは峠にたちたいと思ったものです。チベットの地名が並んでくると、貞兼さんの声が聞こえそうなので、このへんで。なにせ、ナンパ・ラのナンパはナンパではないそうなので。
八木さん(写真14の左)
山形大学の八木浩司教授は4月のネパール地質学会で”Critical slope angle inducing landslides on dip slope by each geological type in central western part of the lower Nepal Himalaya”のポスター発表を行い、現地調査に基づく地滑り地形の詳細な地図などの成果に注目が集まっていました。
桧垣さん(写真14の右から5人目)
10年ほど前のブータンの氷河湖決壊洪水地形の調査に同行するとともに、3年前のポカラのセティ川洪水調査時には事前の情報交換をしましたが、残念ながらポカラでは会うことができませんでした。今回はカトマンズで、ヘリコプターによる現地調査前に会い、情報交換することができました。
若井さん(写真14の右から6人目)
両グループの情報交換の場では、終始落ち着いた感じで、片隅に座っていたような印象です。群馬大の教授ですが、今回初めての方ですので、紹介する情報がありません。(写真14の右から5人目)


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お寺など(文化と自然)
お世話になった「方々」ではありませんが、その文化・自然的魅力からは大いに励みをもらい、その光景を浮かべると、「よし、もう一丁!」との思いをおこしてくれた立役者?でもありました。
まず、バグマティ寺院さん
朝な夕なに大学宿舎のベランダから眺めていました。カトマンズの聖なる川、バグマティは泥の川になり、死んでしまいましたが、バグマティ寺院の方はドゥリケルの旧市街の住民に守られて生きています。とくに、お寺の背後から登る朝日は印象的で、朝日の光の屈折でお寺の建物が大きく歪んで見えることもある(写真15の左上)のですね。
次はカッコーさん。
大学図書館横のジャカランダの木陰で寝転んでいると、近くまできてくれて素晴らしい声をきかせてくれた(写真15の右上)ものでした。ここもカラス天国ですから、ともすると、鳴いてくれているカッコーを追い払いに、憎っくきカラスめが襲撃するのです。大学に来た3月初めから大学を去る6月初めまでの3ヶ月もの間、毎日歌い続けてくれました。カッコーは渡り鳥かと聞いてましたら、ここでは大切な留鳥、大学の森の住人です。そしてジャカランダさん。
カトマンズの街のそこここに紫色のジャカランダ(写真15の左下)を見かけますが、中央の公園(ツゥンディケル)にはジャカランダの並木が見られます。そこは現在地震災害用の広大なテント村になっていますので、せめて避難民の慰めになってくれることを願うばかりです。
最後は火炎樹さん。
5月末から6月初めになると緋色の火炎樹(写真15の右下)が満開の季節を迎え、ポカラの女性たちは緋色などの赤色のサリーを身にまとい、満開の火炎樹の下を闊歩する。カトマンズの女性たちがジャカランダの紫色を好むのに対して、ポカラでは、原色に近い熱帯的な赤系統の色が好まれるようです。