2014年春ネパール調査(4) ツラギ

1)はじめに

写真1 ポカラからツラギ氷河湖への踏査ルート(GPS軌跡)

写真2 ツラギ氷河湖への踏査ルート(GPS軌跡)

ネパール中央部のマナスル峰西側のツラギ氷河湖の調査を予定通り終了したのであるが、連日夕方から夜にかけてアラレの後に雪が降り、エベレストの雪崩災害(ニュース資料)が報道されているように、かなり厳しい踏査行であった。ただ、氷河湖調査を行った日中だけは曇りとはいえ、雪がさほど降らなかったのは幸いだった。さらにまた、ポカラでは悩まされていた蚊とハエの世界から遠ざかり、ヒマラヤの麓に来たことがことがことほかうれしかった。
ニュース資料
After Everest tragedy, all expeditions called off
http://www.myrepublica.com/portal/index.php?action=news_details&news_id=73219
Discovery network cancels Everest jump
http://www.myrepublica.com/portal/index.php?action=news_details&news_id=73240
調査ルートは、4月12日早朝5時にポカラからベシサハールまでタクシーで行き(5000ルピー)、そこからダラパニまでは乗合ジープにのり(1500ルピー)、午後2時半にはダラパニに到着することができ(写真1)、電話連絡していた通り、いつものガイド役のガム・バハドゥール・グルンさんに再会することができた。従来3日かかった行程が3日で到達できたことは道路ができたということで、そのこと自体は道路開発によるが、同時にマルシャディ川の峡谷の環境破壊そのものであることは既に報告したので、ここではくり返さない(資料1)。
ダラパニで1泊(700ルピー)し、そこから踏査が始まる。満月にあたる2日目の4月13日はネパール歴2017年の元旦で、ナチェ村からダラパニの学校に通う子供たちがシャクナゲの花を飾ったお盆を持ってくるのにすれちがった。学校で新年の祝いがあるとのことである。アル・バリのカルカとダラムサーラの石小屋で泊まったのち、調査4日目にはフライシートの屋根がけのベースキャンプ(BCを)建設した。そして、5日目にツラギ氷河湖の左岸P3とP1写真撮影起点および氷河湖末端モレーン部分と流出口地点の調査、さらに降雪のため明日の好転が期待できないので、明日に予定していた右岸のP4写真撮影起点での調査も前倒しで行うというかなりしんどい踏査を行った(写真2)。6日目の帰路は、4月16日夜半から降った雪道をたどり、3日かけてダラパニまでもどり、ジャガートまでの乗合ジープ(1000ルピー)を利用し、そこで1泊(800ルピー)した。4月20日の調査行9日目早朝、ベシサハールまでさらに乗合ジープ〈500ルピー〉をのりついで、そこからは乗合マイクロバス(320ルピー)に乗り換え、午後2時にポカラに予定通り戻った。
資料1
2012年秋ネパール調査報告
http://glacierworld.weebly.com/3201224180311791249312497125401252335519266192257721578.html

2)ツラギ氷河の末端変動

ツラギ氷河湖・氷河末端変動については、2年前の2012年の末端位置(写真3)と今回の2014年春(写真4)ではほとんど変化は見られない。そのため、ツラギ氷河は2010年ごろから末端位置の変化がなくなり、氷河底が湖底に座礁し、2009年のような氷河末端崩壊(カービング)がなくなり、氷河の縮小化が進むなかで、氷河は動きを止めている、と解釈できる。

写真3 2012年10月のツラギ氷河末端(P3地点より撮影)

写真4 2014年4月のツラギ氷河末端(P3地点より撮影)

3)ツラギ氷河湖の永年的な水位低下現象

写真5 ツラギ氷河湖の末端モレーンの浸食地形

ツラギ氷河湖を堰きとめているモレーン末端部が30mほど浸食されており、そこが氷河湖から河川への流出口になっている(写真5)。流出口からの流量は、末端モレーンのところにあるカルカの橋で毎秒5~6トンであった。このようなモレーン地形はクンブ地域の氷河変動との対比から 16 世紀に形成されたもの(資料2)と解釈できることから、モレーンが形成されてから 600 年ほどの間に流出口の位置が浸食で 30 m ほど低下したとみなせる。つまり、平均的には1年あたり 5 cm ほど浸食が進み、それにつれて氷河湖面の水位が永年的に低下してきたことを示している。このような末端モレーンの流出口の浸食地形はクンブ地域のイムジャ氷河湖などにもみられる一般的な地形的特徴であるが、氷河湖の表面からではなく、湖底からの流出機構があると考えられるクンブ氷河では、このような末端モレーンの浸食地形はみられない。
さて、ツラギ氷河の末端位置が変化がなく一定で、流出口の浸食による水位低下が進行すれば、氷河湖の面積は減少の一途をたどることになる。つまり、人間が手を加えなくても、氷河自体がGLOFリスクを少なくする氷河湖の水位低下をひきおこしている、とみなせる。同様な現象は昨年秋の東ネパール・クンブ地域のイムジャ氷河湖でも観察されている(資料3)が、現在氷河湖の水位を低下させるツォー・ロルパ氷河湖のような人工的土木工事がイムジャ氷河湖で進められようとしている(資料4)のには、その必要性があるのか、についての問題があると考える。


資料2
Glacial history in the Khumbu region, Nepal, in relation to upheavals of the Great Himalayas.
http://glacierworld.weebly.com/2770327827.html
資料3
イムジャ氷河湖関連報告
http://glacierworld.weebly.com/612452125121247212515277032782728246.html
東ネパール・クンブ地域の調査-イムジャ氷河湖変動など-
http://glacierworld.weebly.com/120132418031179124931249712540125233551926619-124631253112502.html
資料4
Nepal, UNDP ink deal on cutting flood risk
http://www.thehimalayantimes.com/fullNews.php?headline=Nepal%2C+UNDP+ink+deal+on+cutting+flood+risk+&NewsID=383913

写真6 水位上昇時の湖岸水位

写真7 水位下降時の湖岸水位

氷河湖からの流出口の浸食をひきおこす営力としては湖面水位変動で、融氷量増大で流出量が増加する時や、2009年秋の調査時に観測された氷河末端部の崩壊(カービング)による振幅30cmほどの津波現象(資料5)や今回観測した10cmほどの湖面変動(写真6,7)もあると考えられる。流出口の2012年秋と今回との比較からは、20cmほどの水位低下が認められる(写真8.9)が、これは融氷量・流出量の季節的変動が効いている可能性も考えられる。
資料5
ツラギ氷河湖調査報告
http://glacierworld.weebly.com/512484125211246235519266192257721578.html

写真8 2012年10月のツラギ氷河湖の流出口

写真9 2014年4月のツラギ氷河湖の流出口

4)最近の水位低下現象

ツラギ氷河湖の水位低下現象が起こっていることに気がついたのは次のような経験からである。ツラ氷河湖の湖岸沿いに歩いたGPSの軌跡ルートをグーグル画像に重ねて見ると、2005年11月5日の画像上では、2009年11月8日の軌跡ルートがほぼ湖岸(汀線)に並行に、岸から20~30mの湖中を通っているので、2005年の水位は2009年よりも高かったと考えた。はたして、新しく公開された2011年12月30日のグーグル画像に2009年の軌跡ルートを載せてみると、軌跡ルートは歩いたとおり、湖岸(汀線)沿いに通っているので、ツラギ氷河湖の水位は2005年から2009年にかけて低下していたことが確認できた(資料6)。
資料6
2012年秋ネパール調査報告
http://glacierworld.weebly.com/3201224180311791249312497125401252335519266192257721578.htmlそれでは実際にどの程度水位低下しているかというと、最近の変動では水位低下してからの時間があまり経っていないので、高水位時代の汀線を示す植生のない湖岸部が湖面から2.5m上に連続的に分布していることから、最近の水位低下量は2.5mと見積もることができる(資料7)。水位低下の原因としては、氷河湖の流出口部分が侵食され、流出口の位置が低下したため、湖面水位も低下をきたしたものと解釈している。
このような水位低下現象は、ネパール水文気象局(通称DHM)が1996年に調査した時の氷河湖末端周辺の写真と2009年のものと比較しても明らかで、氷河湖末端部のグレーシャーミルクの部分が、水位低下によって2009年には氷河本体から切り離されて、グレーシャーミルクの粘土成分が沈殿し、透明度の高い池に変化している(資料7)のである。
資料7
.なぜ、ネパールの大規模氷河湖は決壊しないのか
ネパール中央部マナスル地域のツラギ氷河湖の水位低下現象とGLOFリスク低減機構
http://glacierworld.weebly.com/112394123801228912493124971254012523123982282335215271692770327827282461239927770227301237512394123561239812363.html

5)GLOFリスクへの自律的対応機構

nepal2014-add

写真10 東ネパール・クンブ地域のGLOF氷河湖分布図

東ネパール・クンブ地域でGLOFを発生した実践の白丸で示したミンボー(1977年)、ラグモチェ〈1985年〉、サボイ〈1999年〉各氷河湖はいずれも氷河湖面積が1平方キロ以下の小規模な氷河湖であった(写真10)。氷河湖をせき止めている堆積物(モレーン)中の化石氷が溶けたりすれば、古くなったロックフィル・ダムのように構造が弱くなり、そこに雪崩・岩石崩壊による津波の影響が加われば、小規模な氷河のモレーン構造の脆弱性によって、末端モレーンの決壊の要因になり、GLOFを引き起こしたと考えられる(資料8)。一方、モレーン強度の高い大規模氷河湖の場合は、写真10で破線の白丸が示すイムジャやツォー・ロルパ各氷河湖は、直下型の大規模地震でもない限り、モレーンは安定しているとともに、温暖化の進行による融雪・融氷水流入の増加がすすむなかで、結果として引き起こされる氷河湖の水位上昇に対して、(あたかも自律的に)氷河湖の流出口が侵食され、湖面水位を低下させる現象がツラギ氷河湖とともイムジャ氷河湖でも起こっていることが確認できた。つまり、大規模氷河湖にはGLOFリスクへの(自律的な)対応機構がそなわっている、のではなかろうか。もし、この解釈が妥当ならば、ツラギ氷河湖自体が、GLOF災害の発生リスクを高める水位上昇への事前防止機能を発揮している、といえるであろう。したがって、GLOF対策とはいえ、すでに行われてきているツォー・ロルパ氷河湖のような大規模土木工事は、各々の氷河湖の特性に対応したGLOFリスクへの(自律的な)対応機構を調査したうえで、再考すべきであることを重ねて主張したい。さもなくば、貴重なヒマラヤの氷河景観を痛めつける自然破壊を引き起こしかねないことを危惧している。対策が必要なのは、GLOFリスクの高い小規模氷河湖で、大規模氷河湖ではない。
資料8
Nepal case study : Catastrophic Floods
http://glacierworld.weebly.com/2770327827.html


6)友人と先輩の分骨場

調査の最終日に、高度3000mの高原的な地形のアル・バリ(ジャガイモ畑)にある友人の瀬戸純さんと先輩の宮地隆二さんの分骨場にシャクナゲとチンチョウゲ、それに名も知らぬ黄色い花をたむけ(写真11)、シュクパ(ビャクシン)の香をたいて(写真12)、亡き友人先輩を偲んだ。シャクナゲの花は低地では濃い赤だが、高度を上げてベースキャンプへ近づくにつれてピンクや白い花が混在するようになる。分骨場のあるアル・バリ周辺では、春の小鳥がさえずり、時折カッコウが鳴いていた。東のマナスル峰や西のアンナプルナⅡ峰は残念ながら雲に覆われていたが、まさに、高原的なアルムの景観を感じとることができた。

 写真11 シャクナゲとチンチョーゲでをたむけた分骨場

写真12 シュクパ(ビャクシン)の香をたいて亡き友人先輩を偲ぶ

7)その他

1.何を食べていたか

写真13 調査中の常食(ご飯とジャガイモと菜っ葉の汁)

食料はポカラの新しいスーパーマーケットで米とラーメンなどを買っていき、現地でジャガイモと野菜を調達した。米は細長いインディカではなく、タイチンと呼ばれている円いジャポニカに近い米、ラーメンはネパールで評判の商品名ラーラを購入した。肉類はなしで、毎日ラーメンとご飯とジャガイモと菜っ葉の汁(写真13)で、コレステロール値の高い身にとっては良かったかもしれない。ジャガイモを焚火の木炭にのせて焼くヤキイモは格別おいしかった。

 

2.お世話になった人々
 A. ガム・バハヅール・グルンさん(60才)
ツラギ氷河湖があるダナ・コーラ(川)の最奥の村の住人で、2008年の最初の調査以来お世話になっている(写真14)。従来は彼の村まで3日ほどかかったが、今ではマルシャンディ河沿いの道ができたので、ポカラから1日で行けるようになった。それに携帯電話が普及しているので、ポカラから前もって電話しておいたら、彼の村近くの道路沿いのダラパニむらまで迎えに来てくれた。現地調達のジャガイモと野菜は彼の畑のものである。今回のツラギ氷河湖BCでは20cmの降雪に見舞われたとき、彼は夜中フライシートの雪下ろしを続けて(写真15)くれ、時々」これで道が消えてしまう、どうしたら下山できるのだろうか」と悲鳴を上げていたが、さすがに土地勘が鋭いので、消えた踏み跡の道を探し出し、迷うことなく、石小屋のあるダラムサーラまでわれわれを導いてくれた(写真16)。来る時のダラムサーラには50頭ほどのヤクが群れていたが、この雪で、帰りにはその姿はなかった。彼らもまた雪の世界からとうざかったのであろう。氷河湖調査は天気の合間を縫ってやり遂げたが、雪の世界から脱出するという撤収のの困難さを彼は救ってくれたのである。そういえば、ナチェ村の人が見たという雪男は見ることができなかった。雪男も、われわれ同様、温かい世界へと移動したのかもしれない。彼の日当は1000ルピー。彼のジャガイモと野菜代として500ルピー、それに彼は使っていた小屋がけ用のフライシートが欲しいとの事だったので、2枚のうち1枚をお礼にさしあげた。

写真15 降雪後のツラギ氷河湖BC

写真16 雪を踏んで下山開始

B. ゴパール・マンガールさん(41才)
出身はネパール東部のソル地区であるが、出稼ぎのため、ダラパニ村でポーターの仕事をしている(写真17)。行程2日目のアル・バリからダラムサーラの石小屋までは長尾ルート南ので、後半のダナ・コーラの橋からダラムサーラまでは「もう駄目だ。帰りたい」と愚痴をこぼしていたが、「後は楽な行程だ」と言い聞かせると、辛い2日目をのりきってくれた。ダナ・コーラの橋の水流は澄んでいて、とても氷河湖からの川とは思えないほどであった(写真18)。グレーシャー・ミルクを生産する氷河の活動が衰えているのかもしれない、と思われた。直接水流の水を飲んでもグレーシャー・ミルクの粘土のジャリジャリした感じはほとんどしなかった。だが、その彼も、帰りの長丁場であるダラムサール~アル・バリ間では、荷物も軽くなったせいか、愚痴をこぼさずアル・バリまで荷を運んでくれた。彼は当初、日当1200ルピーを要求してきたが、食料持参なので、1000ルピーで合意し、別れるときに、お礼として500ルピーを渡した。

 写真17 ゴパール・マンガールさん

写真18 ダナ・コーラ中流の橋周辺の澄んだ水流
C. サガール・ガレさん(18才)

写真19 サガール・ガレさん

彼は、友人の古川宇一さんが40年ほど前に民俗調査でお世話になったティリチェ村のコマール・ガレさんのお孫さんで、2年前に、マナスル峰(8163m)の北にあるラルキャ峠の麓ビムタンまでの踏査行の時に、コマール・ガレさんが貸してくれた馬の面倒をみてくれた子供子供した16歳であったが、その後の2年間で立派な青年になっていた(写真19)。実は、日本を出る前に「今回はコマール・ガレさんには会えないかもしれない」と古川さんに言ったのであったが、調査を終えてナチェ村に戻った時に、フライシート1枚と手回し充電式フラッシュライト、それにミニトマトの種があったので、コマール・ガレさんにさしあげることを考えついたが、電話番号が分からなかった。そこで、彼の息子で、カトマンズで仕事をしているアルン・ガレさんに電話し、1時間後にダラパニで会えるようにお願いしたところ、コマール・ガレさんの代わりにサガール・ガレさんが1時間の距離をさっそく歩いて来てくれたのである。ネパール山岳地帯の携帯電話の普及率の高さがここでも証明された。ヤギや牛を追っている子供たちまでもが携帯を身につけているし、荷物を担いでいる女性たちもスマートフォンを利用している時代になっているのは、スマートフォンを使えない自分には、ある面で日本より進んでいるような気がする。サガール・ガレさんは機をみて、コマール・ガレさんに電話をつなげてくれたので、2年ぶりに話をすることができた。コマール・ガレさんは「体調が思わしくないので、自分が行けないので、申し訳ないこと、さしあげた贈り物にはとても感謝している」ことなどのほかに、「次は古川さんと一緒に来てくれるように」とのことであった。


3.今回の調査に要した予算
今回の総予算は入山許可料(入山登録料TIMSと国立公園保護料各2000ルピーの計4000ルピー)、食料代(2800ルピー)、交通費(8320ルピー)、宿泊代(2泊で1500ルピー)、ポーター代などの人件費(2人各7000ルピーの14000ルピー)の総予算は30820ルピー(約3万円)であった。1日平均にすると、約3500ルピー(3500円程度)でヒマラヤのトレッキングを楽しみ、調査していたことになる。
予算詳細
食料代(ポカラで) 2300ルピー
現地のジャガイモなど 500ルピー
交通費 8320ルピー
ロッジ宿泊代(2泊) 1500ルピー
人件費(2人分) 14000ルピー
合計30620ルピー(約3万円)
4.最後に

写真20 トンパ(背景はチェット・バハドゥール・グルンさん)

ツラギ氷河湖の調査を終え、友人・先輩の分骨場のお参りも済ませ、現地でお世話になった方々と分かれてから、ヒマラヤの最後の夜をジャガーとで過ごすことにした。ここには調査のたびに泊まっていたエコ・ホーム・ゲスト・ハウスのチェット・バハドゥール・グルンさんがいて、トンパと呼ばれる発酵したヒエにお湯を注ぎ、ストローで吸いながら飲む日本酒の熱燗のようなお酒(写真20)をいただきながら、旧交をあたためた。彼もツラギ氷河湖を気にかけていたので、「氷河湖は小さくなっているので、大きな地震でもない限り、氷河湖の決壊洪水の危険はない」ことを伝えると、安心していたようだ。彼の息子がネパールの新年の休みでポカラの寄宿学校から戻って生きているが、数日後には息子と一緒に行くので、ポカラの国際山岳博物館に息子ともども見学に来るというので、再会が楽しみである。
さてもうひとつ最後にあたり環境問題としてつけ加えたいのは、オオバコなどの低地の雑草の高地への移動問題である。アル・バリや、ダナ・コーラ橋とダラムサーラへの途中の崖小屋周辺には米科の雑草やスイバが広範囲に分布を広げて、もともとの植生を駆逐しているのである(写真21)。このことは、森林火災とともに、ヒマラヤの貴重な自然保護のかだいになることであろう(資料9)。

  資料9
Annapurna Base Camp
ヒマラヤ>ECO TOUR
http://glacierworld.weebly.com/6annapurna-base-camp.html

写真21 低地の雑草の高地への移動問題

今後は、ポカラの国際山岳博物館に寄付してある写真データベース(資料10)を整理するとともに、2012年5月のセティ川洪水(資料11)の災害地域を再訪し、その後の復旧のあり方などを見てきたいと考えている。
資料10
1)時系列ブログ
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/
2)テーマ別ウェブサイト
http://glacierworld.weebly.com/
3)ヒマラヤなどの写真データベース(10万点以上)
http://picasaweb.google.com/fushimih5
資料11
調査報告  セティ川洪水とマディ川氷河湖洪水
http://glacierworld.weebly.com/312475124861245124029279462770012392125101248712451240292770327827282462794627700.html
セティ川洪水
http://glacierworld.weebly.com/5124751248612451240292794627700.html