10.ヒマラヤの範囲

Picture ヒマラヤ地域の東西方向の地理的概念に関して、深田などの山登りに立った考え方は、またガンサー、デュピュイの自然科学の分野からの見方と同様にヒマラヤ地域の定義を広げすぎているようだ。ガンジス河の水源域をヒマラヤとしたバッラードが定義したもともとの範囲に、インダス河とツァンポー河によって境されるヒマラヤ山脈の北側をも含んだ地域がヒマラヤ地域として適当であろうと思われる。トランス・ヒマラヤとカラコルム山脈とは、ともにツァンポー河とインダス河の水源域となっており、地形的に連続性をもっている。

  ヒマラヤ地域は内陸アジア変動帯の南部地域に属しており、この地域の山脈群の一つであるヒマラヤ山脈周辺部を含んでいる。ヒマラヤ地域は内陸アジア変動帯の中でも地形変化が最も大きかった地域と考えられ、その地理的な広がりは、北はツァンポー河とインダス河の源流域で内陸アジア変動帯中央部地域に接し、南はシワリーク丘陵地でガンジス平原とインダス平原とに接し、その南北の幅は約300キロメートルである。ヒマラヤ地域の南から北へシワリーク丘陵地、マハバラート山脈、ヒマラヤ山脈、そしてヒマラヤを横断する河川の主分水嶺(トランス・ヒマラヤ)が東西に帯状に配列している。
ヒマラヤ地域の西部はサー・シドニー・バッラードのパンジャブ・ヒマラヤでカラコルム山脈とヒンズー・クシュ山脈に接し、その東部はアッサム・ヒマラヤでサルウィン川、メコン川、揚子江上流域の各山脈群に接し、その東西の広がりは約2500キロメートルである。ネパール・ヒマラヤ周辺は、中部ヒマラヤとしてとらえることができるだろう。
内陸アジア変動帯は、各地域の山脈群のみならずそれらの周辺の広大な地域をも含んでいる。大規模な地形変化と気候変化が生じてきたと考えられる内陸アジア変動帯の自然史を明らかにすることは、アジアの自然を考える上でも、また新生代後期の地球の歴史にとっても重要なことである、といえよう。
ここで対象とする地域は主として内陸アジア変動帯南部地域のヒマラヤ山脈であり、中でもネパール・ヒマラヤが中心となる。なぜなら、私はいまのところネパール・ヒマラヤを除き、ファースト・ハンドのデータを持っていない。そしてできうる限りファースト・ハンドのデータからヒマラヤ地域の自然史を編みたいと考えるからである。ただし、ヒマラヤ地域の自然史はネパール・ヒマラヤだけでは語れるものではないので、ネパール・ヒマラヤのデータからヒマラヤの自然史についての作業仮説を作り、広大なヒマラヤの自然史を考えてゆきたい。
ヒマラヤの自然史は、基本的には内陸アジア変動帯全域の新生代後期の歴史の一環としてとらえることができる。