チベット紀行 -氷河現象からみたトランス・ヒマラヤからグレート・ヒマラヤの自然-2

2.内陸アジア変動帯[/wc_highlight]

1934年1月,ネパールを中心としたヒマラヤ地域は大きな地震にみまわれた。この時,カトマンズのレンガ造りの家々のほとんどが破壊されたという。この地震は,ヒマラヤ地域を南北に切っているパトナ断層の動きが原因と考えられている。また,1950年,同様な大規模な地震がインド北東部のアッサムにおこった。ヒマラヤ地域やチベット高原などの内陸アジアは,現在もその動きを止めてはいないようだ。このような地震を契機として,ヒマラヤ山脈は上昇する。また,ヒマラヤ地域の8000m峰などの高処から,古生代から新生代前期までの海成の化石が報告されていることが示すように,長い時代にわたるグレート・ヒマラヤの上昇量は相当大きな値になる。中生代までのヒマラヤ地域に分布していたテーチス海の堆積物(テーチス堆積物)には,新生代後期(約1500万年前)よりも新しい地層がみられないので,ヒマラヤ地域は約1500万年前から陸化しはじめ,その後現在まで上昇をつづけてきた,と解釈できる。また,東ネパールのアルン川の下方侵食量は15kmにも達すると報告されているので,単純化して,この地域の上昇量にほぼ見合う分をアルン河が侵食してきたとすると,この地域の平均上昇速度は,上記の侵食量(15km)を陸化しはじめてからの時間(1500万年)で割ると,1年に1mmとなる。
最終氷期から現在までの数万年間の上昇量が,日本アルプスや六甲山地で,数百mと考えられているのに対して,ヒマラヤでは,それよりも1ケタ大きい1600mと見横られている(郭,1974)。約百年前に測量された世界最高峰のチョモランマの高さ8848mと最近の人工衛星を使った高度8850mを比較すると,チョモランマは百年間に2m,つまり平均的には,1年間に2cm上昇してきたことを示唆する。これらのことは,ヒマラヤの最近数万年間の平均上昇速度が年間数ミリ~数センチであることを示し,大きな上昇速度の見積りとなっている。新生代後期から上昇しはじめた地球上のいくつかの大山脈群のなかでも,ヒマラヤの高度が他の山脈よりもはるかに高いことは,侵食速度を一定としても,まずもってヒマラヤの上昇速度がはるかに大きいことを示しているのは間違いないであろう。ヒマラヤをふくむチベット高原を中心とする内陸アジアは,新生代後期からの地形変化が地球上で最も大きかった変動帯としてとらえることができる。
この内陸アジア変動帯の大きな地形変化は,この地域の気候条件に重要な影響を与える。郭(1974)は「最終氷期以後数万年の間に,ヒマラヤの平均高度が4500mから6100mになったので,南方からの水蒸気輸送がグレート・ヒマラヤによってさまたげられるようになり,チベットは大陸性気候となり,氷河は縮小した」と報告した。郭さんは中国の国家地震局地質研究所員(写真2)で,雄大な構想をいだいてヒマラヤの環境史をまとめておられる。以上のように,ヒマラヤの地形・気候条件の変化は,生物界にも大きな影響を与えたことであろう。長い時間にわたりたえず変化するローカルな地形・気候条件と,グローバルな気候条件との相互作用が新らしい物質循環をつくりだしてゆき,人間をも含めた生物が住む環境をつくりかえ,その地域の自然に特有の歴史をつくる。内陸アジアの自然現象の歴史は内陸アジア変動帯の上昇プロセスと深く結びつく,という視点で理解していくことが重要だと考える。

写真2 中国の国家地震局地質研究所員の郭旭東さん(写真の左)