このようにヒマラヤ地域の気候、氷河や生物などの地域特性を見てみると、ヒマラヤ地域は西部、中部、東部の三地域に区分できるといえる。そして西部と中部ヒマラヤ地域の境界はクマウン・ヒマラヤ周辺に、そして中部と東部ヒマラヤ地域の境界はブータン・ヒマラヤ周辺にあると考えられる。東部ヒマラヤはまずもって夏の降水量の多い地域であり、生物地理学的にも雲南地域の生物群との類似性が強い。また西部ヒマラヤ地域は乾燥域となっており、その生物群は中近東やヨーロッパとの類似性が見られる。ネパール・ヒマラヤ地域は対照的な両地域の移行帯としてとらえることができる。このことが、カラコルム山脈から西部にかけての大規模低位氷河、中部ヒマラヤの小規模高位氷河、そして東部ヒマラヤの大規模低位氷河という氷河現象の地域性にあらわれている。こうして自然現象から見ると、メイスンなどの登山を中心にしたヒマラヤ地域の区分やガンサーなどの地質学からの区分はともに細かすぎ、しかも、ともすれば政治的ともいえる細区分のため、民族学的にはともかく、自然科学的根拠に問題がある。
また、ヒマラヤ地域の南北方向の地理的概念に関しては、ヒマラヤの地質、河川、氷河、気候の地域特性から、ヒマラヤ地域の北は地質学的に第一級の構造帯となっている超塩基性岩類の分布とほぼ一致するツァンポー河とインダス河とを結ぶ地域から、南は上昇する内陸アジア変動帯の南限としてのシワリーク丘陵地までが内陸アジア変動帯南部地域としての共通の自然史をもつ地域としてとらえることができる。
地形的雪線の分布や河川系の特徴などからヒマラヤ山脈は内陸アジア変動帯南部地域の自然を南北に分ける境界となっていない場合が見られている。例えば、氷河の氷体温度の測定は中国人研究者の施によってヒマラヤ山脈北側の氷河群に対して、また前や田中によってヒマラヤ山脈南側の氷河群に対して行われ、ヒマラヤ山脈の北側の氷河群も南側の氷河群も、ともに冷たい氷河群の系列に入ることを示唆している(注16)。ヒマラヤ山脈の南側に当たる東ネパールのクンブ地域の氷河群には、ヒマラヤ山脈の南側によく見られる岩屑を多量に含んだ氷河とともにヒマラヤ山脈の北側に見られるような暖かい地形にかかる岩屑をほとんど含まない氷河や岩石氷河が共存しているし、またヒマラヤ山脈の北側に当たる北西ネパールのグルラマンダータ周辺にはヒマラヤ山脈の北側によく見られる暖かい地形にかかる岩屑量の少ない氷河とともに、ヒマラヤ山脈の南面に見られるような岩屑を多量に含んだ氷河や岩石氷河が共存している。
このことは、ヒマラヤ山脈によってその南側と北側の氷河群の性質が異なる(文献5)と考えるよりも、両者の氷河群には氷河群としての同質性とともに異質性をも見ることができる、といえる。雪線の最も高い地帯が、ヒマラヤ山脈の北側にあるトランス・ヒマラヤに当たることは、夏のモンスーンがヒマラヤ山脈を越えてその北側にまで影響を与えていることを示すと考えられ、このことからヒマラヤ山脈の北側にも、その南側の氷河群の性質が見られてもよいと思われる。チベット高原を中心とする内陸アジア変動帯全域の上昇によって、チベット高気圧の形成とともに中部から東部ヒマラヤにかけての夏のモンスーンが強化されるようになると考えられるが、マハバラート山脈やヒマラヤ山脈の上昇する地形が夏のモンスーンのチベット南部への進入を完全に阻止する障壁とはなっていない、といえるだろう。
中部ヒマラヤの気候条件に与えるヒマラヤ山脈の地形条件は、マハバラート山脈と同様にむしろ二次的であって、一次的な気候区の境界となるような地形条件は、雪線の最も高い地帯となるツァンポー河とインダス河とに沿うチベット高原上のトランス・ヒマラヤによって作られている。
ヒマラヤ山脈主稜の北面にチベット的性質を示す自然現象があらわれているが、そこには依然としてヒマラヤ山脈の南面地域の現象と共通した性質が見られることは、ヒマラヤ山脈の北面地域が内陸アジア変動帯の南部地域と中央部地域との推移帯となっていることを示している、といえよう。トランス・ヒマラヤ以南のネパール・ヒマラヤなどの氷河は中部ヒマラヤ氷河群としてとらえられ、まぎれもないチベット的自然現象はツァンポー河とインダス河とを結ぶラインの北に見いだせるのではなかろうか。このあたりにヘディンがヒマラヤ山脈のさらに北側の連山をヒマラヤの名のもとにトランス・ヒマラヤと呼んだ、彼一流の洞察が込められていると思われる。