3. 2013年秋調査旅行余話(2)
1.トイレ・ゴミ箱・簡易洗浄器
http://glacierworld.weebly.com/3201224180311791249312497125401252335519266192257721578.html
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2012/11/2012.html
2.ギャジョ水道とナムチェバザールの植林地
クンデ・クムジュン各村やナムチェ・バザールへの水道源としてギャジョ谷の第1の滝からの水道施設が建設されています(写真37)。ただ、この中央下の直線的な工事跡として見える水道が写真右上のクンビーラ峰からの沢沿いの雪崩コースになっているため、雪が降ると、せっかくの水道施設も破壊されてしまうでしょう。水のとぼしいクムジュン村や、現在は湧水のあるナムチェバザールも(前の報告のように;参考文献)トイレなどによる水質汚染問題をかかえていますので、安全な水道水源が必要ですが、ギャジョ氷河自体が縮小し続けていますので、将来はギャジ谷の水が枯れてしまうことも考慮しておいたほうがよいでしょう。
ハクパ・ギャルブさんから送られてきたギャジョ水道工事の写真を下記に掲示します。
記
Lhakpa Ji,
Thank you very much for sending me impressive photos of the Gyajo Water Project.
I do hope that no avalanches distroy those water pipes on the slope of Mt. Khumbuila.
“Good Luck” to you from Fushimi in snowy Japan.
ナムチェ・バザールの上部にはマツなどの植林地が整備されています(写真38)。2009年に見た時は一部分マツ枯れが起こっていましたので心配でしたが、今回見るとマツ枯れからは回復し、植林地のマツやモミ、ビャクシンなどが大きく育っていました。ただ、それぞれの木の間隔が狭く、混みいっているのでいので、間引きなどの対応が必要になるのではないでしょうか。健康な林を育てることは、安全な水源にもなるとともに、環境教育にとっても大切だと感じました。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/08/imja-glacial-lake.html
http://glacierworld.weebly.com/4imja-glacier-lake.html
3. ジャガイモ用地下冷蔵庫
ジャガイモを地下で保存しているのをチュクン(4736m;写真39)やマッチェルモ(4390m)で見ることができました(写真39)。マッチェルモの高度は10月中旬の大雪の下限に当たるので、今回雪が分布していた4400m以上の地点では地温が低く、地下がモンゴルなどの凍土地帯と同様に冷蔵庫の役割をはたしているのでしょう。2001年に地下1mまでの地温構造を測った結果(写真40)を見ると、1970年代に分布していたゴラクシェップの凍土層はなくなり、カラパタールの高度5500m地点の地下1mの地温はプラス4度Cで、地温勾配から永久凍土は存在しないと解釈できました。4度C前後の地温は冷蔵庫なみですので、ジャガイモなどの野菜の保存にとっては適当な環境になっています。
4. 1970年代からお世話になっている懐かしの人々と再会
1)プー・サムジさん(写真41)。豪快な女将のような性格で、チュクンのロッジは息子二人(兄のロブサンはカングリ・リゾート、弟のザンブーはアマダブラム・ビュー・ロッジ)に譲って、ご主人のテンバさんとともにツューラで豊かな暮らしをしています。
5. クンブの物価高
今回の踏査ルートで一番物価が高かったのは、エベレスト・ベース・キャンプに近いゴラクシェップのロッジでした(写真46)。すべての物資が人かヘリコプターで運ばなくてはなりませんので、運賃がかかってしまうからです。たとえばルクラ周辺なら、無料のお湯も60ルピー(1ルピーはほぼ1円です)、30ルピーのミルク・ティーが130ルピーといったように、高いところへ行くほど、ルクラの4から5倍かかってしまいます。クンブ地域はエベレストを見に来るたくさんの観光客が現金を落としますので、一種のインフレ状態で、ネパールの中でも一番物価の高いところになっています。今回雇ったポーターの日当1000ルピー、ガイドは1500ルピーで、食事は別に払いましたので、日当に600ルピーほど加えなくてはなりませんでした。その他クンブ地域にはいるためには、旅行関連会社(TIMES)の承諾書(20ドル)および国立公園の入山許可証〈3000ルピー〉がかかります。
6. アン・テンバさんの写真とKTM空港の反転広告紹介
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2013/10/20131021.html
http://glacierworld.weebly.com/7124631253112502223202249520132418010263762126085.html
7. 霜の写真(ロッジと飛行機の窓)
また、クアランプールから関空にAirAsia便で帰る際、1万m付近を飛行中に大きさ数cmの針状結晶が集合した霜が窓に形成さていました(写真51)。
8. エアー・アジア KCC 空港
「The world’s only, as well as the largest purpose built terminal for low cost travel in the world, 45 million passengers per annual.」と銘うったAirAsia会社なので、なるほど年間4500万人を運ぶAirAsiaの中心であるとうなずけるクアランプールの国際飛行場に隣接したAirAsiaのLCC(Low Cost Carrier)ターミナルの規模の大きさにはびっくりしました。乗客はいたるところで寝ころんで飛行機待ちをしています(写真52)。AirAsiaの時刻表と関西空港のを比較すると(写真53)、その差は歴然としています。AirAsiaは1時間当たり20便もありますが、関西空港では1時間に5~6便にすぎません。第1印象は、日本の大きな駅の感じです。LCCですので、乗客は手荷物をもって飛行機まで歩いていかなければなりません(写真54)。
9. ヤクの糞を使った暖房用ストーブとまだ残っていた「サーブ」の表現
森林限界以下のパンボチェ村(3915m)までのロッジでは、ストーブの燃料としては薪を使っていますが、それより標高の高い地域では、チベットなどと同様にヤクの糞を利用しています(写真55)。ヤクの糞は臭いもなく、薪とは違って静かに燃えるので、夕食のあとは、地元でヤク・コ・ゴパールとよばれるヤクの糞であたたくなったストーブを囲んで話に花が咲きます。従来は外人に対しては遠慮しがちだった地元の人たちもストーブの周りの良い席を早い者勝ちに占めるようになった光景には好ましく思うと同時に、外人とのわけ隔てのない意識に変わっている姿に感心もしました。かつての1970年前後に一般的に見られた差別意識を克服しているように思えたからです。「サーブ(ご主人)」と呼びかけるイギリスの植民地時代以来の表現は1970年代には使われていましたが、現在ではほとんど使わていない化石的な表現を、今回はただ一度だけ聞きました。それは、昼飯のランチを頼んだ後、「サーブ、用意ができました」と言ってきたからです。長年使ってきた年寄りならいざ知らず、彼は20代のの若者だったので、余計に意外に感じたものでした。自分を逆差別する「サーブ」という表現は現在でも不滅ではないようです。
10. ダワさん話と嘉田さんの夢
ゴキョウの夜のことでした。立山の山小屋で修業したことがあるロッジの主、ダワ・ツェリンさんが暗い電灯のもとでヤクの糞を燃やしたストーブ(写真55)を囲みながら、奥さんや子供たちに「(イムジャ氷河湖からくる)イムジャ・コーラ〈川〉と(チベットへの交渉路であるナンパ峠からくる)ボテ・コシ(川)が合流してドゥドゥ・コシになり、ドゥドゥ・コシはスン・コシとなってインドへ行くので、われわれはその一番上流にいる」と話しているのを聞いて眠りについたからでしょうか、夢のなかで、嘉田滋賀県知事が登場し、カルチェラタンの「民衆の歌」(Do you hear the people sing? Singing a song of angry men? It is the music of a people Who will not be slaves again! When the beating of your heart Echoes the beating of the drums There is a life about to start When tomorrow comes!)がながれたあと、地域主権と住民自治の必要性を主張する映像が現れたのです。今回の踏査では、かなりしんどかったので、夢などは見ても覚えていないことが多かったのですが、いくつもの川を集めて琵琶湖となり、瀬田川は淀川になって大阪湾へとそそぐ流域の一番上流である琵琶湖集水域の環境問題の解決にむけて仕事をしている嘉田さんやわれわれの意識が、ダワ・ツェリンさんのインドへ流れる流域の一番上流にいるという見方と重なりあい、琵琶湖研究所で一緒に仕事をしてきた嘉田さんが夢に登場したのかもしれません。
シャンボチェの丘付近からドゥドゥ・コシ流域の下流を見る(写真56)と、10月中旬の雪を残した氷食地形のU字谷のはるか南方の靄のかなたに温かいインド大地が広がっているのを感じることができますので、この夢は、「サーブ」という昔ながらの差別意識を残しながらも平等観が台頭する新しいシェルパの人たちの社会の課題やヒマラヤの環境問題の解決にヒントをあたえてくれたような気がするとともに、ゴキョウのロッジも窓に霜がびっしりとつく冷蔵庫の中にいるようで寒かったのですが、ダワ・ツェリンさんや嘉田さんの言葉のなかに、お互いの心のつながりを大切にする視点があるので、私の心だけは温めてくれたように思います。
翌朝、ゴキョ-の湖のためのラマ教のお祈り「ルンブン・プザ」に参加するというダワ・ツェリンさんに別れを告げて、いまだに大雪の残る4759mのゴキョ-を後にし、ジャガイモ畑が広がり、アン・ダヌーさんの温室にはトマトなどが実る(写真57)温かい3864mのクンデ村をめざしました。
PS
「2013年秋ネパール調査 番外編 メコンのほとりにて」につづき、下記のようなラオスの「2013年ヒマラヤ調査番外編余話2」もお届けする予定です。
記
田舎?の首都ビエンチャン風情、牧歌的なルアン・プラバン世界遺産都市、軍事革命讃歌の国立博物館、空港事情、食べ物・飲み物などのラオス生活様式。