この報告は氷河湖決壊洪水(GLOF)の可能性の評価とその対応についての考察である。対象とした氷河湖は、ネパール中央部のマナスル峰南西のツラギ氷河湖で、その規模は長さ3km、幅500m、ネパールでは大型の氷河湖のひとつである。ツラギ氷河湖はダナ・コーラ(川)に流出し、ネパール中央部のマルシャンディー河にそそぐ。マルシャンディー川中流部の峡谷には現河床に近い河岸にタール村、ダラパニ村やシャンジェ村などがあり、GLOFが発生すれば甚大な被害がでるものと危惧されている。そこで、ネパール中央部のマナスル周辺地域の氷河・湖環境変動に関する調査を、2012年秋(10月24日~11月5日)に行った。調査内容は、マルシャンディ川支流のダナ・コーラ上流のツラギ氷河・湖の環境変動である。、
氷河湖決壊洪水(GLOF)が危惧されているツラギ氷河湖のようなネパールでも有数の大規模氷河湖は、クンブ地域のイムジャ氷河湖やロールワリン地域のツオ・ロルパ氷河湖がある。ただ、ネパール・ヒマラヤではこれまで大規模氷河湖のGLOFは発生していないので、この報告は、なぜ大規模氷河湖はGLOFを発生しないのかという課題にヒントを与えるものである。ネパールでGLOFを発生しているのは、1977年のミンボー氷河湖、1985年のラグモチェ(ディグ)氷河湖、1998年のサバイ氷河湖、および2003、05,09年のガプチェ氷河湖で、いずれも長さ1km以内、堰きとめているモレーンは小規模なものものである。図はクンブ地域のアマダブラム峰の南面にあるミンボー谷(左上)の1977年のGLOF環境を示し、氷河湖が決壊(右上)し、ドゥドゥ・コシ(川)のラスワ水文観測所の水位が1mほど上昇したことを示している(右下)。氷河湖を堰きとめていたモレーンは化石氷体を含む、いわゆるIce –cored moraine(左中央)で、幅30mの末端モレーンが2か所で決壊していた(右上)。このGLOFによるミンボー谷の土砂がイムジャ川を堰きとめたので、パンボチェ村周辺には一時的に湖が出現した(左下)。
ところが、2010年以降2012年までは、ツラギ氷河の屈曲部付近で、末端変動は停止した状態になっており、カービング現象による氷塊も見られなくなっているので、末端部分が氷河湖底に座礁した状態になっているものと解釈できる。
2.水位低下現象
ツラギ氷河湖の水位低下現象に気がついたのは、湖岸沿いに歩いたGPSの軌跡ルートをグーグル画像に重ねて見た時だった。2009年11月8日のGPS軌跡ルートが、2005年11月5日の画像上ではほぼ湖岸から20~30mの湖中を平行に通っているので、2009年の水位は2005年よりも低くなったと考え、氷河関係者の集まりで話したところ、誤差の問題があるので、水位変化とは結びつかないのではないか、という指摘を受けたことがある。ところが、新しく公開された2011年12月30日のグーグル画像に上記の2009年のGPS軌跡ルートを載せてみると、軌跡ルートは2011年の湖岸沿いに通っているので、ツラギ氷河湖の水位は2005年から2009年にかけて低下した、と解釈できた。
3-1.GLOFの可能性と自律的対応機構
これまでのネパール・ヒマラヤの氷河湖決壊洪水(GLOF)の調査から、決壊した氷河湖はいずれも小規模なモレーンの層厚の薄いもので、氷河湖をせき止めている堆積物(モレーン)中の化石氷が溶けたりすれば、古くなったロックフィル・ダムのように構造が弱くなり、そこに雪崩・岩石崩壊による津波の影響が加われば、小規模な氷河のモレーン構造の脆弱性によって、末端モレーンの決壊の要因になり、GLOFを引き起こしたと考えられる。
一方、モレーン強度の高い大規模氷河湖の場合は、直下型の大規模地震でもない限り、モレーンは安定しているとともに、温暖化の進行による融雪・融氷水流入の増加がすすむなかで、結果として引き起こされる氷河湖の水位上昇に対して、(あたかも自律的に)氷河湖の流出口が水量増加で侵食され、湖面水位を低下させる現象がツラギ氷河湖で起こっていると解釈できたので、大規模氷河湖にはGLOFリスクへの(自律的な)対応機構があるのではないかと考えている。もし、この解釈が妥当ならば、ツラギ氷河湖自体が、GLOF災害の発生リスクを高める水位上昇への事前防止機能を発揮しているものといえるであろう。したがって、GLOF対策とはいえ、すでに行われてきている大規模土木工事は、各々の氷河湖の特性に対応したGLOFリスクへの(自律的な)対応機構を調査したうえで、再考すべきだと考える。
ツラギ氷河湖のGLOFリスクへの(自律的な)対応機構が働いていると解釈できることに加えて、末端部分のモレーンは層厚が100m以上と堅固な堆積物なので、末端部分を破壊する直下型の大地震でもないかぎり、GLOF発生の可能性は低いと解釈できる。このことは、クンブ地域のイムジャ氷河湖とも共通性があるので、住民に対して、いたずらにGLOFの恐怖心を煽ることは慎まねばならない、と考える。というのは、2009年春に調査したイムジャ氷河湖近くのディンボチェ村の住民代表が私たちのところに来て、「去年は氷河湖調査隊が7隊きた。調査隊は危険だとは言うが、何が、どのように危険なのかは言ってくれない。危険という言葉が独り歩きしているので、学校も発電所も病院も作ることができないで困っている。もう、調査隊はたくさんだ。」とこぼしたのを心に留めておきたい。
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