ネパール・ヒマラヤの丘陵地を東西に旅行する者は、深さ数百メートルから時には1000メートルもの比高をもった峡谷を流れる河川を横切らなければならない。これらの河川は東西に延びているヒマラヤ山脈やマハバラート山脈にぶつかると、あるところではそれらの山脈と平行して流れたり(縦谷)、またあるところではそれらの山脈を切っている(横谷)。ネパール・ヒマラヤの河川系は南北性か東西性である。
ヒマラヤ地域を広く見ると、ツァンポー河(ブラマプトラ河)、インダス河、サイレジ河がヒマラヤ地域の上昇運動に負けずにヒマラヤ山脈を切ってチベットの水をベンガル湾とアラビア海に運んでいる先行性の横谷であるといわれている。 東ネパールのアルン川はヒマラヤ山脈の上昇に負けずに上昇する山地を深く侵食してきた先行性の横谷であるということをヒマラヤ地域の上昇速度の見積で触れておいたが、ハーゲンはヒマラヤ山脈の北側のアルン川上流域はかつては出口をもたない盆地であり、ヒマラヤ山脈の上昇につれて山脈南面の河川勾配が急になり、かつてのアルン川が上流方向(北方)への侵食を続けた結果川の争奪が起こり、ついには現在のようにチベットの水をベンガル湾へ運ぶようになったと述べている(文献30)。
ところがヒマラヤ山脈主稜の北側にはいぜんとしてヒマラヤ山脈の上昇に打ち勝つことができずに、川が出口をもたない盆地がブータンとシッキムの北側や、ツァンポー河、インダス河、サトレジ河の源流域に近いマナサロワール湖周辺に見られる。聖山カイラスをいだくこのマナサロワール湖周辺こそは河川系から見る限り、ヒマラヤ地域の三大河川(ツァンポー河、インダス河、サトレジ河)の源となっており、長い時代にわたる上昇の歴史の結果最高の位置を占めるようになったともいえる。
ヒマラヤ地域の陸化、上昇以来この地域の河川は絶え間なく上昇する山地との戦いに明け暮れている、と表現できるだろう。