ここが、ぼくのいるところです。環境という名前が3つもつく。カンマで区切らなきゃ、よく分からないではないか。大講座は完全な誇大表示で、実態は完全小講座。その中でぼくは、琵琶湖の水資源問題の基礎となる水循環を中心に研究・教育をしているが、何をめざそうとしているのか。おりしも今年の春には、滋賀県立大学の初めての卒業生を送りだし、大学院生を迎える。この1年に担当した講義は、滋賀の自然史、自然環境学2、地学1、地学実験、環境地学、環境フィールドワーク1と3、自然環境実習1、自然環境特別実習、専門外書講義1と2、自然地理学、環境生態学演習、卒業研究と14科目もあるので、それなりに忙しい。・・・・・(本文より一部抜粋)

1.滋賀県立大学・環境科学部・環境生態学科

  1995年の開学時から定年の2007年まで在籍したが、開学時には狭心症を患ってしまった。そこで、ストレスを減らすために、教授会などの気疲れする会議はできるだけご遠慮したが、クラブ活動には積極的に参加するようにした。学

2.ヒトと自然の共存の道、いまだ遠し

   これが、もともとは自然に属していたはずのヒトがひきおこした重要な生態学的課題である。そこで「ヒトと自然の共生の道をもとめるべき」という考えもでてきたのであるが、ヒトと自然には生態学的な共生関係は成立しない。なぜなら

3.私の環境への取り組み

 「私の環境への取り組み(環境学の広さ、深さ、複雑さを踏まえ、社会との関連を含め、環境に対する考え方、研究活動、教育活動など、環境学における各人 の姿勢や取り組みを自己主張する)」というなにやら「環境優等生」のレポートが

4.私の授業(教育)

  「私の授業(教育)」という題で書くようにとのお達しであるが、「授ける」とか「教える」といった大上段に構えてふるまう1方向的な「授業」や「教育」をしようとは思わない。むしろ、堅苦しい言い方だと「講義」になってしまうのだ

5.トキとヤナギとタブ―共存の観点で―

トキのキンが死んだ.日本最後の野生のトキは老衰死と思われたが,キンの最後のビデオ画像によると,キンは力強く羽ばたき,飛び上がり,檻に頭をぶつけて死んだそうだ.キンは保護のため檻に入れられ,その檻で死んだのである.しかし,

6.私のフィールドワーク

  1999年正月、ヒマラヤのフィールドワークが始まってから25年周年の会合があった。、ネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊のことである。このヒマラヤのフィールドワークの経験から「私のフィールドワーク」について述べる。 ネパ

7.講義とクラブ活動

  “滋賀県立大学環境科学部環境生態学科地球環境大講座”     ここが、ぼくのいるところです。環境という名前が3つもつく。カンマで区切らなきゃ、よく分からないではないか。大講座は完全な誇大表示で、実態は完全小講座。その

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