「イムジャ氷河湖に重機出現―歴史はジャンプするー」を追加しました。
1970年代のネパール・ヒマラヤの氷河調査でお世話になったハクパ・ギャルブさんが『Lowering of Imja glacier by Nepalese army(ネパール軍によるイムジャ氷河「湖の水位」低下)』の標題
1970年代のネパール・ヒマラヤの氷河調査でお世話になったハクパ・ギャルブさんが『Lowering of Imja glacier by Nepalese army(ネパール軍によるイムジャ氷河「湖の水位」低下)』の標題
1) はじめに 1995年春、あの阪神・淡路大震災の後、13年間つとめた琵琶湖研究所から新設の滋賀県立大学環境科学部に私は移った。その際、「私の環境学」の基本性格として「トップ・ ダウンに流されず、ボトム・アップを重視す
1973年2月、小須田達治さんと私は、名古屋大学を中心とする北大や京大などの学生によるネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)の先遣隊員としてカトマンズに向かった。そこでまずは、その調査許可を取るために2か月間、ネパール外
1) はじめに 私は1963年11月の北極海海洋調査をはじめとし、2017年3月のネパール・ヒマラヤ氷河調査までの約半世紀に38回の海外調査を行ってきた(注1)。そのほとんどはネパール・ブータン・チベットのヒマラヤ山脈周
1) はじめに 「木崎甲子郎先生追悼集」(参考資料)が刊行され、木崎さんの著作の全体像がほぼ明らかになった。それによると、木崎さんの著書は、1972年から2012年の40年間に、「南極大陸の歴史を探る」や「海に沈んだ古琉
ジャーナリストでニュース解説者のあの池上彰さん(図1)が『私もチャットGPT(図2)が登場してすぐに、試しに「池上彰は何者なのか」という質問を投げかけてみました』(参考資料1)そうだ。そしたら、「池上彰は、日本のジャーナ
琵琶湖は「近畿1450万人の水がめ」と呼ばれ、水源の琵琶湖の水位が注目される。瀬田川沿いの散歩で京滋バイパスの橋下に示されている毎日朝6時の水位・放流量の表示板をデジカメ写真で私は記録し、写真データベースを作成している(
ヒマラヤの氷河調査をはじめて50年ほどになりますので、その間のネパール・ヒマラヤの環境変化について報告します。日本山岳文化学会の皆さんは文化的な面にも興味を持っておられる方が多いと伺っておりますので、人間活動の歴史と氷河
琵琶湖は「近畿1450万人の水がめ」と呼ばれ、水源の琵琶湖の水位が注目される。瀬田川沿いの散歩で京滋バイパスの橋下に示されている毎日朝6時の水位・放流量の表示板をデジカメ写真で私は記録し、写真データベースを作成している(
1) データベースはフィールドワークの履歴書 40年ほど前、琵琶湖に潜り込む雪解け水を木に登って観察していた時、10mほどの高さから落ち、肋骨7本を折り、そのうち4本が肺を痛めた。そのため胸の手術を行い、30㎝ほど切ら