4.私の授業(教育)
「私の授業(教育)」という題で書くようにとのお達しであるが、「授ける」とか「教える」といった大上段に構えてふるまう1方向的な「授業」や「教育」をしようとは思わない。むしろ、堅苦しい言い方だと「講義」になってしまうのだろうが、それでは堅苦しいので、ぼく自身の姿勢としては「講話」(できるなら「講釈・講談」にしたいところだが、なかなかそこまではいかぬ)のつもりで、学生の考えをできるだけ「汲みとり」たいのだ。ここでは、とりあえず「講義」なる表現を使うが、場合によってはむしろ「談話」でも良いのではないか、とも思っている。
というのは、授けたり、教えるといった、ともすれば1方向的なやり方よりも、学生が自分自身で考える力を持つことが重要だと考えているからだ。そこで、ぼくの講義の場合は毎回最後の30分を使って、講義内容についてのレポートを書いてもらうことにしている。ただでさえ、レポートに追いまくられている学生の身にとってみれば、レポートを夜の宿題にするのは忍びないので、短い時間ではあるが講義時間内に、学生自身の個性的な考え方をレポートでまとめ、文章で表現する力がついてくれれば良いのだが、と考えている。
ぼくの担当している1997年度の講義は、滋賀の自然史、自然環境学2、地学1、地学実験、環境地学、環境フィールドワーク2、環境フィールドワーク3、自然環境実習1、自然環境特別実習、専門外書講義1、専門外書講義2であるが、来年度はこれらに自然地理学、環境生態学演習、卒業研究が加わることになっている。それぞれ多様な内容を含んでいるので、上記のような考え方で講義を進めようとすると、学生数が232名の滋賀の自然史や200名の自然環境学2だと、やはりかなりしんどいところもあったが、追いまくられながらもなんとかこなしている。
ただ、30名前後と学生数が少ない環境地学では、学生1人ひとりの顔が見えるので、滋賀県の具体的な環境問題を取り上げながら、小人数のグループで課題解決のための討論を行った後、口頭発表の経験を積むことに重きをおいている。そうすることによって、地学的な環境課題の解決に関するレポートを書くことに加え、討論後の口頭で発表する力も備わってくれればと願っているところである。
なかには、講義最後のレポートの時間に飛び込んでくる学生や、そもそも講義には出ずにレポート用紙だけを取りに来る学生もいるにはいるが、講義の時間内に出さなかったレポートは原則として減点することにしており、遅れたレポートは内容がよほど良くないと点をやらないことにしている。採点のポイントは、どれだけ個性的に考えたか、に重きをおく。そのため「H2O2の見方で書くように」と学生にいっているのは、過酸化水素ではなく、H20+Opinion=H2O2のことで、琵琶湖などの水に関係する地元の環境課題の解決に向って、できるだけ学生自身の経験から発想した個性的な考えをだして欲しいからである。
以上のような講話・講釈・談話型講義に加えて、日高敏隆学長の言う「学生を育てる大学ではなく、学生が自分で育つ大学」の見方からすれば、私が顧問を務めている環境サークルK、フィールド・ワーク・クラブ、ジオサイエンス・クラブ、学園新聞社、民族音楽部などのクラブ活動の場を通じて、学生たちが個性的に活動できるよう微力を尽くすのも、また極めて重要なことだ、と肝に命じている。(1996年4月)