カイラス飛行

カイラス飛行のメンバー(左から3人目が樋口明生さん・二人目が安成哲三さん、右から二人目がキャプテン・ウィックさんと整備士たち)

はじめに

あまりにもちかづきすぎたため前山にかくされていた世界最高峰チョモランマは、一歩一歩登るにつれて、なにものをも圧倒する姿をますます大きくするようだ。ネパール・ヒマラヤの氷河調査をつづけながら5千メートルの雪原の峠にたどりつくと、谷までの狭い視野とはうってかわり、神々の座の大パノラマが展開する。
ネパール・ヒマラヤには8千メートルの高峰だけでも8座あり、7千メートル級となると目白押しだ。山が大きければ、谷も深い。なにしろ正確な地図が少ないので、高く昇らないと、山のうしろの谷にはどんな氷河があるのか、さっぱりわからない。
ひとつの流域で氷河調査をするだけでも、おおくの日数がかかり、体力・登山技術を必要とする。私たちが踏査したネパール・ヒマラヤの氷河は、たかだか20ほどにすぎない。そもそも、ネパール・ヒマラヤの氷河数はどれくらいか。面積はどうか。そんなことすら1970年代にはわかっていなかった。そして、どのような氷河がどんな分布をするのか。それが基本的問題だ。*注1
そこで私たちは、地上を歩きながらアリの目で踏査するとともに、東西約8百キロにわたるネパール・ヒマラヤの氷河分布をあきらかにするために、高いところからトリの目で飛行機観測をする必要があった。樋口明生さんは、ネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊(樋口敬二隊長)の、いわばトリ班の班長さんだった。

ヒマラヤ南面

黒いクンブ氷河

ヒマラヤ山脈南面の神々の座に源をもつ氷河は一般に岩石で厚くおおわれている。たとえば、チョモランマから発するクンブ氷河下流域の岩石のあいだを歩いていると、いわゆる氷河のうえにいるというよりも、賽の河原に迷いこんだ感じがする。ヒマラヤ山脈南面の氷河は、クンブ氷河のように、岩石のおおい「黒い氷河」だ。
クンブ氷周辺は、高度差が2千メートルほどの急な崖となっているので、たえまなくおこる落石などによって岩石が氷河にたくわえれる。そして、氷河下流域では融解がすすむので、岩石が表面にあらわれ、氷河下流域を黒くおおう。このことは、北アルプスなどの春の雪渓が白いのに、夏ともなると雪渓にふくまれていた土砂が表面にたまり、黒く汚れてくるのと似ている。
氷河表面をおおう岩石が数メートルもの厚さになると、太陽の熱が氷河氷に伝わりにくくなるので、下流域の氷河氷は長いあいだとけずに保存される。動きのみられない「黒い氷河」の下流域は、かつての氷河拡大期の名残りである可能性をしめす。19世紀に、鎖国していたネパールに入ることのできなかった研究者は、インドのダージリンなどの丘陵地から望遠鏡で観察したところ、教科書的な白い氷河がみつからなかったので、ネパール・ヒマラヤには氷河がない、と報告したという。いみじくもこのことが、ヒマラヤ山脈南面の氷河の特徴をいいあてている。
それではいったい、ヒマラヤ山脈南面よりさらに乾燥したヒマラヤ山脈北面の氷河はどんな顔つきをしているのか。

ヒマラヤ北面

ポカラ空港のキャプテン・ウィックさん(背景はマチャプチャリ峰)

樋口明生さんたちによる1978年の第1回飛行機観測が西ネパール地域となったのは、つぎのような理由があった。東ネパールではヒマラヤ山脈の主稜線が国境になっているのに、西ネパールでは国境がヒマラヤ山脈の北側にあるため、東ネパールではちかづくことのできないヒマラヤ山脈北面の氷河を観測することができる。また、カトマンズからの飛行距離が往復千キロをこえるため、ピラタス・ポーター機では2地点でのガソリン補給と2日がかりのフライトとなるため、飛行機予約のむずかしいネパールでは、まず最初にこの地域をかたずけておきたかった。しかも、この地域の航空写真の良いものはこれまでほとんど公表されておらず、うまくいけば、インダス川とガンジス河の分水嶺となっている聖山カイラス峰とマナサロワール湖をみることができる。

 


 

渡辺興亜さんたちが調査した白い氷河:タクプ氷河

11月15日、早朝の雲があがり、既に前日に到着していた中央ネパールの第1の給油地・ポカラの北にそびえるアンナプルナ連峰を背にヒマラヤをはなれ、飛行機はひとまず南にむかい、熱帯的なガンジス平原の第2の給油地・ネパールガンジをめざした。ピラタス・ポーター機を操縦するのは、スイス人の経験豊富なウイックさん。ネパールガンジからは、飛行機はいよいよ北に進路をとり、カルナリ川ぞいに上昇し、ヒマラヤをめざした。
視界良好。西ネパールの大規模に発達する5千メートル台の平坦地形のかなたに、東はアンナプルナから、西はインド・ヒマラヤのナンダ・デビまでの高峰がみわたせる。カルナリ川上流のシミコット村からヒマラヤ山脈北面の氷河地域にはいり、西にすすんだ。ヒマラヤの北には緑のとぼしい荒涼とした茶色の自然がチベット高原へとつづく。飛行高度7985メートル、気温マイナス23度。天気はいいが、風は強い。とおくにグルラマンダータ峰がみえたが、ジェット(偏西風)にさたらって飛ぶので、なかなか思うようにすすめない。

 

 



中央にグルラマンダータⅡ峰、後方にカイラス峰、聖湖マナサロワール(右)とラカス湖(左)

私たちはグルラマンダータⅠ峰とⅡ峰の暗部にちかづき、そこにひろがるゆるやかな氷河の北に、右のマナサロワール湖、左のラカス湖をしたがえた聖山カイラス峰の姿をとらえた。第三紀の礫岩層といわれる水平的な地質構造をもつカイラス峰は、かつての堆積地形が高峰に変化するほどの上昇の激しさをしめす。ヒマラヤの広大な河川系からみると、長い時代にわたる上昇の過程で、この地域が最高の地域をしめたので、インダス・ツァンポー・サトレジの各河川の源となる。カイラス峰は仏教徒とヒンズー教徒にとって象徴的な存在であり、その三角形の聖山はネパールの寺院(パゴタ)のようだ。

 

 

 

 

 

「マナサロワールの土にふれし者、またその水に浴みせし者はブラフマの天国にはいり、その水をのみし者はシバの天国にのぼり、はてしなくめぐる罪のけがれよりときはなたるべし。いかなる山もヒマラヤにおよぶことなし。ヒマラヤにはカイラスとマナサロワールとあればなり。朝露が朝日をあびてきえるごとく、人の罪もヒマラヤの神々の姿に接するときえる」(ヒンズー教の宗教的讃歌、スカンダ・プラナ)。
カイラス峰とマナサロワール湖をみつめる樋口明生さんの顔には、例によって、目を細めたタコ入道のような笑いがあった。ヒマラヤはかつては海だった。テーチスとよばれたその海が世界最高の山岳となる。海洋の研究者であるとともに、なによりも山がすきだった先生にこそふさわしい土地ではないか。先生は、マナサロワールの湖岸にたち、カイラスを仰ぎたかったに違いない。

私たちは、樋口明生さんとのこのカイラス飛行もふくめて、30時間におよぶトリの目の観測をおこなった(参考文献)。そして、撮影された9千枚の氷河写真をもとに、「黒い氷河」と「白い氷河」に代表されるネパール・ヒマラヤの氷河の特徴をあきらかにしつつある。*注2



*注1 
ICIMODのバジラチャリヤさんの衛星画像解析の結果によると、ネパール・ヒマラヤの氷河数は3810、面積は4242平方キロとのことでした(2010年10月5日シンポジウム)が、氷河のない地域でも雪が降ると、氷河地域と判断してしまう誤りがあるため、過大な見積もりになってしまう。そこで、ムシの目のフィールドワークが欠かせない。また、同様な影響はネパールの5万分の1地形図にも表れており、航空写真判読による地図でも、氷河地域が大きく見積もられている点に注意する必要がある。
*注2
矢吹裕伯氏(JAMSTEC)が中心になって、ネパール氷河調査隊の航空写真は下記の写真データ・ベースにまとめられている。
“Aerial photographs of glaciers in the Nepal Himalayas obtained during the Glaciological Expedition in Nepal (GEN) from 1974 to 1978”参考文献
Fushimi, H., Yasunari, T., Higuchi, H., Nagoshi, A., Watanabe, O., Ikegami, K.,Higuchi, K.,Ageta, Y., Ohata, T., and Nakajima, C.  PRELIMINARY REPORT ON FLIGHT OBSERVATIONS OF 1976 AND 1978 IN THE NEPAL HIMALAYAS. 1980, 「SEPPYOU, 41, SPECIAL ISSUE」 JAPANESE SCIETY OF SNOW AND ICE,  62-66

追記この報告は、「カイラス飛行 ”海を探り、山に遊ぶ” 樋口明生追悼文集刊行委員会, 土倉事務所, 1984,  258-264.」に手を加えたものである。