東ネパールのクンブ地域では、八千メートル峰のいならぶヒマラヤ山脈の中心部付近に東西方向と南北方向の断層群によって囲まれたブロック状の岩体が花こう岩によって突き上げられた地質構造を見る。またヒマラヤ地域の周辺部へ行くほど褶曲構造が見られるのが一般的である。このことはヒマラヤ山脈の中心部に近いほど垂直方向のブロック運動が著しく、また周辺部ほどナッペ構造と関係した水平方向の運動によって作られた褶曲構造が卓越していることを示しているとも考えられる。つまりブロック運動とナッペ運動の二つの運動の及ぼした地域が時代によって異なってくることもありうる、と考えられるのである。長い時代にわたり続いてきたヒマラヤ地域の上昇のプロセスを考えて見ると、古い時代ほど水平方向のナッペ運動が広域的に見られたが、新しい時代となると上昇のプロセスに局地化が起こり、ヒマラヤ山脈の中心部では断層活動を伴う垂直方向のブロック運動が生じるのに対して周辺部では水平方向の運動が続いている、とも見れよう。
東ネパールのスン・コシからドゥド・コシ(川)に沿うヒマラヤ地域の南北方向の横断調査において、この地域では全般的にナッペ構造が発達しているが、一方中央ネパールのカリ・ガンダキ(川)に沿う調査では、ナッペ構造の著しい発達は見られなかった。このことはとりもなおさずナッペ構造などの地質構造にも地域性が見られることを示している。
重力調査の結果から、河野は東ネパールではアイソスタシーが成立していないと報告した(文献33)。このことはヒマラヤ山脈を構成する地殻はアイソスタシーでつりあっていないとしたら、水平方向の力によって支えられている可能性を示唆している。ヒマラヤ地域の上昇のプロセスをブロック運動とナッペ運動のどちらか一つのメカニズムで説明するよりも、それらが歴史的にも、また地域的にも変遷しながら全体として広大なヒマラヤ山脈の形成にかかわった、と考えられる。