ネパール2014春調査報告 5 -断層と水の挙動-
写真1 Hot Spring、Sinkhole、Rainbow Trout Farming
の位置と地質構造図
写真2 Dhiprang Hot Springの位置と地質構造図
(1) Dhiprang Hot Spring (ディプラン温泉)
写真3 地元の人が撮ったDhiprang Hot Springに
押し寄せるセティ川洪水の第1波
写真4 洪水前のDhiprang Hot Spring(セティ川の右岸H1と左岸H2に温泉場があった) 撮影:赤羽
ヒマラヤ山脈の南側に断層帯が東西に走り、そこを深い谷が浸食しているので、花崗岩を熱源とする温泉が東西に分布している。ポカラのセティ川沿いのディプラン(写真1,2)もそのような温泉のひとつである。ところが2年前、地元の方のディプランから撮られた写真によると、2012年5月5日午前9時38分に大洪水が押し寄せ(写真3)、写真中のB周辺の人たちは洪水に飲み込まれてしまった。その洪水前に現地を訪れた国際山岳博物館学芸員の赤羽さんの写真(写真4)を見ると、セティ川を左岸から右岸側のディプランに渡る吊り橋(A)の上流側の右岸にH1、左岸にH2 の温泉がわいていたのが分かる。ところが、2年前の洪水で、両岸の温泉(H1とH2 )とともに、Bの施設も全滅したのである(写真5)。
写真5 洪水直後のDhiprang Hot Spring(写真3のC地点近くまで洪水が押し寄せた)
写真6 洪水直後のDhiprang Hot Spring(Dhiprangへ通じる橋Aまで洪水が押し寄せた)
写真7 Dhiprangへ通じる橋Aの基部は修理されていた。
写真8 Dhiprang Hot Springの右岸H1は再開されていた
が、左岸H2は消滅した。
写真9 Dhiprang Hot Springの右岸H1
写真10 Dhiprang Hot Springの右岸H1の祠にお参
りする婦人
ディプランへ左岸側からわたる橋(A)はかなりの被害をこうむっていた(写真7)が、2年後の今回は修復されていた(写真8)。そして、左岸側の温泉は壊されたままだが、右岸側の温泉は修復されて(写真8、9)、温泉客が温泉わきの祠に瀬ん線香をたき、盛んに拝んでいた(写真10)。おそらくは、自分の健康回復と洪水が来ないことを祈っているのであろう。橋(A)や温泉(H1)が回復してきた(写真11)とはいえ、何回かの洪水流が押し寄せてきた結果形成された河岸テラス(T1とT2)のうち、比高の低いT2が後からの大水によって浸食・除去されている様子が分かる(写真12、13)・
写真11 Dhiprang Hot Springの全景(パノラマ写真)
写真12 セティ川洪水で形成された洪水堆積物の
高位段丘(T1)と低位段丘(T2)
写真13 洪水後の増水で洪水堆積物の低位段丘(T2)は
浸食されている。
(2) Pokhara Sinkhole (ポカラ陥没地形)
写真14 Jumleti Sinkholeの位置と地質構造図
写真15 水田に形成した直径2mほどのSinkhole(人物は赤羽さん)
写真17 表層の礫層が陥没し、Sinkholeを形成する。
「Pokhara Sinkhole」(カトマンズ・ポスト紙;2013年12月6日))が半年ほど前から発生しているという陥没地形の事が報告されている現地を、国際山岳博物館学芸員の赤羽さんが連れて行ってくれると言うので、博物館員のラジャン氏とともに2014年4月25日に参加してきた。現地はポカラ北部のセティ川支流カリ・コーラ右岸の河岸段丘(写真14)で、その下流には「Mahendra Cave」や「Bat’s Cave」とよばれる鍾乳洞とおぼしき洞穴があるので、鍾乳洞の陥没災害かと当初は思って行ってみたのであるが、現地で見ると、河岸段丘面のテラス堆積物表層に1m未満の小さいものから、大きいのは10mを越える陥没地形が(写真15,16)、いたるところに(一見無秩序にみえるのだが)分布ししている。陥没の原因となる空隙は礫層内にある(写真17)ので、鍾乳洞の陥没地形とは違う、と解釈できた。現地には、かなり立派な3階建の民家が建てられていた(写真18)が、恐ろしくて住民は避難し、無人になっているそうだ。地元の地質屋さんの提言で、地下水を抜くための排水工事がかなり大規模に進められた(写真18)が、陥没地形の発生はさらに続いたために、その工事はやむなく中止され、赤羽さんの話によると、地元の地質屋さんは面目を失ったとのことである。
写真18 Sinkhole地帯の民家と水抜き用の溝
写真19 テラス堆積物の礫層(T)の下に湖成堆積物の
粘土層(L)がある。
さて、問題の河岸段丘堆積物は下部の湖底層とおもわれる粘土層の上を礫層が覆い、礫層の上部1mほどが水田・畑地として利用されている(写真19)。永年にわたり、上部礫層表面の水田耕作が維持されてきたなかで、止水面になる下部粘土層と上部礫層の境をかなりの地下水が流れている(写真20)のをみると、上記の地元の地質屋さんの指摘もある程度はうなずけるのであるが、とにかく大量の地下水が上部礫層内を部分的に浸食し、空隙をつくることによって、いたるところに、陥没地形を形成したのではないか、と解釈できた。しかし、なぜ、礫層内をいたるところで浸食するほどの大量の地下水が流れ込んだのか。
写真20 テラス堆積物の礫層と湖成堆積物の粘土層の境に大量の水が流れる。
写真21 Jumleti Sinkhole地帯の山腹を新しい道路が走る。
新聞記事をみると、現地はポカラ北部ののアルマラ(Armala)地区と報道されているが、地図をみると、アルマラはカリ・コーラの左岸で、陥没地形のある右岸はジュムレティ(Jumleti)村にあたると思われるが、そのジュムレティ村の山腹に林道が造成されていた(写真21)ので、もしかしたら、その林道やのり面から雨水が侵入し、大量の地下水を供給したのではないかと考え、村人に聞くと、村の中を通る道が陥没したので、迂回道路つくるために1か月前に造成したとのことであった。陥没地形は半年前から発生しているの、その林道造成は原因にならない・せは、上部礫層を浸食した大量の地下水の供給源は、何なのか。
そこで次に「Engineering and Environmental Geological Map of Pokhara Valley」を見ると、カリ・コーラ周辺には東西・南北性の断層群が分布している(写真14)ので、これらの断層沿いに大量の地下水が浸み込めば、表層の段丘礫層内部を浸食し、空隙を作ることが可能なのではなかろうか、との思いにいたった。ディプランの温泉と共通する、断層沿いの地下水の挙動である。そこで、とりあえず、去年の地震活動の記録を調べると、2013年06月28日 20時40分と2013年03月07日 01時49分にネパールのほぼ同じ地域(北緯28.741度/東経82.297度と北緯28.758度/東経82.294度)でともにマグニチュード5、震源の深さともに約10kmの地震が2回連続して発生しているのである。はたして、この地震が断層沿いに大量の水を供給するようになったのであろうか。ただし、このような断層系はこの地域に数多く見られるので、断層が効いているとしても、なぜジュムレティ村周辺だけに「Sinkhole」が発生したのか、の疑問は依然としてついて回る。このような陥没地形(Sinkhole」)をご存知の方がおられたら、お知恵を拝借したいものである。
(3) Rainbow Trout Farming (ニジマス養殖)
写真22 Rainbow Trout Farmingのアムリット・グルンさん
写真23 和田さんの家庭でご馳走になったニジマスとダル・バート
現地調査の途中にニジマスの養殖場があったのよることにした。最近のポカラでは、大きなレストランに行くと、ニジマス料理を食べることができるようになった。冷たい川で生息するニジマスだから、セティ川の氷河の水を利用しているのかと思っていたが、そうではなく、セティ川支流の氷河のないブルジュン(Bhurjung Khola)中流で、山腹からの地下水を利用して、ニジマスを養殖しているとのことであった。名古屋や千葉のニジマス養殖で修行してきた場長、アムリット・グルンさん(写真22)によると、地下水だから、水温は17から18度で、年間を通じて一定し、ニジマス養殖には良い環境で、4年前に15人を雇用し、養殖事業を開始したとのことであった。この地下水が断層帯からのものであるとすれば、先の「Pokhara Sinkhole」の原因となる大量の地下水起源と関係す可能性も考えられるが、はたしてどうか。
アムリット・グルンさんは、ポカラに30年以上も住んでいる和田正夫さんをご存知で、ご好意でニジマスを分けていただいたので、その晩は和田さんの家庭で奥さまに料理していただき、塩味で焼いた美味しいニジマスとネパールの伝統的なダル・バート(豆スープとご飯など)をいただくことができた(写真23)。和田さんの広い畑のある庭を眺めながら、「ポカラでの作物づくりにとって、雹が大敵」等の話をお聞きするとともに、お婆さんが作ったすばらしいロクシ〈焼酎〉に酔いしれながら、時折魚が跳ねる目の前の池では、カエルが鳴いてくれるのを聞くのは実に贅沢なひと時であった。
次は、5月13日~16日にカトマンズで開かれるICIMODのヒマラヤ地域の国際シンポジウムの内容などについてを報告する予定です。それでは、みなさまもご自愛ください。ナマステ!