ネパール・ヒマラヤの環境変化(注)

 

1) はじめに

ヒマラヤの氷河調査をはじめて50年ほどになりますので、その間のネパール・ヒマラヤの環境変化について報告します。日本山岳文化学会の皆さんは文化的な面にも興味を持っておられる方が多いと伺っておりますので、人間活動の歴史と氷河環境の変化との関連についてもできるだけふれたいと思います。

2019年5月25日に行われた日本山岳文化学会総会での報告(下記)に、ここでは関連論文やブログ報告を参考資料としてつけ加えました。また、図の多くが英語表記になっているのは、元資料が国際山岳博物館の展示物およびカトマンズ大学の講義で使用した資料を用いているからです。

記念講演 「ネパール・ヒマラヤの環境変化」 山岳文化、2020, 21, 8-34.

図1 国際山岳博物館 

図1 国際山岳博物館

図2 学生時代に行った世界一周関連図

図2 学生時代に行った世界一周関連図

2) 国際山岳博物館

それでは、最初のスライドです(図1)。私は2008年から2年間JICAのシニアボランティアで、ポカラにある国際山岳博物館の学芸員をしておりました(参考資料)。国際山岳博物館には年間10万人程の見学者が訪れますが、その内の半分以上、5万人を超える人たちは学生です。小さい子供たちも参りますので、博物館の基本的な考え方としてはAct Locallyをまず初めに考え、そしてThink Globallyとの考えで取り組んでいます。この言葉はもともと「Think Globally, Act Locally.」という語順なのですが、小さい子供たちがいきなり「Think Globally」で地球環境を考えるというのは無理ですから、先ず地元の自分たちのこと、「Act Locally」で地元の問題を中心にして考えるという、従来言われている考えとは逆の視点で取り組みました。今日は、その「Act Locally」の視点から報告したいと思っております。

参考資料

As a JICA Senior Volunteer

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2012/09/as-jica-senior-volunteer.html

ネパール・ポカラの国際山岳博物館の展示概要

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/06/blog-post.html

安藤さんの事業集大成は「国際山岳博物館」だったのではないか。

―安藤久男さんの追悼文にかえてー

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2021/10/v-behaviorurldefaultvmlo.html

 

3) 北極海の調査

私は大学の学生時代に世界一周をしました(図2の赤線)。1963年から65年までの1年半は北極海の調査をしました。これはアラスカ大学のアルバイトだったのですが、この赤い線のようにアラスカの近くからグリーンランドの東岸を南下し、アイスランドの近くまで氷島に乗り漂流しながらの海洋観測で、海水の分析などを行いました(図2の右下;参考資料)。

参考資料

北極点・グリーンランド犬橇単独行における学術調査. 1979, 山岳, 1-21.

当時は地球の寒冷化が言われていまして北極海にはびっしりと氷が詰まっていました。北極海の表層の水が冷やされますとこの漂流するルートと同じように表層水が流れまして、冷たい水は密度が大きくなり重くなるのでアイスランドの南の辺で北大西洋の深層に沈んでいきます。図2の右上に小さい図ですが、地球上の海水の流れが示されているように、北極海で冷やされた海水は大西洋で深い所に潜り込んでいきます。その潜り込む量と同じ量が南からメキシコ暖流として、ヨーロッパの北の方に入ってきます。地球全体の海の流れを最初に作り出すところの観測ということで、この海洋観測は注目されておりました。

その後私は滋賀県の琵琶湖研究所で琵琶湖の水資源の研究をすることになりました。ご承知のように琵琶湖は富栄養化による水質汚染の問題を抱えておりました。特に深い所、琵琶湖は100m位の深さがありますが、深い所でも微生物がたくさんおり酸素を使ってしまい酸素が少なくなっています。ところが琵琶湖の周辺に降る雪解け水が琵琶湖に入ってきますと、冷たい北極海の水が北大西洋深層水として潜っていくメカニズムと同じように、雪解け水が琵琶湖の深い所に潜り込んでいきます。冷たい水は酸素をたくさん含んでいますので。深い所へ酸素を供給し。富栄養化をくい止める重要な役割をしているということを、かつて学生時代に北極海で経験した調査から同じような現象が琵琶湖にもあることを確認することに役に立ちました(参考資料)。

参考資料

琵琶湖集水域の積雪変動. 1987, 水資源・環境研究, 水資源・環境学会, 1, 64-74.

KONFLIKTE ZWISCHEN TOURISTISCHER ENTWICKLUNG UND UMWELTSCHUTZ AM BIWASEE IN JAPAN. 1990, WASSERWIRTSCHAFT, 80, 7/8, 370-373.

Acid snow in Lake Biwa catchment area, Japan. 1993, Strategies for lake ecosystems beyond 2000, Proceedings of 5th International conference on the conservation and management of lakes, 412-416.

気候変動と琵琶湖の水資源.1995,水資源・環境研究, 水資源・環境学会, 8, 36-47.

琵琶湖の雪(1)

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/02/blog-post.html

琵琶湖水位考

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/12/blog-post.html

 

4) 地球一周と初めてのヒマラヤ

学生時代の北極海のアルバイトで、北極海の後はヨーロッパを自転車旅行し、西アジアをヒッチハイクしました。当時私の友達が中央ネパールで地質氷河調査隊をやっていましたので、1965年の秋にその調査に現地で合流した後、3年近くにわたる東回りの地球一周の旅を終え、日本に帰国しました。その時のヒマラヤの地質の調査ですが、花崗岩の中に宝石にもなるザクロ石という結晶が含まれており、その数センチのザクロ石の内部の鉄とかマンガンなどの微細な分布構造を調べたことがあります。図2の左中の写真のように、2センチぐらいのザクロ石の結晶の内部で、鉄分などの濃度の高い部分が同心円状に分布していることを知っていました。そこで、琵琶湖での雪に関するもう一つの問題であった酸性化ですが、春の雪解け期間に、1センチほどのザラメ雪の内部をエックス線で調べてみると、ヒマラヤのザクロ石の内部構造と同じように、酸性物質が同心円状に分布している(図2の左下)ことが分かりました。雪粒は周りから解けますから、酸性物質を含んだ部分がいつ解け出して、河川や琵琶湖の酸性化を引き起こすかという予測ができるようになりした。その研究の基はやはりヒマラヤにあったわけです。このように学生時代の地球一周で北極海やヒマラヤで調査したことが、やがては琵琶湖の研究に役立ちました。

今日は、ヒマラヤの氷河が地球温暖化で解け、氷河湖が大きくなったりすることの影響について、このテーマはアジアの水資源にも関連してきますし、また特にこれから人口増加が問題になる南アジアの貴重な水資源問題との関連について、ネパール・ヒマラヤの環境変化の視点から報告したいと思っております(参考資料)。

参考資料

ヒマラヤの自然史.(1983)ヒマラヤ研究(原真・渡辺興亜編),山と渓谷社,179~230.

ヒマラヤの氷河,(1997), 氷河(基礎雪氷学講座), 古今書院, 177~194.

内陸アジアの氷河群,(1980), 月刊地球, 2, 3, 201-210.

内陸アジアの自然,(1980), 月刊地球, 2, 10, 707-726.

PRELIMINARY STUDY ON WATER QUALITY OF LAKES AND RIVERS ON THE XIZANG(TIBET) PLATEAU. 1989, BULLETIN OF GLACIER RESEARCH, JAPANESE SOCIETY OF SNOW AND ICE, 7, 127-137.

氷河群の時空間構造ー生態学的氷河学の視点からー

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/04/blog-post.html

日本に氷河はある,のか

鳥海山「貝形小氷河」,立山「御前沢氷河」と鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」の考察

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2020/07/blog-post.html

図3 チベット高原周辺の踏査図

図3 チベット高原周辺の踏査図

図4 エベレスト周辺の航空写真

図4 エベレスト周辺の航空写真

5) ヒマラヤ地域での踏査行

図3は、チベット高原の周辺の踏査図です。1965年に北極海から東回りで初めてヒマラヤに来た時は、中央ネパール、ダウラギリ周辺の地質と氷河の調査をしました。それから1970年代は毎年のように、特に東ネパールのクンブ地域、エベレストに近い地域の調査をしました。それから1980年には北京でチベット高原科学討論会があり、この時のフィールドワークとして、中央チベットのニェンチェンタンラ山脈周辺からカトマンズまで巡見のバス旅行を経験しました。さらに1987年には主として西コンロン地域の氷河の調査をした後、ジープで、図3の赤線のようにチベット高原を横断して、黄河の上流域の蘭州まで巡検しました(参考資料)ので、そのような経験を基にして、現地で撮影した写真を使いまして、ネパール・ヒマラヤの環境変化について報告します。

参考資料

PRELIMINARY STUDY ON WATER QUALITY OF LAKES AND RIVERS ON THE XIZANG(TIBET) PLATEAU,(1989),「BULLETIN OF GLACIER RESEARCH, 7」 JAPANESE SOCIETY OF SNOW AND ICE, 135-143.

サロンからヒマラヤへの想い-フィールド・ワーク雑感-

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/12/201615.html

ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出(1)

―そうか、あれからもう、半世紀たつのか!―

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/09/gen50.html

カイラス望見飛行とチベット高原へのあこがれ

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/10/blog-post.html

 

6) 氷河観測基地

図4はチョモランマ(エベレスト)峰周辺の航空写真ですが、なんせ歩いて調査するだけでは見るところは限られますので、私たちは飛行機をチャーターし、全部で30時間ほど、ネパール・ヒマラヤの写真撮影をしました。その時の写真が図4で、チョモランマやクンブ氷河が写っています。私たちは1970年代の氷河の観測基地を、ハージュンというペリジェとディンボチェの中間にあるモレーンの丘に設けました。ちょうどアマダブラム峰の北方の麓です。ここで皆さん注目してほしいのは、チョモランマ峰の基部に白っぽい丸い形をした花崗岩が分布していることです。これは地下から貫入してきた花崗岩で、この花崗岩が突き上げてきて世界一の高峰の土台になっています(参考文献)。後ほど、ヒマラヤの上昇と地震の関係のテーマで話したいと思いますので、この貫入花崗岩のことを記憶していてください。

参考文献

AACH備忘録(13) 木崎さんの思い出;二題

1ー1)ヒマラヤ上昇論夢想(カラー写真用原稿)

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/03/blog-post.html

図5 1973年の氷河観測基地の建設

図5 1973年の氷河観測基地の建設

図6 1970年代のハージュン氷河観測基地

図6 1970年代のハージュン氷河観測基地

図5は1973年に私たちが初めて現地に行って観測基地を設けたハージュンという場所です(参考資料)が、ご覧のように破壊した石小屋がありました。もう何年も人が住んでいないということで、現地の人とも相談した結果ここに住んでも良いということになり、この場所に氷河の観測基地を設けました。場所は、クンブ氷河の末端にある背後のロブジェ・ピークの近くで、遠くにチョ・オュー峰が小さく見えるペリチェとディンボチェの間のモレーンの丘です。図6の左に気象観測の百葉箱(点線内)があります。南にはタムセルク峰とカンティガ峰があり、アマダブラム峰の北側の氷河の末端近くの場所で1978年まで継続調査をしました。

参考資料

国際交流

ネパール氷河調査隊ハージュン基地建設

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/09/blog-post.html

図7 調査隊の性格の変遷 

図7 調査隊の性格の変遷

図8クンブ地域の氷河湖決壊洪水の分布

図8クンブ地域の氷河湖決壊洪水の分布

7) 氷河調査隊の名称

私たちの調査隊の最初の名前は「Glaciological Expedition to Nepal」(ネパールへの調査隊)でした。いわば外国からネパールに来ているよそ者の調査隊、文字通りの性格が強かったのですが、1973年に初めて学生だけで一年間調査する調査許可を取るために、その名前の計画書を作ってカトマンズのネパール外務省に日参しました。しかし、なかなか調査許可が貰えませんでした。その内にネパールの友人もできますし、私たちもネパール語に大分慣れてきまして、次第に共同研究をやって行こうという考えになり、「to Nepal」から「of Nepal」に計画書を変えました。そうしたら二カ月間毎日外務省に通っている成果が出てきてやっと調査許可が出て、ハージュンでの現地調査を始めることができました。後の話になりますが、1980年代になりますと地球温暖化で氷河が解けて氷河湖決壊洪水が起こるようになりました。そうなると、調査隊自身が「of Nepal」(ネパールの氷河調査隊)の段階を越えて、「for Nepal」(ネパールのための氷河調査隊)に進化したような意識に変わっていきました。氷河調査隊の正式名「Glaciological Expedition of Nepal」の頭文字を取るとGENですが、GENだけだとはっきりしませんが、Nepalの前置詞が「to」から「of」、そして「for」へと変ったのです(図7)。調査隊の頭文字はGEN(ゲン)ですので験(ゲン)が良くなるようにと調査を始めたものです。1973年の学生だけの調査隊は、次の1974年から1978年までは名古屋大学の樋口敬二先生を中心にした文部省の海外学術調査隊になりました。

 

8) 小規模氷河湖の決壊洪水

では、最初のトピックは氷河湖決壊洪水(図8)です。チョモランマやクンブ氷河、ナムチェ・バザールやルクラ、ドゥード・コシやイムジャ・コーラなどがあるクンブ地域で調査中の1977年9月にアマダブラム峰の南側のミンボー谷で氷河湖決壊洪水が発生しましたので、直ぐに現地に行って調査しました、一つ注目してほしいのは氷河湖決壊洪水を起こすと洪水流が谷を浸食しますので、浸食地形が人工衛星からの写真でもはっきりと分かります(図8)。人工衛星の画像には、ミンボー谷にも、また1985年にはナムチェ・バザールの西側にあるディグ・ツォ(湖)が決壊した川筋沿いの白い地形が現れています。この地形から氷河湖決壊洪水が起こったことが分かります。さらに1998年に、ルクラの東側にあるヒンク谷でも氷河湖決壊洪水が起こり、やはり谷筋に白い太い線として現れ、人工衛星での画像でもはっきり読み取れます。これらの三つの氷河湖決壊洪水を起こした湖はみな比較的小さな1キロ未満の氷河湖です。当時問題になっていたのは、クンブ地域のイムジャ氷河湖とかロールワリン・ヒマールのツォ・ロルパ氷河湖で、サイズが数キロぐらいある大きな氷河湖です。これが決壊したら非常に危ないということが問題になっていました。

図9 ミンボー谷の氷河湖決壊洪水

図9 ミンボー谷の氷河湖決壊洪水

図10 ディグ・ソォ氷河湖の決壊洪水

図10 ディグ・ソォ氷河湖の決壊洪水

しかし大きな氷河湖は決壊しておらず、現実的には小さな氷河湖が10年に1回ぐらいの割合で決壊して氷河湖決壊洪水を起こしています。図9がミンボー谷、アマダブラムの南側の氷河湖決壊洪水の図です。図の左側の写真のように谷が浸食されています。従って、人工衛星の画像にもはっきり白い筋になって現れます。現地調査ではこの浸食地形を辿って上流に行くと、氷河湖決壊洪水が起こった場所が分かります。氷河湖決壊洪水の発生地点には、すっかり水を出して空になった図9右上の氷河湖がありました。長さ300m、幅200m、深さ30mほどです。せき止めていた末端モレーンが破壊されていまして、そのモレーンの中に氷がありました(図9の左中)。氷を含んだモレーンです。地球温暖化でまず氷が解けますから、モレーンの強度が弱くなり、雪崩や地震などのような何かのきっかけがあると壊れ、洪水が発生します。氷河湖決壊洪水の発生時には、ドゥード・コシの川沿いでは急激に水位が1mぐらい上昇し(図9の左下)、川沿いの道や橋を壊しました(参考資料)。氷河湖決壊洪水が起こりますと土砂が出ますので、ドゥード・コシの本流のイムジャ・コーラ(川)を一時せき止め、パンボチェ村付近には湖ができました(図9の左下)が、この湖もやがては浸食され、二次的な決壊洪水が起こりました。

参考資料

NEPAL CASE STUDY: CATASTROPHIC FLOODS,(1985),TECHNIQUES FOR PREDICTION OF RUNOFF FROM GLACIERIZED AREAS, INTERNATIONAL ASSOCIATION OF HYDROLOGICAL SCIENCES, PUBL. NO.149, 125-130.

図10は1985年のナムチェ・バザールの西側にあるラグモチェ(ディグ・ソォ)湖が氷河湖決壊洪水を起こした写真です。氷河湖のすぐ上流部に大きな岩壁があり落石や、場合によっては雪崩が直接湖に落ちてきます。そうすると一種の津波が発生し、その津波がモレーンを破壊した(図10の右上)可能性があります。この氷河湖決壊洪水では、川沿いの村が浸食される(図10の右下)とともに、下流の発電所も壊されました。

図11 サボイ氷河湖の決壊洪水

図11 サボイ氷河湖の決壊洪水

図12 ガプチェ氷河湖の決壊洪水

図12 ガプチェ氷河湖の決壊洪水

図11は1998年にルクラの東側にあるヒンク・コーラのサボイ氷河湖決壊洪水の写真です。左側の写真はヒンク・コーラの決壊前の川筋です。氷河湖の上流には急な壁がありますので、ラグモチェ湖の氷河湖決壊洪水と同様に、落石とか雪崩が直接湖に落ち、末端モレーンを破壊し、氷河湖決壊洪水が発生したと考えられます。従って、川筋を浸食し、人工衛星画像でも川筋が白くなっているのがはっきりわかります(図8、11)。

さて、次は中央ネパールのアンナプルナ地域です。図12はアンナプルナⅡ峰とⅣ峰、それとラムジュン・ヒマール直下のガプチェ氷河湖です。大きさは、せいぜい300m位の小さい氷河湖ですが、上流には2000mを超える大きな岩壁があり、間欠的な雪崩や落石に見舞われます。雪崩や落石によるデブリが一杯溜まっているのがその証拠です(図12の右下)。大規模な雪崩とか落石が直接に湖に落ちてきますと、津波が発生しますので、氷河湖決壊洪水が起こります。住民に聞きますと、2003年や2005年、2009年にも氷河湖決壊洪水が起こったとの事ですので、数年ごとに、氷河湖決壊洪水が発生していることになります。

 

9) ポカラのセティ川の洪水

氷河湖決壊洪水とは別な現象ですが、2012年5月5日に、ポカラのマチャプチャレ峰からくるセティ川で泥水の洪水が起こりました(図13)。ポカラの北のディプランには温泉があり、洪水発生日は土曜日でネパールの休日ですから、多くの人たちが温泉の観光地に来ていました。そこに泥水の洪水が襲ったわけです(図13の右上)。川筋で遊んでいた人が、突然に増水した川に流されて(図13の左)、たくさんの人が犠牲になりました。

図13 セティ川の洪水

図13 セティ川の洪水

図14 セティ川上流の洪水発生地域

図14 セティ川上流の洪水発生地域

このセティ川洪水も、当初、氷河湖決壊の洪水でないかと思われていたのですが、図14の衛星画像を見ても氷河湖はありませんでしたので、氷河湖起源の洪水ではありません。では、どうして泥水の洪水が起こったのかというと、アンナプルナⅣ峰の頂上付近が崩れ、大規模な落石がモレーン地域に落下し、そのエネルギーでモレーンの堆積物が動き出し、一種のサージ現象で、モレーン中の泥水が絞り出された、と考えています。セティ川上流の滝から泥水が大量に流れ出ていました(写真14の右下)ので、その泥水が洪水を発生させたのでしょう(参考資料)。以上のようなネパールの氷河地域の災害にも十分に注意する必要があります。

参考資料

セティ川洪水とマディ川氷河湖洪水

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2012/08/blog-post.html

セティ川洪水

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2012/08/blog-post_26.html

マディ川氷河湖洪水

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2012/08/blog-post_2602.html

図15 第1~3極地への地球温暖化影響

図15 第1~3極地への地球温暖化影響

図16 ネパール初の環境難民発生

図16 ネパール初の環境難民発生

10) 第1~3極地の北極・南極・ヒマラヤ

地球温暖化の影響を広く見ますと世界の第一の極地と言われる北極は、1960年代私が行った頃は氷にほとんど覆われていましたが、温暖化が進行する現在は、海氷が解け、現れた海面が太陽の日射を吸収し、北極海が温まります(図15の右下)。それと同じように第三の極地と言われるヒマラヤ地域も従来は雪とか氷河に覆われていましたが、それが解けて地面が出ると北極海同様に太陽の日射を吸収して温かくなります。

1980年代以降地球温暖化が顕著になり、全世界的には年間0.03℃ぐらいずつ平均気温が上がっていますが、ネパールの場合はさらにそれよりも上昇速度が速くて、0.06℃から0.12℃、全世界平均の2倍から4倍もの割合で、北極海と同じように、雪や氷が溶けるヒマラヤ地域では著しく気温が高くなり、その影響で、氷河湖拡大と引き続く氷河湖決壊洪水が現われるようになっています。

一方、第二の極地と言われる南極の場合には膨大な氷がありますから、解けてはいますが、第一の極地北極や第三の極地ヒマラヤに比べて、温暖化現象の影響はゆっくりと進行しています。図15の右下の図は地球温暖化の世界的影響を示しますが、北極地域がその影響が大きいために、白熊などの生き物にも大きく影響している、と報告されています。

 

11) 環境難民の発生

さて、2010年6月にネパールで初めて環境難民が発生したということが新聞記事になりました(図16)。場所は、ネパール中央のカリガンダキ川流域の一番北側のムスタンという地域で、チベットに近いところです。図16の写真のように、氷河が解けてほとんどなくなっています。氷河の溶け水が無くなってしまったので農業を営むことができません。従って、村を去り、水が得られる下流の地域に移動せざるを得なくなったそうです。現在はこのような民族移動が起こる時代になっています。さらに地球温暖化が進行すると、ヒマラヤ地域の多くの村々に環境難民が発生してしまうのではないかと心配しています。

図17 ヒマラヤの峠を越える調査風景

図17 ヒマラヤの峠を越える調査風景

図18 氷河環境と民族移動の歴史

図18 氷河環境と民族移動の歴史

12) 氷河変動と民族移動

図17は、私たちの調査中の写真ですが、氷河湖決壊洪水を起こしたルクラの東側のヒンク・コーラからもう一つ東側のホング・コーラという川筋に移動するときのものです。移動する時は峠にかかる氷河を越えるわけですが、ヒマラヤの場合は地形が急で崖が出ていますので、急な崖を緩やかな氷河が覆うと比較的容易に峠を横断することができるようになります。この時は羊が、自分で動く食糧として歩いてくれていますが、実際の民族移動というものは多くのヤクやいろいろな家畜、老人・子供までの家族全員が越えなければならないので、緩やかな氷河が掛かっているということは民族移動の完成にとって重要です。

氷河環境と民族移動の歴史(図18)を考察してみますと、シェルパ族の移動のことは1533年にチベットからチョ・オューの西側にあるナンパ・ラ(図18の左下)を越えてクンブに移動してきたということが報告されています(図18の右上)。当時シルクロード周辺、中央アジアでは多くの洪水が発生しているという記述がありますので、そういうことが移動の原因になったのか、シェルパの人達がチベット東部の故郷を離れてクンブに移動した16世紀には、クンブ地域の氷河調査結果では、氷河が前進した時があり(図18の左上)、移動ルートのナンパ・ラ(峠)には緩やかに氷河がかかっていた、と考えられます。

さらにさかのぼる8世紀には、タマンと呼ばれる民族がチベットから移動して来たそうです。クンブ地域の氷河の歴史では、やはり8世紀にも氷河の前進が見られ(図18の左中)、ヒマラヤの急な壁を緩やかに氷河が覆った時代に、タマンの人達も民族移動を完成させたということが推察されます(この点は22章の質問・回答の項で再びふれます)。

 

13) 氷河変動

図19はクンブ地域の氷河の拡大期の歴史です。図の左上が現在の氷河の規模で、全体として170平方キロあります。シェルパの人達が民族移動した16世紀、クンブ氷河はトゥクラという所まで達した時代ですが、現在の氷河面積の大体1.6倍ぐらいで、タマンの人達の8世紀という民族移動期は現在の氷河面積の2.8倍でした(図19の右中)。クンブ地域でもっとも拡大していた時期には、氷河がルクラまで来ていたと解釈しています(参考資料)。この最大拡大時は現在の氷河の面積に比べて3.8倍です(図19の右中)。最大拡大期から現在に向かって氷河は全体的に縮小していますが、縮小傾向の中にも時々氷河が前進・拡大する時期があります。そうゆう前進・拡大時に、民族移動を引き起こす洪水現象などが発生し、ヒマラヤの急な崖を緩やかな氷河が覆い、民族移動が完成した、と考えています。

図19 クンブ地域の氷河変動図

図19 クンブ地域の氷河変動図

図20 ギャジョ氷河と住民の関係

図20 ギャジョ氷河と住民の関係

参考資料

GLACIATIONS IN THE KHUMBU HIMAL(1),(1977) 「SEPPYOU,39,SPECIAL ISSUE」JAPANESE SCIETY OF SNOW AND ICE, 60-67.

GLACIATIONS IN THE KHUMBU HIMAL(2),(1980) 「SEPPYOU,40,SPECIAL ISSUE」JAPANESE SCIETY OF SNOW AND ICE, 71-77.

GLACIAL HISTORY IN THE KHUMBU REGION, NEPAL HIMALAYAS, IN RELATION TO UPHEAVALS OF THE GREAT HIMALAYAS.(1981) PROCEEDINGS OF SYMPOSIUM ON QINGHAI-XIZANG (TIBET) PLATEAU, 1641-1648.

 

14) 水資源としての氷河

また、氷河と住民との関係でいいますと、1970年に三浦雄一郎さんがエベレストスキー滑降をしたときのメンバーとして参加しましたが、私はその後現地に残りギャジョ氷河の観測をしました(参考資料)。ギャジョ氷河はナムチェ・バザールとかクンデやクムジュンという地元の村々の水資源を供給する氷河として現在は重要で、クンビーラという聖山の急な西斜面に水道管を設置して、ギャジョ氷河から水を引いています(図20、22)。

参考資料

国際山岳博物館展示

Eco-Tour (5) Gyajo Glacier

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/08/gyajo-glacier.html

ギャジョ氷河の構造

Structural studies on Gyajo Glacier in Khumbu region, east Nepal

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/10/blog-post_13.html

図21 ナムチェ・バザールの水質汚染

図21 ナムチェ・バザールの水質汚染

図22 ギャジョ氷河からの水道工事

図22 ギャジョ氷河からの水道工事

図21の左上の写真は1970年代のナムチェ・バザールの写真で、村の一番下流の所に湧水が出ていました(図21の左下の写真)。この湧水を利用していたのですが、現在では3階とか4階建ての大きなホテルが沢山でき(図21の右上の写真)、ホテルの水洗トイレや公衆便所(図21の右下の写真)の垂れ流しで、地下水汚染を引き起こし、大腸菌などの有害物質が湧水を汚染し、飲めなくなっています。従って、ギャジョ氷河から水道を引いているのですが、このようなクンビーラの西斜面の急な所です(図22)ので、冬になると雪崩が襲って水道管が壊されることがあります。この貴重な水道の維持・管理に非常に苦労して、ギャジョ氷河から水を利用しているのが実態です。

図23 ギャジョ氷河の変化

図23 ギャジョ氷河の変化

図24 クンブ地域のトレッカーの雪崩災害

図24 クンブ地域のトレッカーの雪崩災害

ところが、ギャジョ氷河の変化(図23)ですが、1970年代は前進と後退を繰返す、いわば動的平衡を保つ典型的なカール氷河(圏谷氷河)でしたが、今ではすっかり縮小してしまって、氷河の厚さも30mぐらい解け、氷体は三つほど分かれて、氷河流動がなくなりました。ギャジョ氷河はいわば雪渓のようになってしまい、末端には湖ができています(図23)。このまま地球温暖化が進行しますと、今世紀中ごろにはギャジョ氷河は消滅しますので、ナムチェ・バザール周辺の人達の水資源が不足してしまうことが心配です。

 

15) 冬期の豪雪災害

それともう一つトピックス的な問題としては、地球温暖化の進行とともに、冬期の雪崩災害でトレッカーの人達に危害を与えたことがあります。1995年冬期に豪雪があり、チョ・オューの直ぐ南の方のゴジュンバ氷河の末端近くのファンカで雪崩が発生し、石小屋に泊まっていた日本人二十数名の方が亡くなった痛ましい事故が起こっています(図24;参考資料)。

参考資料

氷河環境

Sightseeing disaster of the higher Himalaya in Nepal

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/09/sightseeing-disaster-of-higher-himalaya.html

従来ですと冬期のジェット・ストリーム(偏西風帯)は北緯20度付近、丁度コルカタ(カルカッタ)付近を通っていますので、インド洋の台風といわれるサイクロンはせいぜいカルカッタ付近までは到達しますが、ヒマラヤまでは入ってきませんでした。ところが、最近は地球温暖化でジェット・ストリームの勢いが弱くなって蛇行した時にサイクロンがヒマラヤまで達することがあります(図25)。そうすると1995年冬期のような豪雪が発生し、雪崩でトレッカーの人達が亡くなるというような災害が起こってしまいます。これは事前の気象予測でわかりますので、十分に注意する必要があります。

図25 冬期のサイクロンの侵入経路

図25 冬期のサイクロンの侵入経路

図26 ツラギ氷河湖の拡大

図26 ツラギ氷河湖の拡大

16) 大規模氷河湖の変化

さて、それでは大きな氷河湖の変化はどうかというとですが、マナスル峰とピーク29峰の西側にあるツラギ氷河湖の調査結果を報告します(図26)。1970年代からツラギ氷河湖は年間30mから60mほど、急速に拡大していました(図27)。つまり氷河末端が後退し、氷河湖の長さは3キロほどになりました(参考資料)。

参考資料

ツラギ氷河湖調査報告

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2012/09/blog-post.html

なぜ、ネパールの大規模氷河湖は決壊しないのか

ネパール中央部マナスル地域のツラギ氷河湖の水位低下現象とGLOFリスク低減機構

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/05/blog-post.html

図27 ツラギ氷河湖の変化

図27 ツラギ氷河湖の変化

図28 ツラギ氷河湖の末端モレーン地形

図28 ツラギ氷河湖の末端モレーン地形

ところが、この大規模なツラギ氷河の場合は、末端のモレーンの地形が非常に雄大・堅固です(図28)ので、直下型の大地震でもない限り、破壊されて氷河湖が決壊するということはないと考えています。しかもこの湖をせき止めている末端モレーンは年々浸食されて低下していますので、それに伴って氷河湖の湖面も低下していきます。従って、氷河湖は自然と縮小し、決壊洪水を防いでいます。このように氷河湖をせき止めているモレーンの末端が浸食し、氷河湖の決壊洪水を起こさせないという巧みな自然の仕組みがあります。

図29 イムジャ氷河湖のGLOF対策工事

図29 イムジャ氷河湖のGLOF対策工事

図30 クンブ地域のGLOF地図

図30 クンブ地域のGLOF地図

それにもかかわらず、同様の現象が認められるクンブ地域のイムジャ氷河の末端部分も浸食されて(図29の左上の写真)、氷河湖の湖面が下がり安全なのですが、重機が入り大々的に水路を作り、人工的に湖面を低下させています(図29)。また、ツオ・ロルパ氷河湖も同様で、人工的な水路を作ってすでに水位を下げています(図29の右下)。人工的に湖面低下させなくとも、ツラギ氷河湖のように、氷河湖をせき止めている末端モレーンの自然の浸食作用によって湖面低下が起こるのですから、イムジャ氷河湖のような人工的な自然破壊をしてまで湖面低下させる必要はありません。ところが、どうしても地元の一部の人達は経済的に豊かになるというのでやってしまう。氷河湖決壊洪水が起こらないように末端モレーンを浸食して湖面を低下させてくれている巧まざる自然のプロセスがあるにもかかわらず、人間がわざわざ自然破壊をするのは非常に嘆かわしいと思います。ここでGLOFのテーマをまとめます(図30)と、1997年のミンボー、1995年のラグモチェ、それから1998年のサボイという、三つの小さな氷河湖が決壊しましたので、氷河湖決壊洪水の問題は現実的には湖面の大きさが1キロ以下の小さな氷河湖です。将来氷河湖決壊洪水をおこすと考えられる小さな氷河湖は、ホング・コーラ流域のチャムラン峰周辺の氷河湖(図30の右下の点線内)です。ここには、チャムラン峰の急な崖がありますので、そこから雪崩とか落石があると氷河湖決壊洪水が起こる可能性があります。小さな氷河湖に比べて大きなイムジャ氷河湖やツォ・ロルパ氷河湖はツラギ氷河湖同様に安全である、と考えています(参考資料)。

参考資料

NEPAL CASE STUDY: CATASTROPHIC FLOODS,1985,TECHNIQUES FOR PREDICTION OF RUNOFF FROM GLACIERIZED AREAS, INTERNATIONAL ASSOCIATION OF HYDROLOGICAL SCIENCES, PUBL. NO.149, 125-130.

イムジャ氷河湖調査からの展望-住民参加型の現地調査の必要性-

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2012/09/blog-post_6.html

バルンGLOFについての緊急報告

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/04/glof.html

バルンGLOFについての緊急報告2

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/05/normal-0-0-2-false-false-false-en-us-ja.html

バルンGLOFについての緊急報告3

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/05/glof.html

図31 地球の地質構造地図

図31 地球の地質構造地図

図32 ヒマラヤの地質断面図

図32 ヒマラヤの地質断面図

17) ヒマラヤの地質構造と地震

さて、それではこれから地震の話になります。図31は地球の地質構造図で、この黒い帯状の部分は第三紀造山帯と呼ばれ地球史で最も新しい山地が誕生した場所です。ヒマラヤからヨーロッパのアルプスに続くゾーンと、それから日本、ロッキーとアンデスという環太平洋造山帯です。この造山帯が地震地帯になっています。ネパールの場合は南からインド亜大陸がアジア大陸にぶつかって第三紀造山帯のヒマラヤ山脈を形成しています。図32はヒマラヤの地質構造図で、地質断面図を見るといくつもの断層が走っています。2015年にネパール地震が起こった時の震源地はネパール中央部の断層面上です(図中の星印、参考資料)。

参考資料

2015年ネパール春調査(6) カトマンズ大学にて(3) ネパール地震(1)

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2015/04/blog-post_29.html

2015年ネパール春調査(7)  2015ネパール地震(2)  ポカラ紀行

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2015/05/2015-2015.html

2015年ネパール春調査(8) 2015ネパール地震(3) ポカラからカトマンズにもどりて

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2015/05/2015-2015_18.html

2015年ネパール春調査(9) 2015ネパール地震(4) ヌワコット王宮へ

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2015/05/2015-2015_28.html

2015年ネパール春調査(13) 2015年ネパール地震(5) サクーで考えた。

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2015/06/2015-2015.html

「ランタン村周辺調査の予察的速報」

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/04/blog-post.html

ランタン村周辺の雪崩災害と災害地形などについて

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/04/5.html

ランタンの旅をまとめ、ポカラへ

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/04/blog-post_23.html

図33 ヒマラヤの上昇機構

図33 ヒマラヤの上昇機構

図34 ヒマラヤの風化(浸食)作用

図34 ヒマラヤの風化(浸食)作用

ヒマラヤの山の高さは断層との関係があり、特にインド大陸がアジア大陸に押し寄せる影響で断層活動が起こり、ヒマラヤ地域が全体的にせり上がる(図33の1)の赤い矢印)動きがあります。ヒマラヤ地域を上昇させるもう一つの要因は、すでに図4でお伝えしたように、図33の2)の花崗岩(上向きの赤い矢印)が貫入してきて、世界最高峰のチョモランマ(エベレスト)峰を持ち上げていることです。この二つの要因により間欠的な地震が発生するときにヒマラヤ山脈が上昇する、と解釈できます。一方ヒマラヤ山脈を低くする要因と言いますと、チョモランマ峰頂上付近には北に傾く正断層があり、断層沿いにヒマラヤの頂上部分がチベット側にずり落ちて高さが低くなること(図33の3)の赤い矢印)と、もう一つは落石などによる風化(浸食)作用(図33の4)の白い矢印)です。ヒマラヤ山脈の高さは、それら1)から4)の全体の動きの兼ね合いで決まる、と考えています(参考資料)。

参考資料

ヒマラヤの木崎さんのことなどー思いつくままにー

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2022/04/blog-post.html

木崎さんの思い出;二題

1ー1)ヒマラヤ上昇論夢想

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/03/blog-post.html

 

18) 風化(浸食)作用

それでは風化(浸食)作用の原因を変えてみます。ヒマラヤの場合には花崗岩の白い岩石が多いのですが、しだいに表面が黒くなっていきます。地衣類などの植生が侵入して岩石表面が黒くなるのです。白と黒の岩石表面では太陽の吸収の仕方が全く違いますので、現地で実験しました。温度センサーに白いテープを巻きつけたものと黒いテープを巻きつけたもので日変化を観測しました。すると、(結論だけ申しますと)8000mの高度に直すと、新しい花崗岩のような白い岩石表面の場合はマイナス数℃で、プラスにならないのですが、黒い地衣類などが入って岩石表面が黒くなりますと、太陽の日射を吸収してプラス5℃位になります(図34)。そうすると、黒い岩石の周辺が温かくなって雪や氷を解かします。従って、高所の雪や氷が解け、高い所でもツララが形成されます(図35)。暖かい日中の解け水が夜間凍ってツララができるわけですが、日中の解け水が岩石の割れ目に入って夜間に凍ると、体積膨張で岩石を破壊し、落石を生ずる風化(浸食)作用が起こります。

図35 ヒマラヤ高所のツララ形成

図35 ヒマラヤ高所のツララ形成

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図36 2015年ネパール地震の震源地

図36 2015年ネパール地震の震源地

19) 2015年ネパール地震

さて、2015年4月25日、私がカトマンズ大学で講義をしている時にカトマンズの西を震源地(図36の大きな黄色の星印)とする地震が発生しました。図36の赤い点は余震の震源地で、なかでも5月12日に起こった余震は大きかった(図36の小さな黄色の星印)。ネパールでは、1934年にも大きな地震がエベレストの近くを震源(図36右の白抜きの星印)として起こり、カトマンズに大きな被害を起こしました。

図37 カトマンズの4月の空模様

図37 カトマンズの4月の空模様

図38 ネパール中央部の断層地帯

図38 ネパール中央部の断層地帯

ところが、1833年にも大きな地震があったことを示しています(図36中央の白抜きの星印)が、この地震のことは現地の人もあまり知らないようです。カトマンズのすぐ近くのランタン地域周辺が震源地で、ネパール中央部に大きな影響があったと考えられますので、1833年などの古い地震とその被害状況も現地の人の地震への備えのために調べる必要があります。

2015年4月のネパール地震の発生時はカトマンズでは毎日雷雨があり、豪雨が続きました(図37)。このような天候状態が一カ月ほども続きましたので、ネパール中央部から北部のランタンの地域にかけては断層地帯のため、山間部の村々周辺では、多くの土砂崩れが発生しました(図38)。

図39 カトマンズ分地の湖沼堆積物

図39 カトマンズ分地の湖沼堆積物

図40 リク川周辺の完全に破壊された民家

図40 リク川周辺の完全に破壊された民家

カトマンズ盆地には湖の底にたまった地層、砂や粘土の堆積物が数百メートルも分厚くたまっています(図39)ので、毎日雨が降りますと、軟弱地盤になります。従って、地震が起きた時には被害を大きくします。軟弱地盤は地震対策の基本ですが、地元の人はそのことには無頓着で深刻に考えていなかったようです。とくに川沿いの軟弱地盤の所は目茶目茶に壊れました(図40)。地震発生時のカトマンズにいて、自分の経験としては1995年の阪神・淡路大地震の大津での震度、5弱程度ぐらいだったという感じを持ちましたが、その程度でも甚大な被害が出ました。50万戸という家が壊されて9千人近くの人が亡くなられた大災害になった原因は、軟弱地盤に対する住民の認識や過去の地震被害の情報が十分ではなかったのではないかと思っています。

図41 カトマンズの旧王朝の建物被害

図41 カトマンズの旧王朝の建物被害

図42 パタンの寺院群の被害状況

図42 パタンの寺院群の被害状況

カトマンズの旧王朝、これは世界遺産になっていますが、これも壊されました(図41)。パタンではやはり由緒ある世界遺産のお寺があるわけですが、ご覧のように、地震前にあったA、B、Cのお寺のうち、比較的新しいと思われるCの寺が地震の後、完全に壊れていますが、古そうに思われるA、Bの寺院は無事でした(図42)。このような狭いほんの100mぐらいの場所の違いで完全に壊れたところと壊れないところがある。これは地下の地盤構造の影響で、地下水の流れ方や軟弱地盤と関係しているのではと思っています。

図43 バクタプールの寺院群の被害状況

図43 バクタプールの寺院群の被害状況

図44 地震直前のランタン村の雪崩状況

図44 地震直前のランタン村の雪崩状況

図43はバクタプールの被害状況ですが、図43左側の完全に壊された建物のすぐ右側に比較的安全に残っているお寺があります。直ぐ近くでも、前記のパタンの例と同様に、地盤の構造が場所によって違うことが影響しているのでは、と考えています。

さて、ランタン地域では2015年ネパール地震時に、雪崩が発生して村がつぶされたのですが、その直前に現地で調査した人たちの写真(図44)を見ますと、カトマンズは連日雷雨でしたが、こちらは降雪が続き、雪崩が多くの地点で発生しています(図44の右上の赤矢印)。この時の現地ではヤクがたくさん死んだそうです。現地の人は毎日雪が降って、雪崩が起こり、ヤクが死んだということを知っていたわけですが、まさか自分の村が雪崩にやられてしまうということまで考えが至らなかったようです。

図45 ランタン村の雪崩災害状況

図45 ランタン村の雪崩災害状況

図46 JICAネパールの地震会議風景

図46 JICAネパールの地震会議風景

図45はランタン村の雪崩被害図です。2015年ネパール地震の発生時に、大阪市大登山隊の方々がランタン村の右岸の上流にあるランタン・リ峰の頂上部分が崩れたのを現地で見ていまして、その崩れが引き起こした雪崩がランタン村を襲って大災害を起こしました。図45の右下と左上には、いくつかの懸垂氷河がありますので、懸垂氷河の下の部分に氷河湖が将来形成されるようになると、氷河湖決壊洪水を起こす可能性も考えられます。

図46はネパ-ルのJICAがこの地震発生の一か月後の5月25日、現地で災害復旧に向けたシンポジウムを開きました。テーマは「Build Back Better Reconstruction Seminar for Nepal」で、日本の研究者が沢山来られ、新しい実験的な研究や耐震構造を持つ建築物の詳細な設計に関する発表が多くありました。しかし、すでに述べたような、現地の軟弱地盤の問題や住民意識の問題、歴史的な地震災害の情報をどれだけネパール人が認識しているのか、といったような現地に根ざした視点の研究は残念ながらありませんでした。

図47 ビムセン・タワー再建計画

図47 ビムセン・タワー再建計画

図48 はたして、今後の環境変化は?

図48 はたして、今後の環境変化は?

20) ヒマラヤ地震博物館

カトマンズのランド・マークになっていたビムセン・タワー(ダラハラ)という塔が倒れましたので、現地ではその再建計画がありますが、その機会にヒマラヤ地震博物館(参考資料)を作り、そして図1で述べました「Act Locally, Think Globally」という地元の視点で、軟弱地盤の問題ですとか、歴史的な地震災害の課題などについて広報するヒマラヤ地震博物館の計画を現地の人と話を進めていたところです。

参考資料

ヒマラヤ地震博物館とヒマラヤ災害情報センター

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/03/blog-post_23.html

ヒマラヤ地震博物館(Himalayan Earthquake Museum)の計画

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/06/himalayan-earthquake-museum.html

ヒマラヤ地震博物館に関して-雲南懇話会とネパール地質会議、カトマンズ大学講義-

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/09/normal-0-0-2-false-false-false-en-us-ja_12.html

 

21) まとめ

私はネパールに滞在してこれまで三つの災害を経験しています。1977年のアマダブラムの南側のミンボー氷河湖の決壊洪水、2013年のポカラのセティ川洪水、および2015年のネパール地震ですが、はたして、この先、どのような環境変化を体験できるのか(図48)に、内心興味を持っています。特に地球温暖化で氷河が解け、湖が拡大していますので、現在は水が豊富な時代のように思われますが、やがては氷河が全部解けてしまいますと、水資源の欠乏の時代になります。チベットの中央部で現在起こっているように、湖がアラル海のように縮小し、水資源がなくなってしまいます。そのような現象は水流が途絶える断流と呼ばれている中国の黄河中流域にすでに表れています。年間半年以上黄河の中流部には水がなくなるのです。

そうしますと、ヒマラヤを起源とする揚子江、メコン川、ガンジス川、インダス川もやがてはそのような水資源の欠乏期を迎える可能性があります。ヒマラヤを起源とする川の水量が減るともに、温暖化で世界の氷河の融解と海水温の上昇で、海の水(塩水)が増えますから、アジアの大きな川の水位低下した河口には海からの塩水が入ってくるとともに、地下水にも海水が侵入し、アジアの大河川の河口域では淡水資源が乏しくなります。しかも、南アジアの大河川河口地域はこれからの人口増加の激しい地域ですので、億単位の人達の水資源がなくなり、水資源を求める深刻な環境難民問題が発生することを危惧しています。すでに図16で報告しましたように、ネパールでも環境難民が発生し始めているのは、ヒマラヤ地域に起源をもつアジアの大河川地域の環境変化の将来を予告しているものと解釈できます。そのような悲観的な将来を改善するために、地球温暖化の進行をくい止めることが、ますます重要になると考えています。その活動の一環として、国際山岳博物館やカトマンズ大学などでヒマラヤの環境変化についてネパールの人達と話し合いを続けているところです。

(それでは、時間が来たようです。今日の報告のために用意した最後の部分の資料は時間切れで紹介できませんでしたので、中途半端になってしまったことをお詫びしまして、報告を終わります。)

 

22) 質疑応答

質問

シェルパの民族移動の前にチベットから移動した人がいるとありましたが、その人達は今ネパールにいるのでしょうか。

回答

16世紀に民族移動したシェルパの人達の前は、タマンの人達で、その民族移動の時代は8世紀と言われています。図18の右中の写真は、クンブ地域のルクラとナムチェ・バザールの中間の地域に住むシェルパの女性とタマンの女性が会話をしている光景です。この地域には、シェルパの人達と共存して、タマンの人達も住んでいます。タマンの人達はシェルパ族よりはるかに人口が多く、ネパールの民謡では、タマンの人達の民謡が有名で、典型的なネパールの民謡です。8世紀にヒマラヤを越えてネパールに来たタマンの人達はネパール中央部には沢山住んでいます。なお、図18の左上にはヨーロッパの氷河変動の歴史がクンブ地域と比較するために示していますが、ヨーロッパでは16~18世紀に氷河規模が大きく拡大していますが、クンブ地域ではヨーロッパとは異なり、8世紀以降、現在に至るまで氷河規模は縮小し続けています。このような氷河規模の連続的な縮小化は図19が示すように、さらに遡った過去から現在まで一貫して現れていて、ヒマラヤの中央部を占めるネパール・ヒマラヤの氷河を涵養する夏と冬の降雪現象が衰退していることと関連すると思われます。氷河の縮小化現象が進む中にあって、16世紀や8世紀の間欠的な氷河拡大期にシェルパやタマンの人達は家畜とともに緩やかな氷河の峠を越えて民族移動を達成したのでしょう。

 

23) 追記

この報告に用意したスライドは全部で60図でしたが、当日は第48図までの説明で時間切れになったので、ネパール・ヒマラヤの環境変化に関する残りのスライドの図については、追記として以下に簡単に紹介する。

図49 ポカラにある国際山岳博物館

図49 ポカラにある国際山岳博物館

図50 カトマンズ大学の講義

図50 カトマンズ大学の講義

A) 国際山岳博物館の学芸員

ポカラにある国際山岳博物館(図49)の学芸員を2008~2010年に勤めたが、そもそものかかわりは、1974年に山岳博物館構想を作り(図49の左下、参考資料)、当時のビレンドラ国王の義兄のクマール・カドカ殿下(図49の下中)に相談したことであった。山岳博物館構想の提案から30年後の2004年に設立された国際山岳博物館にJICAのシニアボランティアとして赴くことができたのは感慨深い。また、大地震が起こった2015年はカトマンズ大学(図50)の客員教授として修士課程の学生たちにネパール・ヒマラヤの環境変動について2017年まで3年間の講義を行った。

参考資料

AACH備忘録(10)

安藤さんの事業集大成は「国際山岳博物館」だったのではないか。

―安藤久男さんの追悼文にかえてー

4) 国際山岳博物館構想の原点

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2021/10/v-behaviorurldefaultvmlo.html

Exhibition of the International Mountain Museum, Pokhara, Nepal

ネパール・ポカラの国際山岳博物館の展示概要

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/06/blog-post.html

 

B) カトマンズ大学の講義

カトマンズ大学の講義の主なテーマは、1965年以来半世紀の調査結果に基づいた「ネパール・ヒマラヤの環境変化と課題」で、これまで撮りためた36,664枚の写真データベース(https://glacierworld.net/gallery/)を利用して、ヒマラヤの環境課題の実態を学生たちに理解してもらうよう努めた。講義はOpen Lectureで、学生はじめ誰もが、ホームページ(図51)で講義の内容を見ることができる(参考資料)。紙資料は使わず、レポート提出や講義の質疑・コメントなどはホームページの「CONTACT」で行う。毎年3ヶ月の講義は、月・水・金の3回、午前中2時間で、全部で70時間ほどであった。ヒマラヤ写真のデータベースは「氷河の世界」のギャラリー(図52)に収められており、自由に利用できる。

参考資料

カトマンズ大学の講義準備

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/01/2-httpenvironmentalchangesofthenepalhim.html

最終講義の報告

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/05/20167.html

2017年春ネパール旅行-カトマンズ大学講義など-の予定

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/02/2017-2017.html

カトマンズ大学での講義の思い出

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/07/blog-post.html

カトマンズ大学での講義の思い出(2)

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/08/blog-post.html

図51 カトマンズ大学講義のホームページ

図51 カトマンズ大学講義のホームページ

図52 ヒマラヤ写真のデータベース

図52 ヒマラヤ写真のデータベース

C) ヒマラヤ写真のデータベース

ネパール・ヒマラヤの写真内容は、Nepal_A(1965年から2005年までに行った13回のネパール・ヒマラヤ地質・氷河調査時に撮影したカラー・スライドと白黒写真で、いわゆるデジカメ以前の写真合計10,029画像である)とNepal_B(2008年から2017年まで行った10回のネパール・ヒマラヤ地質・氷河調査およびカトマンズ大学講義の際に撮影したデジカメ写真で、写真合計は26,635枚である)である(参考資料)。例えば、マチャプチャリ峰の写真は約3000枚、ツラギ氷河調査関係は1800枚ほどの写真などが収められている(図52)。

参考資料

新しいヒマラヤの写真データベースなど

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/10/201611.html

ぼくのデータベース「氷河の世界」

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2024/01/blog-post.html

琵琶湖水位考(2) 「写真データベース」

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2024/01/blog-post_13.html

図53 ヒマラヤの大気汚染

図53 ヒマラヤの大気汚染

図54 ネパールの森林破壊

図54 ネパールの森林破壊

D) 大気汚染と植生変化

ネパールの大気汚染は深刻で、通常は高度3千メートルまでスモッグに覆われている(図53の右下)。大気汚染の原因は、インドやバングラディシュからのスモッグの侵入(図53の左下)に加え、ネパール国内の自動車の排気や山火事(図53の右上と右中)である。また、森林破壊も著しく、薪や建材用に森林が伐採されている(図54)。さらに、放牧地拡大のために、ブータンなどと同様に、人為的な山火事(図53の右中)が蔓延している(参考資料)。

参考資料

マチャプチャリ研究(1) 大気汚染と視程

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/06/blog-post_26.html

ネパール・ヒマラヤの環境変化-森林保全に関連して-

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2014/07/blog-post.html

カトマンズからポカラへ-スモッグの原因ー

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2016/05/2016.html

ヒマラヤ展望率

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/08/blog-post_29.html

カトマンズ盆地の大気汚染

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/09/blog-post_16.html

ヒマラヤの高山地帯の夏は雨期で、貴重な高山植物が咲き乱れているが、放牧地にもなっているため、人や家畜が運んだ低山地帯のオオバコやイタドリ、スイバなどが高山植物地帯に侵入している(図55)。また、貴重な高山植物の盗掘・売買が問題になっている(図56)。

図55 高山地帯の人為的植生変化

図55 高山地帯の人為的植生変化

図56 貴重植生の盗掘・売買

図56 貴重植生の盗掘・売買

E) ヒマラヤ周辺の環境課題

ネパール・ヒマラヤの山岳地域では氷河と永久凍土の融解で湖沼の拡大期を迎え、湖沼の決壊・洪水が発生している。従って、現在は水資源が豊富な時代に思えるのだが、将来は氷河や永久凍土の減少で、水資源が乏しくなることに注意しなければならない。一方、ネパール・ヒマラヤの低山地域では森林破壊・火災や湖沼の富栄養化などの環境問題が進行している(図57)。

図57 ネパール・ヒマラヤの環境課題

図57 ネパール・ヒマラヤの環境課題

図58 ヒマラヤ周辺の南アジアの環境課題

図58 ヒマラヤ周辺の南アジアの環境課題

チベット内陸部にすでに現れているような湖沼縮小・塩湖化現象が、今世紀中頃にはヒマラヤ山脈やチベット高原からモンゴル地域におよぶ可能性がある。氷河や永久凍土、つまり固体としての淡水資源が地球温暖化で融け、枯渇するからである。アジアの大河川はこれらの地域を水源とするので、1年の大半を 占める乾期の河川水量は減少し、すでに黄河で現れているような断流現象がアジアの各大河川にまでおよぶと、アジアの各地域に水資源に起因する深刻な環境課題をひきおこす(図58)。アジアの各大河川の水量が減るともに、温暖化で世界の氷河の融解と海水温の上昇で、海水が増えるので、水位低下した大河川の河口域には海水が流入するとともに、地下水にも海水が侵入し、大河川の河口域では淡水資源が欠乏することが危惧されている。しかも、南アジアの大河川河口地域は将来の人口増加の著しい地域のため、億単位の人達が水資源を求める環境難民が発生する可能性があるからである。その環境課題の将来を示す象徴的な出来事が、2010年にネパール・ヒマラヤ中央部のムスタン地域で出現した環境難民なのである(図16)。

図59 1970年代のハージュン観測基地

図59 1970年代のハージュン観測基地

図60 旧ハージュン観測基地の現在

図60 旧ハージュン観測基地の現在

F) ハージュン観測基地の環境変化

ネパール・ヒマラヤの氷河観測基地だったハージュンを1973年4月に初めて現地を訪れた時には荒れはてた石小屋があった(図5)ので、住民とも相談し、そこを調査基地にした(図59)が、私たちが住んでいた1970年代には、誰も苦情を言ってこなかったのをみると、地元民にとって放牧地としての利用価値がなかったのかもしれない。しかし2013年11月に旧ハージュン小屋を再訪すると、かつてわれわれが住んでいた石小屋は2つに分割・利用されているのに加えて、周辺には新たな石小屋が3つほど建てられていた(図60)。夏の放牧時期になると、5軒ほどの家族がハージュンに住み、ヤクなどの家畜の放牧をするようになっているのだろう。その変化から、現在では多くの家畜を養うことができるほど、1970年代にくらべて土地の生産力が高くなっているのではないか、と解釈できた。地球温暖化とともに、氷河や永久凍土は融解し、衰退しているが、氷河湖の拡大現象と同様に、牧草を育てる土地の水分・地温条件が牧畜にとって好転してきたのではないか、と思われた。これも地球温暖化と人間活動の関係を示す「ネパール・ヒマラヤの環境変化」の一端であるが、温暖化がこのまま進行すると、将来は水資源の欠乏期がくることを覚悟しなければならないであろう。

 

補遺

G)その他

その他の環境課題としては、急速に変化する社会生活から発生するごみ問題、その結果として引き起こされる河川環境の変化などがある(参考資料)。

参考資料

ネパールのトイレ・ゴミ事情から考える

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/09/blog-post_10.html

ネパールの交通事情の変化と課題

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2017/12/blog-post.html

-World’s Highest Ice Core-

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2020/08/aachworlds-highest-ice-core.html

カトマンズ・ポカラ間の河川環境の変化

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