2016年ネパール通信8   最終講義の報告

はじめに

カトマンズ大学の講義のタイトルが“ネパールヒマラヤの環境変化” (*1)ですので、1965年以来のネパールヒマラヤにおける氷環境変動に関して、この半世紀にわたる12万枚ほどの写真資料を整備したデータベース(*2)を利用しながら、講義しました。カトマンズ大学の友人であるリジャン・バクタ・カヤスタさんの研究室はヒマラヤ周氷河・気候・災害研究センターと呼ばれ、講義をしたその研究室の今年の修士1年目の学生は、インド人の留学生3人をふくむ計7名(写真1)でした。当初の予定では、3月~5月の講義期間のうち、ポカラの国際山岳博物館の展示更新やランタンの現地調査期間を除く約2ヶ月半に30回(60時間)の講義をする予定でしたが、今年は去年と違い、3月が修士課程1年目の試験期間と重なったため、3月の講義時間が少なくなり、5月末までに全体で23回(46時間)の講義を行いました。カトマンズ大学にこの期間滞在したのは53日間ですので、2.3日に1回、講義を行ったことになります。しかしながら、講義スケジュールがかなりきつくなりましたので、当初予定していたランタンの現地調査は次回に見送らざるを得ませんでした。ポカラの国際山岳博物館の展示更新を5月初めに行っている間は、友人の干場悟さんにコンピュータの講義をしていただきました。

(*1)Environmental Changes of the Nepal Himalaya
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
(*2)ヒマラヤ写真データベース
https://picasaweb.google.com/115786369284765082831?showall=true


貴重な資源の喪失。

写真2は最終講義のまとめの図で、ネパールは貴重な資源である氷河と森林を失っていることが今回の講義の結論です(*3)。つまり、ヒマラヤ高地では温暖化で氷河の融解が進み、氷河は縮小していますが、一方氷河湖は拡大し、小さな氷河湖が決壊洪水(GLOF)を引き起こしています。しかし、このまま温暖化が進むと、今世紀中頃には6000m~7000m以下の小氷河は解け去り(写真3)、
乾 期の水資源の源が乏しくなります。すると、すでに発生した中央ネパール北部のムスタン地域の水を求める環境難民のような社会問題がヒマラヤ高地で連鎖的に 起こるとともに、ヒマラヤを起源とる南アジアの大河河口域の人口増加にみまわれる大都市にもその影響がおよぶでしょう。そこでは、低下する河川水位とは反 対に、海面上昇で塩水が河口域に侵入してくるからです。また、ポカラのフェヴァ湖のように富栄養化が進行する湖沼が分布するヒマラヤ低地では、森林火災 (写真4)や薪需要による森林破壊がすすんでいます。ネパール中央部のマルシャンディー川上流部のビムタンでは1970年 代の森林が草地化し、さらに観光化の進展でホテルやロッジが林立しています。特に森林火災は車の排気と相まって大気汚染を引き起こすと共に、温暖化にも影 響すると解釈できます。去年にくらべると今年の大気汚染によるスモッグ(*4)は著しく、ヒマラヤを見るための避暑地に位置するカトマンズ大学からさえ 神々の座を見ることはほとんどありませんでした。貴重な資源である氷河と森林を失っていることにくわえて、ヒマラヤの高地や低地に分布する湖沼群もまたそ の価値を減少させていると解釈できます。(*3)3-4. Summary and  Concluding Remarks
http://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/3-4-summary-and-concluding-remarks.html
(*4)2016年ネパール通信6
カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/

写真3 氷河縮小が著しいクンブ地域のギャジョ氷河

写真4 ネパール中部のマルシャンディ河流域の森林火災

ヒマラヤ地震博物館

写真5 1年前の地震災害状況を現在も残すバクタプールの遺跡

以上のように、ネパールでは氷河と森林と言う貴重な資源を失いつつある中で、第3の極地(Third Pole)と呼ばれるヒマラヤのネパールに2015年の地震災害が発生しました。現在も1年前の災害状況そのままの地域があり(写真5)、復興はなかなか進んでいないのが現状です(*5)。今回の講義期間中は、2015年地震の1周年にあたりましたので、鉱山地質局(DMG)と日本国際協力機構(JICA)による2015年 地震に関する2つの国際会議が開かれ(*6)、ヒマラヤ地震博物館(*7)の必要性を報告しました。私はかつてポカラの国際山岳博物館で仕事をしましたの で、若い学生たちにヒマラヤ環境の実態と問題点を示す必要性を感じていましたので、ヒマラヤ地震博物館でもヒマラヤの地震災害の問題点を、ネパールの将来 を背負っていく若い人たちに提示することが必要だと考えています。現在、カトマンズ大学でネパールヒマラヤの環境変化を講義しているのもその一環です。

(*5)2016年ネパール通信1
カトマンズの第1印象は、黒、だった。
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/03/blog-post_1.html
(*6)2016年ネパール通信4
地震に関する 二つの国際会議の報告
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/2016.html
(*7)2016年ネパール通信3
ゴルカ地震国際会議
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/60.html


ヒマラヤ展望率

写真6 カトマンズ大学の宿舎から見えるヒマラヤ連峰とガウリシャンカール峰

カトマンズ大学の宿舎から毎朝撮っている写真をチェックし、ヒマラヤ連峰のガウリンシャンカール峰(7134m)が見える割合を展望率(*8)と呼ぶとし、去年と今年の春の同時期の展望率を比較してみます。去年の3月~5月の68日間でガウリシャンカールが見えた日(写真6)は26日 ありましたので、展望率は38%でしたが、今年の同時期の53日間で見えたのはわずかに4日間でした。したがって、今年の展望率は8%にすぎません。ス モッグの影響を受けた今年の大気汚染がいかにひどかったかを示しています。このことは、ネパールにとって重要な観光資源であるヒマラヤを見ることができな いことを示し、ネパールの将来の観光産業にとっても大きな影響をあたえることでしょう。

(*8)2016年ネパール通信2
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/03/blog-post_23.html


今後の予定

帰国までの5日間はカトマンズに滞在し、2つの国際会議を開催した鉱山地質局(DMG)と日本国際協力機構(JICA)に挨拶にうかがい、ヒマラヤ地震博物館構想について話をしてこようと思っています。今回のAirAsia便は急遽帰国便のスケジュールが変更になったため、6月2日カトマンズを離れ、クアランプール空港に1日滞在し、6月4日は当初より半日ほど早くに帰国します(格安切符なので、予定変更には文句は言えませんが、カトマンズAirAsia事 務所は、スケジュール変更への対応を丁寧にしてくれました)。カトマンズ大学に友人のリジャンさんと話したところ、来春もまたカトマンズ大学の講義を行う ことになり、5月初めにはポカラの国際山岳博物館の展示更新を行う時に、今年同様に、干場悟氏にお願いしてコンピュータの講義をしていただく予定です。今 年はランタンの調査ができませんでしたので、来春は学生の試験期である3月にランタン谷の調査ができたらと考えています。来年の再講義のためいも、格安切 符を早期にゲットしようと思っています。
身辺諸事1
今 年のカッコウは声はするのですが、大学の森にはほとんど来ず、大学周辺の森を飛びまわっているようです。大学はカラスの天国になりましたので、カッコウは 近づけないのでしょう(*9)。今年の大学の食堂は大量の薪を使うようになりました(写真7)。石油・ガスなどの燃料が入りにくくなったのが原因だそうで すが、薪使用は近くの森の森林破壊を示しています。大学の森の生態系や大学関係者の生活活動も周辺環境に影響をあたえていることを強く感じた今年の講義で した。(*9)2016年ネパール通信3
ゴルカ地震国際会議
PS1 身辺諸事
http://hyougaosasoi.blogspot.jp/2016/04/60.html

写真7 カトマンズ大学食堂の大量の薪使用状況

身辺諸事2
実のところ、最終の講義を前に、下痢におそわれました。
今は良くなっていますが、五月蝿にも悩まされています。
大学はあと1週間、老骨に鞭打って、千秋楽を迎えます。この三日 激しく飛びかう五月蝿 日本のと違い 有りや無しやと
後期高齢者へ迫る 下痢に五月蝿 This is Nepal.を感じ 老骨に鞭打つ「目出度さはことしの蚊にも喰れけり」は一茶の句ですが、今もって、なかなかその心境にはなれません。
それでは、皆さま方も、どうぞご自愛ください。    (5月21日、カッコウガ遠くで鳴くカトマンズ大学にて記す)