宮地隆二さん-山岳博物館ことはじめ-
ヒマラヤの氷河調査をはじめるということで、名古屋大学に行き、名古屋鉄道(名鉄)におられた宮地隆二さん(写真1)の覚王山の家におじゃまし、お話をよく伺いました。1972年のことです。そこで例の、精のつく「にんにく卵」をご馳走になりました。とくに、宮地節で何回も話された「にんにく卵」が結晶化するという講釈には(僕自身は地質屋ですから、結晶の基本性質からみて「にんにく卵」は有機物ですので、結晶ではないと理解していますが)いつも感心して聞き入ったものでした。そこで、宮地さんが作られた金色に輝く「にんにく卵の結晶」をご自身がもっとご利用すれば、さぞかし長生きされたのではないかと僕は思うのですが、このような時がこんなにも早くこようとはまことに残念でなりません。お亡くなりになられたのは、宮地さんも参加予定だった北大山岳部(AACH)関西支部の琵琶湖集会直前でした。そこで、再び琵琶湖で開かれた秋の月見の会では、奥様からいただいたカイラス・ラベルの泡盛で宮地さんを改めて偲びました(写真2)。
それではここで、宮地さんたちが踏査されたネパール北西地域のことをつけ加えたいと思います。1963年秋、宮地さんたちは安藤久男隊長のもとに、標高7300mと言われたナラカンカール峰遠征を行いましたが、一ヶ月半以上におよぶ踏査にもかかわらず、目的の山が見つからなかったという信じられないことが起こりました。当時はまだ正確な地図もなかったために、宮地さんたちはネパール領から中国領のナモラディ氷河に達し、この地域の最高峰グルラマンダータ(ニャモナニール”ナムナニ”:7694m)の登路偵察を行っています(「チベット高原への旅」参照)。はたしてその際、宮地さんたちは聖山カイラスなどを見たのでしょうか。そこで1978年秋に、私たちはネパールヒマラヤ氷河調査隊の航空写真撮影調査(Fushimi et. al., 1980)の際、渡辺興亜さんたちが調査したタクプ氷河からナモラディ氷河近くまで飛び、宮地さんたちが到達した地域の写真撮影をしました(写真4)。航空写真には、カイラス峰とともに、聖湖マナサロワールとラカス湖も写っていますが、宮地さんの「チベット高原への旅」にはカイラス峰やマナサロワール湖のことは書かれていないことから、グルラマンダータⅡ峰(ゴナラ:6902m)にさえぎられて、少なくともカイラス峰やマナサロワール湖は宮地さんたちには見えなかったのではないでしょうか。その後宮地さんはツァンポー河経由で東から車でカイラス詣でをされているのは、ナラカンカール隊の思い出があったからなのでしょう。しかしもともとは、インドのヒンズー教徒やネパールのラマ教徒と同じように、カルナリ川沿いに南から歩いて、かつてのナラカンカール隊の長いキャラバンの旅をたどり、カイラス峰に行くことを希望されていましたので、いつの日か、それらの地域を私たちが再訪することも宮地さんを偲ぶ旅になるのではないかと思っています。カイラス峰は宮地さんにとって、よほど思い出深い聖山なのでしょう。冒頭のカイラス・ラベルの泡盛をはじめ、京都の円光寺の宮地さんのお墓にもカイラス峰が描かれています(写真5)。
最後にナラカンカール峰のことですが、日本ネパール協会関西支部の大西保さんが作られたこの地域の地図には、ナモラディ氷河の東側にナラカンカール峰が記されています。その高度は、5913mです。宮地さんたちはナモラディ氷河に到達したとき、ナラカンカール峰を見たかもしれませんが、その高度が7300m前後ではなく、あまりにも低い6000m以下だったために、気がつかなかったのではないでしょうか。しかし、そもそもなぜ、6000m以下の山の高度が7300m前後に飛躍?したのであろうか。グルラマンダータと錯覚しただけではすまされないが、いずれにしても、地図が頼りにならない地域の調査活動には、苦労がある半面、ある意味では探検的な要素があり、未知の探究という楽しみも感じられたことであろう。
その後宮地さんたちは、グルラマンダータ峰南側の谷を下っている時に、中国軍に捕まってしまうユニークな経験をされています。そのことは、前述の「チベット高原への旅」でご覧ください。
追記
宮地隆二さんのヒマラヤへの分骨が、奥様の許可をえて、2011年4月6日に行われました(写真6)。分骨場の遺品には、奥様の字で、翠雲院長安大道居士(平成17年6月3日、69歳)と書かれています。場所はネパール中部マルシャンディ川中流のナチェ村上部のアルバリ(ジャガイモ畑)とよばれる、マナスルとアンナプルナⅡ両峰が見渡せる高原です。ナチェ村は、マナスル峰のツラギ氷河湖調査(本ウェブサイト ヒマラヤ>ECO TOUR>3.Tulagi Glacier Lake 参照)をする時に世話になる最奥の村です。
参考文献
伏見碩二 「ヒマラヤの自然史」, ヒマラヤ研究(原眞・渡邊興亜編),山と渓谷社,1983, 179-230.
Fushimi, H., Yasunari, T., Higuchi, H., Nagoshi, A., Watanabe, O., Ikegami, K.,Higuchi, K.,Ageta, Y., Ohata, T., and Nakajima, C. PRELIMINARY REPORT ON FLIGHT OBSERVATIONS OF 1976 AND 1978 IN THE NEPAL HIMALAYAS. 1980, 「SEPPYOU, 41, SPECIAL ISSUE」 JAPANESE SCIETY OF SNOW AND ICE, 62-66.
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