100周年によせて

1)山岳部100周年

「山岳部100周年の大学は?」とネットで調べると、関東では学習院大学、東京大学、早稲田大学、明治大学、立教大学、中央大学など、また関西では京都大学、神戸大学、関西学院大学などがあり、学習院大学や早稲田大学、京都大学や神戸大学はすでに100周年を過ぎていますが、これから迎える大学として、5月14日には明治大学山岳部、6月4日に東大スキー山岳部が100周年の催を行うとのことです。このように、多くの大学山岳部が創立100年で新しい世紀を迎えており、本州にいると、AACHもその歴史の節目にいることを実感しますが、AACH以外に100周年前後の大学山岳部がない北海道ではそれを強くは感じないかもしれません。

2)「ChatGPT」に聞く

そこで、例の「ChatGPT」に「北海道山岳部は100周年を迎えますが、何をしたらよろしいでしょうか?」と質問しました。それは1か月ほど前のことで、その質問のために「GhatGPT」を初めて利用した理由は下記に書きました。

◆「ChatGPT」感想一口メモ (4)
AACH備忘録(14)
木崎さんの思い出;二題(英訳)
https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/04/aach14.html

質問後、間髪を入れずに示された「ChatGPT」の回答は次の通りです。

「ChatGPT」の回答

北海道大学山岳部が100周年を迎えるということは、その歴史と伝統が非常に豊かであるということですね。100周年を迎えるにあたり、以下のようなことが考えられます。
1. 歴史の振り返り
100周年を迎えるにあたり、これまでの歴史を振り返り、その歴史を紹介するイベントや展示会を行うことが考えられます。これにより、部員やOB・OGたちが歴史に触れ、部の伝統を守り継ぐことができます。
2. 山の環境保護活動
山岳部が愛する山の環境保護活動を行うことで、部員やOB・OGたちが山と向き合うことができます。例えば、山のゴミ拾いや植林活動などを行うことが考えられます。
3. 活動の拡大
100周年を機に、新たな活動を展開することができます。例えば、キャンプやトレッキング、スキーなど、山岳部としての活動範囲を広げることができます。また、外部からの参加者を募集することで、山岳部の知名度を高めることもできます。
4. 地域貢献活動
部員やOB・OGたちが地域に根ざし、地域の人々と交流を深めることも考えられます。例えば、地元のイベントに参加したり、地元の小学校に出向いて山についての講演を行うことが考えられます。
以上のようなことが考えられますが、最も重要なのは、100周年を迎えることで部員やOB・OGたちが一体となり、山岳部の伝統を守り継ぎ、その精神を後世に伝えていくことだと思います。
上記の「ChatGPT」の回答の中で、1~4は地域社会の貢献活動としてもっともなことに違いはありませんが、僕が最も感心したのは末尾で指摘している「最も重要なのは、100周年を迎えることで部員やOB・OGたちが一体となり、山岳部の伝統を守り継ぎ、その精神を後世に伝えていくこと」という点でした。そこで、会報131号に福井理事が報告されている100周年記念事業の各種内容に関して「多くの会員の皆様からのご意見をいただきたい」との呼びかけも出ていますので、この100周年の機会に「部員やOB・OGたちが一体となり」、多くの会員が参画するAACHの契機になることを祈念してやみません。そこで、1つの提案として、「できるだけ多くのAACH会員が参画できる100周年のあり方」として、会員の多くの人達も貴重な写真や各種資料を持っていると思いますが、(お亡くなりになると、所在不明になり、利用できなくなる可能性がありますので)、100周年の貴重な機会にAACH会員が参画する企画の1つとして、山に関する会員の貴重な写真データなどを整備・公開したらいかがでしょうか。

3)写真資料などの整理と公開

ちなみに、僕は心臓疾患を抱え先が長くはないかもしれませんので、写真などの資料を「氷河の世界」としてまとめています。この「氷河の世界」の下記ギャラリーには1963年以降2017年までの海外調査等で撮影した画像4万枚ほどが含まれ、友人の干場悟さんに整備していただいたオープンな下記のデータベースですので、自由に利用してください。なお、個人的な写真はGoogleフォトやGoogleアルバム、また顔認識に特化したPicasa3を利用しています。

gallery
https://glacierworld.net/gallery/
この「gallery」の撮影地域と写真枚数の概要は次の通りです。
Arctic 437枚
北極海地域の調査として、1963年から1965年にかけての北極海海洋観測と1993年のノルウエイのスバルバール島の氷河調査がある。
Bhutan 1866枚
ブータン・ヒマラヤの調査としては、2002年のブータン北部のルナナ地域の氷河調査と2003年の中央部プナカ地域で河川地形の調査を行った
China 28枚
中国での調査としては、北京で開催された1980年の青蔵高原科学討論会および2001年の上海から西安までの揚子江船旅と黄河上流の蘭州周辺の画像である。なお、氷河調査に関係するチベットは中国とは別項目「Tibet」にまとめている。
Europe 490枚
ヨーロッパでは、1965年に終了した北極海調査の後、ロンドンからナポリまでの自転車旅行と2011年の「アルプス3大名峰スイスの旅」で氷河地形などを観察した。なお、2011年の旅の最後に飛行機から見たカラコラム地域の氷河と山は別の項目「2011Karakoram (Dubai-Osaka)」にまとめてある。
India 2160枚
インドの画像については、インド・ヒマラヤの1974年のガルワリ地域、2004年と2005年のヒマチャル・プラでッシュ地域のレー周辺などのザンスカール地域の氷河調査時に撮影した。
Karakoram (Dubai-Osaka) 107枚
2011年9月の旅行ツアー「アルプス3大名峰スイスの旅」の最後に、ドバイから関西空港までの飛行機がカラコラム山脈を通過したので、K2峰周辺などの山や氷河地域を撮影することができた。
Mongolia 498枚
モンゴルに関しては、北西部のフブスグル湖とその周辺の森林火災や永久凍土の調査を2001年と2002年に行ってきた。
Nepal_A 10029枚
1965年から2005年までに行った13回のネパール・ヒマラヤ地質・氷河調査時に撮影したカラー・スライドと白黒写真で、いわゆるデジカメ以前の写真合計10029画像である。
Nepal_B 26635枚
2008年から2017年まで行った10回のネパール・ヒマラヤ地質・氷河調査および2015年から2017年のカトマンズ大学の講義時に撮影したデジカメ写真で、写真合計は26635枚である。デジカメ時代の撮影枚数が如何に多いかを示している。
Russia 201枚
ロシアの画像に関しては、1990年のソビエト時代と新生ロシアになった2001年および2002年のバイカル湖の調査とヤクーツク地域の永久凍土と森林火災の調査を行った。
Tibet 1614枚
チベットに関しては、1980年のラサからカトマンズまでの青蔵高原科学討論会時の巡検旅行、1987年の西コンロン山脈周辺の氷河調査およびチベット高原の横断旅行、および2001年のラサからカトマンズへの飛行機からみたチベット側のエベレスト周辺の画像である。

4)データベースの反響

このデータベースの、ユーザーがページを閲覧した回数であるページビュー数は各国から毎月約1万件程度です。

ブログ閲覧状況

ブログの閲覧状況に関しては干場悟さんから毎月のデータを教えて頂いていますが、今回のブログで「ChatGPT」による英訳資料をのせたら、4月の上位4か国の国別閲覧状況は日本→アメリカ→シンガポール→ドイツの順位となり、久しぶりに日本がトップになりました。ちなみに、ユーザーがページを閲覧した回数(ページビュー数)は日本が1625回で、アメリカは1280回、シンガポール530回、ドイツ471回などでした。

左図 3月の国別ページビュー数          右図 4月の国別ページビュー数
比較のために3月の状況は、アメリカが1899回、シンガポール795回、ドイツ533回で、日本は474回でした。4月の日本がトップになった原因としては「ChatGPT」による英訳資料の影響があるかもしれません。

また、半世紀ほど前のヒマラヤの写真などは下記のようにネパールの人達にも利用されています。

Lhakpa Gyalu Sherpa

1970 on the way back from Khumjung School , 50 years before ! Photo of Professor: Hiroji Fushimi who was Scientific Research Team member of 1970 Japanese Ski Expedition and later he resided in Khunde to do field survey and research of Gyajo Glacier.
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Ang Temba Sherpa
Good to see old photo . It looks at that time they have shoes 👞 . I don’t have shoes 1970 . To day we all with shoes !!!

Lhakpa Gyalu Sherpa

1000 words is equivalent to a single image! Photo of 1970s by Professor Hiroji Fushimi a glaciologist-geologist after the Japanese Everest Ski Expedition did research of Gyajo glacier the catchment of Theso river. The venue is Nasagirpo ( big chautaro- rest platform) at Shyangboche where Khumjung pa and Khunde wa diverge.