2017年ネパール通信25 余話12

ネパールの物価上昇に関するライト・エクスペディションのための考察

 1)はじめに

2017年春のランタン谷の調査は、ポケット・マネーで行う調査旅行であるので、援助金などによるお抱えの大名旅行(追記2)は許されない。そこで、ネパール通信5で述べたようなライト・エクスペディション(経済的調査旅行)*を目指したのである。というのは、ランタン谷は3回目で土地勘があるのでガイド無しで行い、さらに心臓病に侵されていた体力の回復も試すためにポーターも雇わずに、調査機材をふくめた器材一式7キロを自分で担ぎ、標高4000m以上の氷河調査をふくむ10日間の総費用を2万円以内で行うライト・エクスペディションの目標をまずたてた。ランタン谷をはじめネパールのヒマラヤ地域のホテルではベッドや寝具などの宿泊設備が完備しているので、寝袋などを持参せずにすみ、ある程度の体力と会話力さえあれば、ライト・エクスペディションをすることが可能になっている、と思われる。
*2017年ネパール通信3(写真報告)
「カトマンズ大学にきました」
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2017/03/blog-post.htmlただ、ライト・エクスペディションの予算面で大きな比重をしめるのは、事前にとられる「Trekkers’ Information Management System(TIMS)」の20ドルに加えて、現地でも一種の入山料「National Park/Reserve/Entrance Permit」3390ルピー(R)*を取られたのは痛かった*。さらに、往復のバス代金1100Rがかかったので、ランタン谷調査期間中の飲食代金などの滞在費として使える予算は1日当たり1400R程度であるが、3)章で述べる豆スープ付きご飯(ダル・バート)が300~600R,パンケーキは200~400R,部屋代が200~600Rすることを考えると、お茶などに1日あたり数百Rしか残らないことになる。つまり、お茶などの飲み物は1日2-3杯という厳しい経済環境になってしまった。
* ルピー(R)
1ネパール・ルピー(R)=1.1円の両替率なので、1Rはほぼ1円に相当する。そこで、ライト・エクスペディション実現のために、ランタン谷の各ホテルの飲食代の実態を調べるとともに、東ネパールのクンブ氷河周辺のホテルでの値段との地域的な比較を行い、さらに1980年代からのカトマンズのホテルの飲食代の時間的変化について考察した結果、ヒマラヤでのライト・エクスペディション実現のためには、ネパールで進行している地域的時間的な物価上昇の問題が大きく影響していることが分かったので報告する。
*2017年ネパール通信5
ランタン村周辺の雪崩災害と災害地形などについて
4)おわりに
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/lantang-disaster/

写真1 朝食のミルク紅茶(右上)、砂糖(右下)とパンケーキ(左)

2)ミルク・ティーの値段変化

紅茶で有名なインドのダージリン近くのイラムなどでの紅茶生産が盛んなネパールでは朝一杯のミルク・ティーは欠かせない飲みもになっている。2017年春のランタン谷調査の朝食でも、パン・ケーキにミルク・ティーを毎日のように飲んでいた(写真1)。
ランタン谷ゴラタブレのパン・ケーキ(写真1)は380ルピー(R)であったが、興味をもっていたミルク・ティーの一杯の値段は130Rで、出発地点のシャプルーで1杯50Rだったが、さらにランタン谷の上流のキャンジンでは150Rへ値上がりし、その途中では、シャプルーからキャンシンに向かうにつれて、1杯のミルク・ティーの値段が次第に高くなっていた(写真2)。
1杯のミルク・ティーの値段といえば、早朝のカトマンズの街角の茶店では20Rで飲めるが、旅行者が行くカトマンズの桃太郎レストランでは70R、またポカラのジャーマン・ベーカリーでは50Rしたので、ランタン谷の出発地点のシャプルーでの1杯50Rはネパールの都市なみの値段であるといえる。

写真2 ランタン谷の調査ルートと各地のミルク紅茶代金(カッコ内の数字)

写真3 ランタン谷各地の飲食代(ルピー)、シャプルーからの距離、標高、位置*の変化 *北緯・東経の6桁の数字の左2桁が度数、中2桁が分数、右2桁が秒数を示す。

さらに、ランタン谷の各地点の1杯の ミルク・ティーの値段の変化をまとめると、出発地点のシャプルー(標高1443m)での50Rが、シャプルーからの距離が6~15キロ、標高が1000mまで高くなるティワリとバンブー、ラマ・ホテルでは100ルピー(R)、距離が22~31キロ、標高が1500~2000mまで高いゴラタベラとランタンでは130R、距離が37キロ、標高が2450mほどもあるキャンジンでは、出発地点のシャプルーの値段の3倍の150Rへと値上がりしているのである(写真3)。
ランタン谷の出発地点のシャプルーからの距離と標高が増していくに従って、1杯の ミルク・ティーの値段がはっきりと高くなっていく(写真4)のは、実に明瞭な経済原理であるが、基本的には大変な労力をともなう輸送コストを反映したものにほかならないであろう。

写真4 ランタン谷の紅茶代金変化図

 

写真5 ランタン谷の森林地帯を行くラバ輸送隊の一行

ランタン谷では、2015年春の大雪崩災害後の復旧作業や観光事業の再開発にともなって物資輸送が活発化してきているのであろう。ランタン谷の調査期間中には、下流の森林帯の中でも、また上流の高山地帯でも、毎日のように物資を運ぶラバの一行にすれちがったものだ(写真5)。また、上流のランタン村周辺でも、 被害を受けたランタン村近くの荒涼とした高山地帯の雪崩堆積物の上をラバの一行が谷の上流に向かって物資を輸送していた(写真6)。

写真6 森林地帯(右上)をぬけ、ランタン村の雪崩堆積物を行くラバ輸送隊の一行

写真7 カトマンズ大学食堂のダル・バート

3)ダル・バートの値段変化

カンティーンと呼ばれているカトマンズ大学食堂の典型的なネパール料理は、ネパール語のダル・バート(写真7)*で、1)章でふれたようにダルは小豆スープ、バートはご飯のことである。バイキング形式なので各自が(1小豆スープと2インド米のような細長いご飯、3野沢菜のような葉物野菜の煮付け、4大豆スープ、5キューリ、6ニンジン、7漬物、8そば粉の薄揚げ物)を食器に取り入れるが、かなりの人が山盛りのご飯を食べている。最近のネパール人男女にはお腹の出た人が多いのもうなずける。
*2017年ネパール通信17 余話4
何を食べていたのか-ネパール効果-?
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/17topic4-food-in-nepal/

そのダル・バートであるが、カトマンズ大学の食堂では従来の50R(約55円)から10R値上がりし、60Rになったが、カトマンズの庶民的なレストランでは大学の3倍程度もするが、ランタン谷入り口のシャプルーではカトマンズの観光客用のレストランと同じ程度の300Rだった。しかし、ランタン村への途中のバンブーまで来ると500R、さらに登って、ランタン村周辺のゴラタベラとキャンジンでは600Rにまで値上がりしていた(写真3)。ただ、ダル・バートの内容はランタン谷は言うに及ばず、ネパール中どこでも、1小豆スープと2インド米のような細長いご飯、3野沢菜のような葉物野菜の煮付け、4大豆スープ、5キューリ、6ニンジン、7漬物、8そば粉の薄揚げ物(写真8)の内容で、さすが、どこでも共通のネパールの国民食の感がある。友人のハクパ・ギャルブさんが「2年前の地震災害を乗り切れたのもダル・バートのお陰」と言うほどネパール人とは切っては切れないメニューなのであろう。

写真8 ランタン谷入り口のシャプルーのダル・バート

写真9 シャプルーのホテルのメニュー(黃線内はダル・バートの代金を示す)

そのダル・バート の値段をホテルのメニューで見ると、シャプルーでは300Rとなっている(写真9)が、2013年の東ネパールのクンブ氷河周辺のホテルでは600Rであった(写真10)。この値段は2017年春のゴラタベラとキャンジンの値段と同じだが、物価上昇の激しいインフレ状態の現在のクンブ地域ではさらに値上りしているかもしれない。カトマンズの庶民的食堂では野菜のダル・バートが150R、外国人旅行者がよく行く桃太郎レストランでは330Rであることを考えると、ランタン谷やクンブ地域などのヒマラヤの調査地域ではカトマンズのダル・バートの値段の2~3倍になっていることを覚悟せねばなるまい。ヒマラヤ地域のダル・バート やミルク・ティーの値段にみられるような地域的な物価高はライト・エクスペディションにとって厳しい条件になっている。

写真10 クンブ地域のホテルのメニュー(黃線内はダル・バートの代金を示す)

写真11 1971年のウツセ・レストランと現在のウツセ・ホテルの主人ウゲン・ツェリン・ラマさん

4)食事代の時間的変化

カトマンズの繁華街ターメルの中心近く、旧王宮ヘ通じる道の北側にあったウツセ・レストランの1971年の写真(写真11)はチベットのギャンツェ出身の店主ウゲン・ツェリン・ラマさん(写真11の右下)から教えていただいた。ウツセ・レストランには1970年代初めからお世話になっていて、1980年のチベット調査時に訪れたギャンツェの写真を届けると、チベット亡命者の彼は故郷の写真を見て、大変に喜んでくれたものであった。
その彼が所持していた1982年のウツセ・レストランの領収書(写真12)を上から見ると、チキン・カレーが9R、ポーク・フライド・ライス2つで15R、多分ミックス・ベジタブル・フライド・ライスが2つで10R、つまりそれぞれのメニュー1つづつが9R、7.5R、5Rであったことが分かる。 当時のドルの両替レートは1$=10R前後だったので、現在の1$=100R程度とくらべると、当時のルピーのドルに対する価値は現在よりも10倍ほど高かったことを考えると、当時の1人の食事代は50~90Rで済ますことができていた、と解釈できる。ところが現在のウツセ・レストランの同様のメニューでは、1人1食、400R程度はかかるので、1980年代に比べて少なくとも4倍以上の物価上昇が進行しているようだ。日本の場合は、1980年代はじめの消費者物価指数*が現在の8割程度なので、当時にくらべると、物価上昇率は約1.3倍だから、ネパールの物価上昇がいかに大きいかをしめしている。さらに驚いたのはクンブ地域の人件費の高騰ぶりで、氷河調査を始めた1970年代当初のポーター代は1日10~20Rであったが、2013年にクンブ地域に行ったときには、1日1000Rにもなっていた。
*日本の消費者物価指数の推移
http://ecodb.net/country/JP/imf_cpi.html

そのような物価上昇ため、現在のネパールの人にとってもカトマンズは住みづらくなり、故郷の村に戻ることを余儀なくされていることも報告*されているのであるが、今回考察したヒマラヤのライト・エクスペディションを実施するにあたっての問題点から明らかになったのは、地域的・時間的に著しい物価上昇が続くネパールでは、その実施がかなり厳しい状況になってきていることを自覚せねばならない。そのことは、現地住民の大多数にとっても同様な影響をあたえ、ひいては一種の経済難民が発生し、すでに起こっている環境難民(追記1)とともに大きな課題になる可能性もなくはない、と思われる。
* High cost of living sending families back to villages
June 03, 2009
https://thehimalayantimes.com/opinion/high-cost-of-living-sending-families-back-to-villages/

写真12 1982年のウツセ・レストランの領収書

追記1 環境難民

地球温暖化の進行で氷河が縮小したため、水資源を失ったネパール・ヒマラヤ中央部のムスタン地域の住民は7年前に下流の地域に移動せざるをえなくなったことが報告(下記)されている。このような環境難民の発生は温暖化の進行とともに、ヒマラヤ地域だけではなく、ヒマラヤを起源とする南アジアの大河川流域にもおよんでいくことであろう。

Nepal’s first climate refugee village in Mustang
Published on 2010-06-01
AKANSHYA SHAH
http://archives.myrepublica.com/portal/?action=news_details&news_id=19341

追記2 大名旅行

新しい情報をいつも送ってくれる極地研究所の矢吹裕伯さんのファイス・ブックに下記の”中国の金持ち、最新のはやりは「船をチャーターし南極で年越し」”の記事が報告されているが、これなどは今回考察したライト・エクスペディションの対極になる大名旅行の一種であろう。

Record China / 2018年1月11日 1時40分
https://news.infoseek.co.jp/article/recordchina_RC_426877/