はじめに
雪どけ水を集めた小川のせせらぎのほとりでは、いかにも雪からでてきたかのような顔をしたフキノトウのかぐわしい薫りがみち、あざやかな金色のフクジュソウが咲きはじめる。そして雪原にあらわれた大地がしだいにひろがると、雪は山地へとひきさがり(図1)、そのあとを新緑がおおう。
雪どけ水を集めた小川のせせらぎのほとりでは、いかにも雪からでてきたかのような顔をしたフキノトウのかぐわしい薫りがみち、あざやかな金色のフクジュソウが咲きはじめる。そして雪原にあらわれた大地がしだいにひろがると、雪は山地へとひきさがり(図1)、そのあとを新緑がおおう。
長い冬をこらえた雪国の人々にとっては、とりわけ、春のくるのがまちどおしい。日本は雪のおおい国である。 北半球で積雪が1mをこえる地域は、渡辺興亜氏1)によると日本のほかに、北アメリカ大陸西岸と東岸、グリーンランド南部、スカンジナビア、アルプス、ソ連のウラルとカムチャッカ、それにヒマラヤなど中央アジアの一部である。私たちの国では、日本海側が多雪地域だ。
シベリアやモンゴルなどの凍った大地をふきぬけてくる北西の季節風は、対馬暖流によって温められた日本海をわたるうちに水蒸気をふくむ。そして、温められた空気は上昇し、雪雲ができる。この過程は気象衛星「ひまわり」の画像でおなじみである。日本海からおしよせる雪雲は、日本の脊梁山脈でせきとめられ、日本海側一帯に雪をふらす。そのなかでも、北陸地方はとくに雪がおおい。北陸地方の平野部の都市でさえも、積雪の深さ(積雪深)が3mにたっするのもまれではない。
日本人が暮らしているなかで最大の積雪深にみまわれる地域は、北陸地方の山間部だ。ちなみに、武田栄夫氏2)は、「伊吹山頂では、1927(昭和2)年2月14日に、積雪が実に1,182㎝になった。これは、世界の山岳で確認された最深の記録となっている」と伊吹山の世界記録についてのべているが、琵琶湖の東にそびえる伊吹山の積雪深記録については、風が強いために、雪が吹きとばされ、地形的に吹きだまる影響が加わるので、必ずしも降ってきた雪によるもともとの積雪深を示さない場合がある。かつて私たちは、北アルプスの剣沢で、20mをこえる積雪のボーリングをおこなった。雪をためる地形と雪をはこぶ強い風があれば、かなりの雪がたまるのである(伊吹山頂の高橋式積雪深計は雪がたまりやすい窪地に設置されていたのである)。
しかし、その伊吹山測候所が観測した最大積雪深記録は大雪の証拠3)になる。じじつ、1927年に滋賀県で積雪深が1mをこえたところは、余呉町中河内の286㎝、木之本町の168㎝、今津町の101㎝となっており、1918年以来の記録をこえた。その年は北陸地方を中心とした大雪で、積雪深は新潟県の赤倉で405㎝、高田で372㎝、そして福井県は100年来の大雪4)と報告された。
冬の日本海側に雪をふらせる北西の季節風は、脊梁山脈をこえると、乾いた風となって太平洋側にふきおろす。関東平野の“からっ風”や濃尾平野の“伊吹おろし”などがそれにあたる。太平洋側の冬は、日本海側と対照的だ。冷たく乾いた季節風が、晴れあがった青空のひろがる村や町をふきすさぶ。
日本の冬にあらわれるこのような気候的な地域性は、ほかのどの季節よりもはっきりする。つまり、冬に雪や雨がふる日本海側気候区と、降水がほとんどない太平洋側気候区だ。
琵琶湖集水域は、まさに日本海側気候区と太平洋側気候区の境界に位置する。しかも、日本における両気候区の境界線は脊梁山脈とほぼ一致するが、ここではその境界が琵琶湖のうえを横ぎる。そこで、琵琶湖集水域では、冬に特徴的な日本海側気候が北部に、また太平洋側気候が南部にあらわれる。中島暢太郎氏5)らは次のようにのべている。「滋賀県南部の大津などでは最多雨月が6月(梅雨)におこり、第2の極大が9月(台風)におこっている。一方、北部山岳地域の余呉町中之郷などでは、梅雨、台風および冬季の3つの降雨ピークがあるが、ここでは年変化の振幅は非常に小さく、年中多雨となっている」。彦根地方気象台のまとめた年平均降水量分布をみると、北部の山間部で3,000㎜ともっともおおく、南部の平野部は1,600㎜の比較的乾燥した地域になる。(図2)
シベリアやモンゴルなどの凍った大地をふきぬけてくる北西の季節風は、対馬暖流によって温められた日本海をわたるうちに水蒸気をふくむ。そして、温められた空気は上昇し、雪雲ができる。この過程は気象衛星「ひまわり」の画像でおなじみである。日本海からおしよせる雪雲は、日本の脊梁山脈でせきとめられ、日本海側一帯に雪をふらす。そのなかでも、北陸地方はとくに雪がおおい。北陸地方の平野部の都市でさえも、積雪の深さ(積雪深)が3mにたっするのもまれではない。
日本人が暮らしているなかで最大の積雪深にみまわれる地域は、北陸地方の山間部だ。ちなみに、武田栄夫氏2)は、「伊吹山頂では、1927(昭和2)年2月14日に、積雪が実に1,182㎝になった。これは、世界の山岳で確認された最深の記録となっている」と伊吹山の世界記録についてのべているが、琵琶湖の東にそびえる伊吹山の積雪深記録については、風が強いために、雪が吹きとばされ、地形的に吹きだまる影響が加わるので、必ずしも降ってきた雪によるもともとの積雪深を示さない場合がある。かつて私たちは、北アルプスの剣沢で、20mをこえる積雪のボーリングをおこなった。雪をためる地形と雪をはこぶ強い風があれば、かなりの雪がたまるのである(伊吹山頂の高橋式積雪深計は雪がたまりやすい窪地に設置されていたのである)。
しかし、その伊吹山測候所が観測した最大積雪深記録は大雪の証拠3)になる。じじつ、1927年に滋賀県で積雪深が1mをこえたところは、余呉町中河内の286㎝、木之本町の168㎝、今津町の101㎝となっており、1918年以来の記録をこえた。その年は北陸地方を中心とした大雪で、積雪深は新潟県の赤倉で405㎝、高田で372㎝、そして福井県は100年来の大雪4)と報告された。
冬の日本海側に雪をふらせる北西の季節風は、脊梁山脈をこえると、乾いた風となって太平洋側にふきおろす。関東平野の“からっ風”や濃尾平野の“伊吹おろし”などがそれにあたる。太平洋側の冬は、日本海側と対照的だ。冷たく乾いた季節風が、晴れあがった青空のひろがる村や町をふきすさぶ。
日本の冬にあらわれるこのような気候的な地域性は、ほかのどの季節よりもはっきりする。つまり、冬に雪や雨がふる日本海側気候区と、降水がほとんどない太平洋側気候区だ。
琵琶湖集水域は、まさに日本海側気候区と太平洋側気候区の境界に位置する。しかも、日本における両気候区の境界線は脊梁山脈とほぼ一致するが、ここではその境界が琵琶湖のうえを横ぎる。そこで、琵琶湖集水域では、冬に特徴的な日本海側気候が北部に、また太平洋側気候が南部にあらわれる。中島暢太郎氏5)らは次のようにのべている。「滋賀県南部の大津などでは最多雨月が6月(梅雨)におこり、第2の極大が9月(台風)におこっている。一方、北部山岳地域の余呉町中之郷などでは、梅雨、台風および冬季の3つの降雨ピークがあるが、ここでは年変化の振幅は非常に小さく、年中多雨となっている」。彦根地方気象台のまとめた年平均降水量分布をみると、北部の山間部で3,000㎜ともっともおおく、南部の平野部は1,600㎜の比較的乾燥した地域になる。(図2)
琵琶湖集水域は両気候区の境界地帯となり、年々の気候条件を反映して境界地帯の位置が変化するので、降雪の分布や積雪量の変動が大きくあらわれる。このような地域は、鈴木秀夫氏6)の分類による準裏日本気候区に相当する注1。
図3は、琵琶湖集水域の積雪地域が、北陸地方からつづく積雪分布の南限にあたることを示す。つまり、積雪分布からみると、北陸地方を中心とする日本海側気候区の周辺部に、琵琶湖集水域があるとみなせる。
図3は、琵琶湖集水域の積雪地域が、北陸地方からつづく積雪分布の南限にあたることを示す。つまり、積雪分布からみると、北陸地方を中心とする日本海側気候区の周辺部に、琵琶湖集水域があるとみなせる。
琵琶湖集水域の積雪現象には、北海道や東北などの寒冷地と異なり、冬でも降水・降雪・融雪・流出の諸過程が併行してすすむ。だから、日本の積雪からみると、琵琶湖の雪はいわば暖地の積雪だ。琵琶湖集水域の雪は冬でもとけて、湖をうるおす。琵琶湖の雪は、水を多量にふくむので重い。滋賀県の人がよぶ「湖北(滋賀県北東部)しぐれ」の重い雪は、琵琶湖の水資源だけでなく、近江の人びとの暮らしにも大きな影響をあたえる。冬でも融雪流出があることが、渇水期の淀川流域の水資源に貢献する。
この報告「琵琶湖の雪(1)」では、琵琶湖の雪を暖地の積雪として、その地域的な分布(空間的構造)と時間的な変動(時間的構造)積雪構造としてとらえ、琵琶湖の雪からみた暖地の積雪特性をまとめる。 それではまず、近江の人たちの暮らしとの関連をふまえ、琵琶湖の雪、つまり琵琶湖集水域の積雪の一般的特性についてのべる。
この報告「琵琶湖の雪(1)」では、琵琶湖の雪を暖地の積雪として、その地域的な分布(空間的構造)と時間的な変動(時間的構造)積雪構造としてとらえ、琵琶湖の雪からみた暖地の積雪特性をまとめる。 それではまず、近江の人たちの暮らしとの関連をふまえ、琵琶湖の雪、つまり琵琶湖集水域の積雪の一般的特性についてのべる。