高橋昭好さんのグーグル画像情報について

高橋昭好さんがグーグル画像の「関西支部芦峅ヒュッテの跡」と、
ヒュッテの間取図や写真(下記)を示されたので、当時のことを
懐かしく思い出しました。

[AACH-ML 3651]関西支部芦峅ヒュッテの跡
Akiyoshi Takahashi <a.takahashi758@na.commufa.jp>
2021年08月31日 午前 11:18
https://mail.ocn.jp/index.html#/mail/INBOX/93023
宛先:aach-ml@aach.ees.hokudai.ac.jp

当時の関西支部芦峅ヒュッテ、つまり「佐伯富男の店」の跡には
立山調査の折、訪れたことがあった(写真1)。グーグル画像で
偲ばれるように、コンクリートの土台がむき出しになっていた。

写真1 「佐伯富男の店」の土台(背景はかつての芦峅スキー場)

写真2 板倉勝宣さんの碑

グーグル画像は私達の氷河調査をはじめ、各種の研究で利用され、
しかも無料であるため、グーグル画像には大いに感謝している。

PS
なお、近くには板倉勝宣さんの碑(写真2)があるので、機会を
みて、雑草取りに伺いたいと思っている。

追記1

高橋昭好さんから下記1のメイルが来ましたので、下記2で追加情報を送りました。

記1
Akiyoshi Takahashi <a.takahashi758@na.commufa.jp>
2021/09/04 (土) 14:07
返信
転送
名古屋の高橋です。
伏見君、芦峅ヒュッテの追加情報、ありがとうございました。君は実際に行ったんだね。
そうそう、ヒュッテだけでなく板倉先輩も芦峅に眠っておられるんだよね。
かの、松尾峠の遭難。これについては、リーダーの判断、板倉さんが死に至った真相と理由、など問題があったとか無かったとか色々取りざたされていました。
本当のことは分かりませんが、本棚から北日本新聞と安川茂雄さんの本を引っ張り出してきました。
今からこれを読んで板倉先輩を忍ぼうと思っています。
もう一つ思い出しました。
このことは今まで何度も口にしておりまして聞き飽きた方もいると思います。すみません。
私が、2年目の3月に「剱岳集中登山」がありました。
私は、吉田勝さんをリーダーとして、立山駅→弥陀ヶ原縦断→室堂→劔へとものすごい重い荷物を担いで歩いていました。天狗平へ差し掛かった時、5m先が見えないような吹雪とホワイトアウトになってしまったのです。
今夜のキャンプ予定の天狗平小屋は、いずこの方角にあるのか全く分かりません。
私たちは、吉田リーダーのクリノメーターと歩測によってぴったりと小屋へぶつかるという結果になりました。
“吉田さんの勘はすごい”と言ったら“いや勘じゃない。科学でやっていて、ちゃんと現在地は分かっていた”と言われてしまいました。すごい人です。
場所も天候もロストポジションも「松尾峠遭難」と非常に似通っていたことをお伝えしたくて書かせてもらいました。
以上  高橋 昭好

記2

FUSHIMI Hiroji
2021/09/04 (土) 16:14
返信
高橋さま、関係各位ーーー伏見です
<小屋の看板などについて>
佐伯富男さんの30回忌は過ぎてしまいましたが、
機会を見て詣でようと思っています。また小屋
に関しては、玄関の看板について下記やり取り
がありました。高橋さんはご覧になりましたか。
それでは、その他の関連写真を添付いたします。

FUSHIMI HIROJI
2016/07/09 (土) 22:37
佐伯さまーーー伏見です
千寿ヶ原滞在中はいろいろとお世話いただきありがとうございました。
お陰さまでスキー場小屋跡も見学し、思い出にふけることができました。
添付写真とともに、北大山岳部関西支部に報告したところ、高橋さんが
下記のメイルを送ってきました。そこで下記の看板は保存してあるとの
ことですので、お急がしいところ恐縮ですが、その写真をお送り下さる
ようお願いいたします。
伏見兄   皆様    名古屋の高橋です。
芦峅寺情報、ありがとうございました。ご苦労様。
久しぶりにターボーと飯田君の顔も見ることができました。ありがとう。
そうですか、小屋は、風雪に耐えきれずに寿命を全うしたようですね。
それは仕方ないことですし、一面すっきりした気持ちもあります。
一つだけ気にかかることがあるのですが、小屋の入り口にあった看板も捨てられてしまったでしょうか。
あれは、伊吹さんに書いてもらったものです。
すごい達筆で書かれていて小屋の象徴であり、誇りに思っていました。
伏見君、申し訳ないけどターボーに聞いてみていただけませんか。
よろしくお願いします。  高橋 昭好

関連写真

追記2

前述の看板については、高橋昭好さんから、さらに下記のメイルが来ましたので添付します。

[AACH-ML 3653] AACH備忘録(9) 関西支部芦峅ヒュッテの跡 松尾峠の遭難
Akiyoshi Takahashi <a.takahashi758@na.commufa.jp>
2021/09/05 (日) 12:48
伏見兄ほか皆様へ  名古屋の高橋です。
伏見君、山小屋情報いろいろありがとう。
今日は小屋の表札というか看板について書きます。
伏見君と高男さんとの看板のやり取りは知りませんでしたし、看板が保存してある旨の情報も知りませんでした。これが2016年7月ですね。
2019年9月11日に私、芦峅へ行きまして高男さんと会って看板のことについて尋ねましたが“見つからなかった”というご返事でした。代わりに、小屋ノートとアルバムをいただいて帰ってきました。
伏見君と高男さんとのやり取りより、私の芦峅訪問の方が新しいので、やっぱり看板は無かったものと思います。
それはそれとして、今、関西支部においては支部の歴史をまとめておこうと言う作業が進行しています。
その中で、なぜか私が芦峅ヒュッテについて執筆することになりました。
今回伏見君から提供のあった小屋の基礎や看板のいきさつなど、「ヒュッテの後日談」と言うことで加筆させてもらおうと思っています。情報提供、ありがとうございました。
高橋 昭好