国際協力と海外調査について-ネパールとモンゴルでの経験に学ぶ-

1) はじめに

私は1963年11月の北極海海洋調査をはじめとし、2017年3月のネパール・ヒマラヤ氷河調査までの約半世紀に38回の海外調査を行ってきた(注1)。そのほとんどはネパール・ブータン・チベットのヒマラヤ山脈周辺やモンゴル高原のアジア地域だ。その他の調査地域としては、北極・ヨーロッパ・アラスカやロシアの氷河地域の調査をわずかにしてきた。だから、私のブログ「氷河へのお誘い」(注2)を主な資料としてデータベース「氷河の世界」(注3)をまとめているが、その視点はこれまでの経験からどうしてもアジア中心、つまり地元からの視点になる。そこで、「ネパールとモンゴルでの経験に学ぶ」の視点で、「国際協力と海外調査」について考えた。

(注1)

1)1963年11月~1965年5月 北極海海洋調査

2)1965年6月から8月 ヨーロッパ自転車旅行

3)1965年10月~1966年年3月 ネパール・ヒマラヤ氷河・地質調査

4)1968年3月~4月 アラスカ氷河調査

5)1970年2月~12月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

6)1973年3月~7月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

7)1974年8月~1975年6月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

8)1975年10月~1976年2月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

9)1976年8月~1977年2月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

10)1978年5月~12月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

11)1980年5月~6月 チベット高原氷河・地形調査

12)1987年6月~9月 チベット高原湖沼・氷河調査

13) 1990年5月 ドイツのボーデン湖とロシアのバイカル湖周辺調査

14)1993年8月~9月 ノルウェー・スウェーデン湖沼・氷河調査

15)1994年7月~8月 ノルウェー・スウェーデン湖沼・氷河調査

16)1995年9月~10月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

17)1995年11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

18)1996年7月~8月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

19)1998年8月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

20)2000年8月 モンゴル永久凍土調査

21)2001年3月 モンゴル永久凍土調査

22)2001年8月~11月 モンゴル、ロシア、中国、ネパール、インド氷河調査

23)2002年8月~11月 ネパール、ブータン・ヒマラヤ氷河調査

24)2003年8月~9月 ネパール、ブータン・ヒマラヤ氷河調査

25)2004年8月~9月 インド、ネパール・ヒマラヤ氷河調査

26)2005年8月~9月 インド、ネパール・ヒマラヤ氷河調査

27)2007年9月 ケニアのキリマンジャロ周辺巡見旅行

28)2008年6月~2010年6月 ネパール・ポカラの国際山岳博物館学芸員(JICA)

29)2010年9月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

30)2011年2月~5月 東南アジア、ネパール・ヒマラヤ氷河調査

31)2011年9月 ヨーロッパ・アルプス巡見旅行

32)2012年4月~7月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(マレーシアのキナバル周辺巡見)

33)2012年10月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(マレーシアのトバ湖、ミャンマーのヤンゴン周辺巡見)

34)2013年10月~11月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(ラオスのビエンチャン周辺巡見)

35)2014年2月~5月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査

36)2015年2月~6月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(カトマンズ大学講義、国際山岳博物館展示更新)

37)2016年2月~6月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(カトマンズ大学講義、国際山岳博物館展示更新)

38)2017年3月~6月 ネパール・ヒマラヤ氷河調査(カトマンズ大学講義、国際山岳博物館展示更新)

 

(注2)

氷河へのお誘い

https://hyougaosasoi.blogspot.com/

(注3)

氷河の世界

https://glacierworld.net/

アジアの大河はヒマラヤやチベット・モンゴル高原などの内陸アジアにその源を発する。黄河・長江・メコン川・ガンジス川・インダス川・オビ川・エニセイ川・レナ川・アムール川などである(図1)。

図1 内陸アジアの高原と河川系

人工衛星から眺めれば、内陸アジアにはたくさんの湖沼が分布するのを見てとれる。たとえばチベットはあたかも湖の高原の感がする(図2)。目を閉じて広大なアジアを思いうかべると、内陸アジアのチベットやモンゴル高原およびヒマラヤなどから黄河やガンジス川などのアジアの大河が沿岸部の大都市へと流れ下っているのを想像することができる。急激な人口増加が見こまれるアジアの大河下流域の大都市周辺にも多くの湖沼があり、それぞれの湖沼は大河川とともに、住民の生活 と深くかかわる。

図2 チベット高原とその周辺

モンスーン地域の乾季にもアジアの大河の水量が維持されているのは、内陸アジアの山岳や高原に分布する氷河と永久凍土からの溶け水があることが大きな要因である。そのため、現在のような地球温暖化の初期には氷河と永久凍土が急速に融けることによって、内陸アジアの河川水量および湖水量は増加する。しかし、温暖化がさらに進行すると予測される21世紀後半には、氷河と永久凍土が縮小してしまうので、水資源が乏しくなっていくことが危惧される。従って、今世紀中にはアジアのモンスーン地域(図3)の乾季の水資源量は少なくなり、アジア全域に深刻な水資源・環境問題をひきおこすことであろう。アジアの水資源動向の重要な 鍵の1つが水源となる内陸アジアの氷河や永久凍土現象にあるのである。

図3 モンスーン・アジアの水循環

さらに、温暖化によって海水準が上昇すると、海岸低地部の地下水層中に塩水楔(Salt Wedge)現象が起こることも考えられる。なぜならば、河川水位の減少に対して、海水位の上昇で、海水が河川の河口部に浸入するとともに、地下水層にも貫入するからである。すると、人口増加が世界的にも著しいアジア各大河の河口部大都市では、河川水量の減少にくわえて地下水の塩水化で淡水資源の欠乏問題がさらに 深刻になるであろう。水資源の枯渇問題は、さまざまな大都市化に起因する環境諸問題ともからみ、早かれ遅かれ、緊急なEnvironmental Issuesを投げかけてくるのは必定と言わねばなるまい。

もとより内陸アジアは広大であるので、現地研究者との共同体制を組まねばならないが、さらに地元住民との連携も重要である。そこで、環境・文化に関る国際協力の視点をふまえて、21世紀の水資源問題について大きな影響をあたえる内陸アジアの氷河と永久凍土に関係するEnvironmental Issuesを、ネパールとモンゴルの経験から、ふり返ってみたい。

 

2) ネパールでの経験に学ぶ

1973年から1978年まで続いたネパール・ヒマラヤ氷河学術調査隊の正式名称は Glaciological Expedition of Nepal であった。直訳すると、ネパールの氷河調査隊、英語の略称はGENで、Expedition (遠征)の名称には前時代的な響きもあるが、当時の調査隊はおしなべて、アレキサンダー大王の感じがするExpeditionの名称を使っていた。ともかく、略称のGENはゲンと読めるので、験(げん)が良くなることを調査隊の誕生にあたり期待したのである。

しかし、GENの略称だけでは見えないが、GEとNのあいだに”of”が入っている。メンバーが日本からきている隊なので、GE”to”N(ネパー ルへの氷河調査隊)であって、GE”of”Nでは英語の表現としておかしいという意見も当初はあった。と言うのは、当時の日本から出て行く調査隊の英文名 は、通常(・・・Expedition to・・・)だったからである。

先遣隊メンバーとして1973年春にネパールの首都カトマンズを訪れたぼくは、調査許可を得るためネパール外務省にかようことになる。そこで、従来方式で GE”to”Nの計画書を作ったが、その計画書ではネパール外務省への2カ月ちかい交渉でも調査許可がもらえなかったのである。外国(日本)から やってきたネパールへの氷河調査隊というニュアンスが強すぎたのであろうか。調査許可の取得交渉のためネパール外務省に日参しているうちに、ネパール人とのつき あいも深くなり、それにつれてネパール語もいけるようになると、ぼくたちの考えかたもだんだん変わってきた。

(よし、できるだけ現地主義でいこう。)

ぼくたち貧乏学生調査隊は、食料や薪などの衣食住をはじめとして、現地のひとびとの協力なしにはやっていけないのだから、好むと好まざるとにかかわらず、かなりの部分を現地主義を取らざるをえなかった。たとえば薪についても地元の理解が必要で、シェルパの人たちが住むヒマラヤでは、モンスーンの雨期の期間は「宗教上の理由で煙をだしてはいけない」との申し出があったときも、それでは生活ができなくなるので、地元の村の人びとと何回にもおよぶ協議をおこなったうえで、やっと炊事用の火をたくことを許可してくれたのである。

写真1 ヒマラヤのハージュン観測所

だから、英語の表現が少しくらいおかしくとも、GE”of”Nだと、現地主義の感じがでているではないか。GE”to”Nでは、いかにも、よそ者がやっている感じがする。(それなら、さらにすすめてGE”for”Nのほうがよかったかな、と考えないでもなかったが)。ところで、GE”of”Nの計画 書にしてしばらくすると、ネパール外務省は調査許可証をついに発行してくれたのである。そこで、地元の人たちの協力を得ながら、東ネパールに位置する世界最高峰チョモランマのふもとのハージュンと呼ばれる牧草地に観測基地(写真1)を建設した(注4)。地元の人によると、地名のハージュンとはシェルパ語で、幸福をもたらす神のすむ平らな土地という意味があるとのことである。ますます(験、GEN)がよくなりますようにと願ったものである。こうして、1973年春、学生たちだけの1年間のネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)はスタートした。

(注4)

国際交流 ネパール氷河調査隊ハージュン基地建設

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2013/09/blog-post.html

ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出(1)

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/09/gen50.html

ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊の目的はヒマラヤの氷河の実態を明らかにすることで、そのため氷河形成にかかわる気象や地形・地質調査を行った。わた したちは学生であるから、当然のごとく1年間の調査をする金がなかった。そのため、1960年代半ばに滞在したことのある北極海の氷島へでかけ、1973 年の沖縄海洋博用に長さ30m、直径30cmの氷柱を展示するという企業計画のアルバイトも行った。お陰で、数百万円ほどの軍資金ができたので、10人ほどの学生たちが1年間を通して調査をすることができた。この年のぼくは、半年のヒマラヤの調査で15キロの減量に成功したものの、その直後の北極海の氷島での贅沢なアルバイト生活でふたたび体重が元に戻るという大変化を経験したのも今となっては懐かしい思い出でになっている。この学生調査隊が発端となって、翌年からはネパール のトリブバン大学の研究者との共同研究体制を組み、1978年までつづいた樋口敬二名古屋大学教授を隊長とする文部省の長期海外学術調査隊へと発展していったのである。

1960年代までのネパール・ヒマラヤの氷河調査隊は、GE”to”Nの時代であった。山登りなどの外国隊と同様、いわゆるよそ者の調査時代といえ よう。そして1970年代になると、ぼくたちのGE”of”Nの観点がめばえたが、1977年、ぼくたちが現地に滞在していた時に発生した氷河湖の決壊に よる洪水災害(写真2)を契機として(この種の調査はブータンでも現在行われた)、1980年代からは自然災害対策を目的としたGE”for”N(ネパー ルのための氷河調査隊)の段階に変化し、ネパールの気象・水文や水資源部局の行政担当者たちとの共同研究体制も組まれるようになった。また。 GE”for”Nの時代になるのと併行して、調査を手伝ってくれていた現地の若者であるハクパ・ギャルブ・シェルパさんの奨学金を集め、カトマンズの大学を卒業してから、地元の学校教師なった彼をさらに援助するとともに、ネパールの大学や研究機関の研究者であるリジャン・バクタ・カヤスタさんたちを日本に呼んで共同研究をすることによって、ネパール人研究者の育成にも努めてきた。

写真2 氷河湖決壊による洪水被害の村

1997年の夏、ぼくは滋賀県立大学の第1期生たちとネパール・ヒマラヤのフィ-ルドワークを行い(写真3)、全員で標高4500mの氷河地域まで行く ことができた。その内容は、その年の学園祭のとき、各学生がそれぞれのテーマをまとめて発表したのである。 学生たちとのヒマラヤの旅はぼくにとってもかけがえのないものとなったので、彦根のサンライズ出版の”Duet”8巻5号に次のように記したのであった。「滋賀県立大学のフィールド・ワーク・クラブの部員と、ヒマラヤの環境問題を調査した。調査内容は、ネパールの首都カトマンズの水・大気・ゴミ問題などと、カトマンズ北方のランタン・ヒマラヤの村々までの自然・社会環境の実態と課題を踏査することであった。ランタン・ヒマラヤは、私にとって21年ぶり。 ヒマラヤへの旅は、カトマンズから離れるにしたがって近代化の影響がしだいに少なくなるので、あたかも歴史をさかのぼるタイム・トンネルをくぐるかのようだった。およそ2昔前のヒマラヤの面影を重ねあわしながら、同時に、かつての日本の姿をみいだす旅ともなった。

写真3 ヒマラヤの滋賀県立大学県大第1期生

できれば将来は、このような学生たちの外国のフィ-ルド・ワークが一種の「特別実習」になれば良いのだが、と考えている。外国での新しい経験は必ず や学生たちの将来の糧となり、学生たち自身が育っていくことであろう。これはいわゆる総合学習といえる。最近の国際教育到達度評価学会の学力試験 で、理数系の暗記教科の点数が外国に比べて日本の学生のほうが低かったというので、文科省などから総合学習削減の方向性が出されているが、それよりも、その学力試験の結果で明らかな「考え学ぶ力」が衰退していることの方が深刻だと考える。さらに心配なのは、体力や、精神的なたくましさなど、生きていくのに 必要な基本的な力が衰退しているように感じられることである。

さて、「人と自然の共生をめざして」という看板が滋賀県立大学の足元の犬上川の河川改修現場に立っている。しかし、河辺林であるタブ林からみれば“人は助けてくれてはいない”ので、「共生」とはいえない。今まさに心配なのは、人為的影響をあたえすぎてしまったために、タブ林の維持にとって必要な持続的な形成条件を失って しまったのではなかろうか、ということである。そのために、タブの後継木が育ってくれたらと願うのみである。私たちにできるのは自然をできるだけ残して、 せめて「共存」していくことなのであるまいか。後世の人たちに「タブの木は残った」といえるような自然環境との共存関係を実現したいものだ。そもそも、 1980年代から「地球全体のことを考えて、地域で行動せよ「Think globally, act locally.」という標語が登場しているが、地元のわれわれにとっては、まず「Act locally. think globally.」なのではないか、と考える。

以上のように、ヒマラヤ調査の基本的な姿勢がGE”to”NからGE”of”NをへてGE”for”Nに、調査隊自身も変化してきたのは、国際協力 における海外調査の進化ととらえることができるのではなかろうか。その過程で、地元研究者との共同体制の確立や、現地住民との連携および滋賀県立大学の学生たちとの環境教育的な活動へと展開してきたのである。つまり、当初は個人的な興味から発した環境科学的な調査ではあったが、次第に(よし、できるだけ現地主 義でいこう)の視点からの環境学的な課題を重視するようになってきたのである。このことはとりもなおさず、滋賀県立大学環境科学部のフィ-ルド・ワーク (FW)も、FW1の課題発見、FW2の解析・分析、FW3の課題解決にいたるプロセスと対比できる、と思う。課題解決にいたる最終的プロセスには、現在 のぼくたちが取り組んでいる「GE”for”N」と共通する視点があるからである。われわれは現在「犬上川を豊にする会」で地元住民と行政関係者とともに 河川改修の進む犬上川の具体的な環境改善活動を行っているが、ネパールに関しても、2004年に開設された国際山岳博物館(5章参照)に対して、われわれのこれまでの 成果を生かしながら、環境教育的な支援が将来はできないものかと計画しているところである。

 

3) モンゴルでの経験に学ぶ

バイカル湖に近いモンゴル北西部に位置するフブスグル湖(写真4)の課題は水位上昇である。1980年から2000年までの20年ほどで60cmも上昇したという。1年平均で3cmにもなる。そこで、私たちの調査テーマ「フブスグル湖の経年的水位上昇」の要因としては、まず地球温暖化による永久凍土の融解が影響しているのでは ないかという仮説にもとづき調査を始めた。なにしろ、フブスグル湖の面積は琵琶湖の4倍もあるので、60cmの水位上昇は琵琶湖水位に換算すると2m以上 の大きな変化になるのである。

写真4 モンゴルのフブスグル湖

琵琶湖も、明治前半までは水位上昇が大きな問題であった。洪水にしばしばみまわれていたからである。琵琶湖のかつての水位上昇の原因は人為的な山地の破壊で、多量の土砂が琵琶湖に流入し、琵琶湖からの出口である瀬田川に自然のダムができ、流れを堰きとめるようになっていたからとみなせる。それでは、かつての琵琶湖の水位上昇速度はどのくらいになるのか。まず5千年ほどまえの縄文遺跡が、最近の水位-2mの湖底に広く分布する(粟津遺跡など)ことから推定すると、湖岸地域の沈降を無視すると、縄文時代からの水位は2mほど上昇したことになる。すると、平均水位の上昇速度は1年で0.4mmである。しかし、縄文時代はその後の新しい時代よりも、より自然と共存する生活環境だったから、山地破壊などは少なかったと考えると、近代の環境破壊の激しかった時代の値と比べれば、縄文時代の上昇速度はもっと少ないはずだ、と思う。その証拠に、戦国時代の長浜の太閤井戸や資料1にも報告されている明智光秀の坂本城の城跡が、琵琶湖水位が-1mちかくになると、現れることから見積もると、5百年ほど前の戦国時代からの水位上昇速度は1年で2mmとなる。どうやら、戦国時代からの上昇速度は縄文時代よりは1桁ほど大きいようだ。いずれにしても、琵琶湖は歴史時代を通じて水位が上昇し続けているのは、人間による環境破壊が時代とともに進んできたことを示す、と解釈できる。

以上のように、琵琶湖水位の平均上昇速度は年0.4~2mmの範囲になり、時代が新しくなるにつれて、上昇速度が大きくなってくる。これらの値と比較 してみても、フブスグル湖の値は琵琶湖より、さらに1桁、大きいのである。このような大きな上昇速度のため、フブスグル湖岸周辺の牧草地や森林が水没している(写真5)。さらに、北部湖岸の町ハンクでは水没の危険にさらされ、町の移転が進められているという。深刻な事態だ。なんとか、この課題解決のための知恵をだしたいというのが、調査の課題であった。

写真5 水位上昇で浸水被害の湖岸森林

そこで、永久凍土の融解現象の実態を明らかにするため、地温観測を中心に調査することになった。そして、フィールド・ワークをしなければ気づかなかったような興味ある現象が明らかになったのである。まず、カラマツの森林地域ではところにより地下1.5mで地温が0℃、つまり凍土層の存在を明らかにすることができた。また、大部分のカラマツ林では地下2m周辺の地温が0℃になることが予想された。森林が立派に保存されていると、木の枝や葉が日射を遮 るので、地温が低く保たれ、永久凍土を保護しているのである。永久凍土が地表面近くにあれば、夏に溶ける表面付近の地下水を利用して森林が育つ。つまり、 森林と永久凍土とは互いに助け合っている一種の共生関係にあるともいえよう。ところが、牧草地や山火事で焼けた林(写真6)では地温が高く、地下の凍土層 の融解がすすんでいることが明らかになった。牧草地は当然人為的だが、山火事もその要因が大きいといわれる。というのは、漢方薬になるシカの角や香水の元になるジャコウ・ジカを追い出すため、風上から草を燃やし、風下で銃の狙いを定める狩猟(密猟)の際、森林も焼けてしまうのだという。フブスグル湖周辺はもとより、飛行機からも実感できるモンゴルの森林地帯に広がる山火事や牧草地などによる森林破壊の大きさを見るにつけ、人為的な土地利用改変の影響の大きさ・すさまじさを感じざるをえなかった。また最近では、観光客用のジャムの生産のために、ブルーベリーやコケモモなどを収穫した後、火をつけるのだとも言われている。下草を肥料になる灰にし、来年の実りを良くするために 火事をひきおこしていることになる。南面に広がる牧草地や広大な山火事などによる森林破壊の大きさを見るにつけ、人為的な影響の大きさを感じざるをえな かった。人為的山火事の影響については、フィールド・ワークで始めて明らかになったことであるが、森林保全に関する住民の環境教育も重要であることを示し ている。

写真6 山火事のカラマツ林

実はこの調査には、もう1つの懸案があった。それは。フブスグル湖南端部の湖から川に変わるところの地形調査である。懸案といったのは、今回の調査 に出かける前に、「かつての琵琶湖のように、瀬田川が埋まり、流れにくくなったら、水位が上昇するのではないか」という仮説を考えていたからである。ぼくの心には、瀬田川を埋める大戸川のようなイメージ(写真7)がうかんでいた。大戸川が瀬田川に流入する南郷周辺の黒津の河床を明治前期まで埋めていた「黒津八島」のことである。

写真7 大戸川河口の自然のダム

さて、帰りの飛行機の出発時間を気にしながらフブスグル湖南端部の現地調査に行き、ふたたび驚くことになった。なんと、フブスグル湖の出口には自然のダムがあり、せせらぎになっている(写真8)のである。

写真8 フブスグル湖出口の自然のダム

かつての「黒津八島」もかくありなんという地形が展開している。とにかく、まず、足のくるぶしほどの深さしかない右岸の浅瀬に長靴で入った。川幅は30mほ どで、右岸側の半分ほどが深さ10~20cmのせせらぎになっているほど川床が礫で埋まっている。左岸側の水深もそれほど深くはなく、60~70cm程度 である。とにかく、飛行機の出発までの時間がないので、周辺に落ちていた木片や牛糞・ガラス瓶・ポリ瓶などを利用して表面流速などを2時間ほどで測定し た。明治前期までの人々が「黒津八島」を渡り歩いていたことを想像しながら、河床を歩きまわった。ところで、フブスグル湖南端の湖から川に変わる右岸側を 見ると、不自然な形をした礫の丘が分布しているのである(写真8の川岸の白い丘)。その大きさは、高さ2m、幅7m、長さ70mほど。これはまぎれもない 人工的な構築物である。ということは、住民の人たちが水位上昇対策として、フブスグル湖のいわゆる「黒津八島」をすでに浚渫・除去していたことを示す。フ ブスグル湖の水位上昇問題の解決策をすでに住民が実践していたのである。このことは、フブスグル湖の水位上昇の原因と対策に直接関係し、被害にみまわれている町や湖岸森林の保全を考えるための重要な情報である。

そこで地元の人に聞くと、1980年代初めに浚渫をしたのだという。その際には、フブスグル湖の水位が30cm低下しているのが水位変化図から見てとれる。モンゴル国立大学の先生に聞くと、1970年代にも数回浚渫した可能性があるとのことである。礫の丘の体積はせいぜい1000m3ほどになるの で、1人1日1m3を川岸まで運ぶとしても1000人日分の仕事に過ぎない。10人でやれば100日でできるのである。この手法で、フブスグル湖北部の町、ハンクの人たちの心配を和らげ、森林保全を達成することができるという見通しをつけることができた。

 

4) 2001年のモンゴル調査報告

4-1) 調査概要

「つぎの調査には、ぜひとも馬にまたがり、北部の町、ハンクまで行ってみたい」と思っていたが、「ゆったりとした馬の背に揺られながら」のかわりに由緒ある船「スクバートル号」でその町に行くことができた(毎回のことではあるが、タイト・スケジュールなので、馬によるゆったりとした調査は無理なのであろう)。湖岸に隣接するハンクの町は、フブスグル湖の水位上昇の影響をうけ、湖岸道路などが水没している。そのため、町の移転が検討されているほどという。

大きな上昇速度のため、フブスグル湖岸周辺の牧草地や森林も水没している。深刻な事態だ。なんとか、この課題解決のための知恵をだしたい。そこで、私たちの調査テーマである「フブスグル湖の水位上昇」の原因を、当初は地球温暖化を考えたのであった。ところが、昨年度の調査結果によって、牧草地や山火事で焼けた林では日射が直接地面を温めるため、地温が高く、地下の凍土層の融解がすすんでいることが分かり、人為的な土地利用変化が地元の緊急な環境課題として浮かび上がってきた。

そこで今年度は、まずフブスグル湖岸周辺の山火事林に注目し、船を用いた調査としては8月25日にハンク(東岸北部)・ドルーン・ウール半島の南(西岸北部)、8月26日にハロスニアッシャ(西岸中部)・オルンドシュ島(湖中央部)・バルザック(東岸中部)、また8月27日にはハトガル(南部の町)を中心にしてサントヒル(西岸南部)・ハルザンダバト(東岸南部)、8月28日にはハトガル南部のムルンへの中間地域の各地域において、森林地域・山火事地域・牧草地域の土地利用形態と地温変化を比較観測した。さらに先発隊メンバーによって8月13日~23日にツァガノール(フブスグル湖の西部地域)とハンガイ山地周辺(モンゴル中央西部地域)の広域調査もおこなった。

4-2) 調査結果

まず、森林が良く保全されている地帯では日射がさえぎられるため、地温は低く、地下80cmから2mで地温が0℃となり、8月の気温の高い期間にも永久凍土が残されていることが分かった。このことは、夏に融ける永久凍土上部の活動層の水分を森林が利用していることをうかがわせる。つまり、森林が永久凍土を保存し、永久凍土は森林に水分を供給する共生関係がある可能性が高い。ところが、山火事地帯では永久凍土上面が地下3.5mになり、さらに牧草地になるとそれは地下6m以下になってしまうのである。

水位上昇の課題解決のためにも、当初の地球温暖化が永久凍土層を融かすことも長期的な要因として国際的な連帯のもとに取り組まねばならないが、人為的な山火事の森林破壊や牧草地の拡大によって、地面への直達日射量が増え、地温が上昇し永久凍土を融かしていることは地元の環境課題であるので、森林保全を目的とした土地利用政策を強力に実施する必要があることが急務といえよう。このことは正に、地球全体のことを考えて、地域で行動せよ「Think globally, act locally.」という標語を逆転させて、地元のわれわれにとっては、「Act locally. think globally.」の視点を実践する好例になるであろう。

人為的な土地利用の改変と地球温暖化の進行によって、アジア内陸部の永久凍土層や氷河などが融解し、水位上昇によって町・森林・牧草地域が水没したり、ヒマラヤのように増大した湖沼がしばしば決壊し、氷河湖洪水を起こしている。もしこの傾向が進むと、21世紀には人口増加が予測されているアジアの大河流域の水資源が不足するであろう。そのために、合理的な対策を打つことが重要で、放牧地や山火事の拡大を防ぎ、地球温暖化対策とも協調して水位上昇を押さえることは、同時に、地球史の寒冷期に形成された貴重な氷としての水資源(永久凍土や氷河)の保全につながるのである。次々世代の人類が安定した水資源の供給を得ることなくしては、 21世紀の急激な人口増加が予測されるアジアにとっては、水資源問題はきわめて深刻な環境課題になることを認識する必要がある。

4-3) ワークショップ報告

2000年度の第1回ワークショップのテーマはフブスグル湖などの湖沼研究の現状と問題点についてであったが、2002年度の今回の第2回ワークショップの目的は、モンゴルの環境教育の実態と課題を探り、将来の方向性としては日本・モンゴル両国の学生が中心となって検討し、夏に予定されているフブスフル湖地域の調査にむけて協力関係を強化していくことであった。

ワークショップのプログラムは以下のとおりである。

モンゴルの人たちとの意見交換

PROGRAM OF WORKSHOP ON ENVIRONMENTAL EDUCATION IN MONGOLIA

Date: March 13 and 14, 2002

Venue: Jingiskhan Hotel, Ulaanbaatar, Mongolia

Sponsors: Biwa and Khubusugl Inter-lake Friendship Association, Japan Fund for Global Environment,    University of Mongolia, Ecology Education Center

Language: Japanese, Mongolian

Program

March 13, 2002

Opening Ceremony

Prof. D.Bazardorj (Director of Ecology Education Center)

Dr. T. Kawai  (National Institute for Environmental Studies)

Hon.  Mr. Hanada (Japanese  Ambassador)

Dr.Ts.Gantsog    (General Director of MGL National   University)

Workshop

1) Mongolian government policy on environmental education; by S.Banzragch  (Ministry of Nature and Environment)

2) Histories and present states of the environmental problems in  Japan toward the future conservation;

by Prof .Hiroyo Kotani  ( read by Prof. M. Kawashima )

3) History of natural environment and our subjects for the future; by Dr. T. Kawai (National Institute for Environmental Studies)

4) Ecology educational centers activities for the future; by Dr. D. Bazardorj ( Director of EEC ) / by Ts.

Umachimeg ( Specialist of EEC )

5) The present situation of Japanese fresh water fish fauna and the effort toward ex situ conservation; by Mr. M. Nakagawa ( Kinki University )

Field trip

Environmental class at secondary school N24 and University.

Power station N4, Water and garbage treatment facility.

March 14, 2002

6) Future problems in global environment including Mongolia; by Prof. H. Fushimi ( University of Shiga Prefecture ) and its comments by Dr. N. Batnasan ( Institute of Geography, Mongolian Academy of Sciences )

7) Environmental situation in Mongolia; by Prof. O. Shagdarsuren ( National University of Mongolia )

8) Environmental problems and environmental education  case studies in the world; Prof. M. Kawashima ( Shiga University )

9) Video show  Threatening permafrost melting in Mongolia by the global warming; produced by Nippon Hoso Kyokai (NHK).

10) The present situation of environmental education at the Mongolian National University; by Dr. Ulikpan

11) Discussion

それではモンゴルの多数の学生も参加したワークショップの内容について、プログラム番号順に概要を示す.

1)小学校・中学校の義務教育、大学などの専門教育、新聞・TVなどの報道による社会的影響を環境教育の3本立とし、環境教育の評価や国立施設の活用を図っている.現在、環境保護週間を申請中である.

2)足尾や水俣などの日本の公害史、農薬による水質汚染やPCB、また地球温暖化などに見られる課題として、環境と経済の良好な共存関係を作り上げていく必要がある.

3)1200万年の歴史をもつバイカル湖との比較古代湖研究として、標高が1000m高いフブスグル湖では、氷期における結氷期間の長期化により、珪藻の進化頻度や化学化石としてのTOC変遷などに特徴ある寒冷環境史がみられる可能性がある.

4)義務教育の内容改善指導・社会人への自然・社会・理論生態学的な専門教育や環境報道・国立公園ガイドへの指導を行うかたわら、教科書・参考書の企画・出版を実施している.

5)生物多様性の減少に関する課題とその改善のため、琵琶湖では一般市民と協力して移入生物のブラックバスや新たな環境ホルモン対策を進めているが、ビクトリア湖でのナイル・パーチ導入が100種類の魚を減少させたことから、治療より予防が大切である.

6)アジアの大河である揚子江などの源流である内陸アジアの多くの湖沼では、地球温暖化の初期には、氷河と永久凍土層が融け、湖水量は増加するが、温暖化が進行する後期には氷河と永久凍土層の縮小によって水資源の欠乏時期が到来し、深刻な環境問題を引き起こす.

7)人口250万人、人口密度1km2あたり1人以下のモンゴルでは、自然への人為的影響は少なかったが、とくに1990年代からの市場経済化によって土壌の塩害問題、建材利用や山火事による森林破壊、魚・タルバガン・シカ・ハヤブサなどの動物減少(ナキウサギは増えているとのこと)、鉱山の水質汚染や石炭燃焼による大気汚染が著しくなっている.

8)環境教育の目標は、関心を高め、課題解決を行うことで( Belgrade Charter ‘75)、キーワードは体験である.地域の特徴を考えた方法開発・指導者育成・支援システムを作っていくことが重要である.

9)NHKビデオ「モンゴルの森が消える―永久凍土融解の脅威」を上映した.

10)人は自然のもの、人間も動物のひとつと考えて、環境とのつりあいを良くし、調整するための理性が必要である.大学のEcology教育では、 Macro-Ecology、 Geo-Ecology 、Bio-Ecology 、Socio-Ecologyを中心に行い、今年第1期生が卒業し、教育分野や自然公園業務や観光関連産業などに就職する.

11)モンゴル・日本の学生による両国の環境教育・NGO活動の実態に関する意見交換を行い、クリーン・エネルギーや燃料の利用可能性について検討した後、今夏の具体的な学生協同プロイジェクトの立案にあたっては、日本側代表の梅原氏(滋賀大学)とモンゴル側代表のサンチール氏(モンゴル国立大学)がそれぞれ中心になって、両国の多くの学生に呼びかけを行うとともに、両国の学生意見を調整することになった.

帰国早々の3月17日、「Hello Mr.Fushimi  We are student of national university of Mongolia. Do you remember us? Had you good trip? Conference was very nice and friendly. We like it. Please send us e-mail. We are waiting your mail. Bye Taivnaa & Sanchir」という今回のワークショップの反響を示すメイルがサンチールさんから寄せられた.彼は、今夏に計画されている日本の学生との協同プログラムを作成していくモンゴル側の代表で、これからの意気込み・積極性が感じられた.そこで、「My Dear Messrs. Bye Taivnaa & Sanchir、  I have just come back to my office today and I am very glad to have seen your mail below. I am also very much thankful for you and your colleagues to have joined the conference and talked each other for the future program of the environmental education in Mongolia. I am hoping we can talk again about the environmental issues of Lake Hovsgol in this coming summer. Please send my best regards to your friends.」との返事をおり返し送ったのである.「2度あることは、3度ある」の喩えのごとく、われわれとしては、今夏の協同プログラム後の第3回ワークショップも視点にいれていく必要があるのではなかろうか.

さらに、フィールド・トリップとして、中学校と大学での環境教育と水・ごみ処理施設を見学したが、とくに環境教育現場での教師と生徒の環境問題に関する積極性が印象的であった.また、ウランバートル地域の大気汚染源の1つになっている発電所と水質汚染・ごみ問題に関する処理施設を見学し、都市化拡大の一途を計るウランバートル地域の社会環境課題の深刻さを実感できた.ウランバートル周辺もまた、フブスグル湖地域と同様に、バイカル湖集水域の最上流部にあたるのである.

最後に、今回のワークショップへは次の24機関が参加した.モンゴル側からは、Ministry of  Nature and Environment; Ministry of Education、 Culture and Science; Ministry of Health; Mongolian Academy of Science; National University of Mongolian; Agricultural University of Mongolia; Mongolian Technical University; Mongolian Pedagogical University; Center of Ecology Education、 National University of Mongolia; Peace Corps of USA; World Wildlife Fund; Ecology Education Association (NGO); Western Mongolian Biodiversity; Mongolian Association for Conservation of  Nature and the Environment; Secondary School N24; Secondary School N97; Secondary School N40; Plant Protection Institute、また日本側からは、University of Shiga Prefecture; Shiga University; National Institute of Environment Studies; International Lake Environment Committee; Kinki University; Biwa and Khubusgul Inter-Lake Friendship Associationの各機関である.

 

4-4) 発表要旨

アジア湖沼群への温暖化影響-水資源的観点から-

伏見碩二

はじめに

アジアの大河である黄河・揚子江・メコン河・ガンジス河・インダス川の源流の内陸アジアの山岳地域および、急激な人口増加が見こまれるそれらの河川が流れ下る海岸低地の大都市には多くの湖沼がある.地球温暖化の初期には、氷河と永久凍土層が融け、湖水量は増加する.しかし、温暖化が進行する後期には氷河と永久凍土層の縮小によって水資源の欠乏時期が到来し、乾季の水資源はとくに少なくなり、東アジアに深刻な環境問題を引き起こすと解釈できる.そこで、アジア湖沼への地球温暖化影響と21世紀の水資源問題について報告する.

4-4―1) ヒマラヤとチベット高原の湖沼

地球温暖化によって氷河の融解が進むので、ネパール・ヒマラヤの氷河と湖沼の変動は著しく、氷河湖の決壊による水害や泥流・地滑り現象などが発生している.このような最近の氷河と湖沼現象によって引き起こされる災害軽減のためにも、合理的な水資源利用のための新しい管理手法を構築する必要がある.

温暖化が進行するヒマラヤとチベット高原では氷河と永久凍土層が減少しているので、将来は氷河によって涵養される水資源不足に見まわれ、黄河・揚子江・メコン河・ガンジス河・インダス河流域の乾季の渇水化現象を促進する.

チベット高原では、氷河融水が連続的に供給される現在の氷河地域に淡水湖沼が形成されている.一方、塩湖の形成は氷河地域から遠いチベット高原の内陸部で進行する.塩湖化がはじまると、寒候期にも結氷しにくくなるので、冬期蒸発が加わり、蒸発量増大によってさらに濃縮過程が加速する.青海湖は農業開発のための人工的な水利用のためもあり、このような塩湖化のプロセスが進んでいる.従って、温暖化がさらに進むと考えられる21世紀には、アジア地域の河川流量は乾季においては減少すること、おとび内陸部の湖沼の塩湖化が進むので、特に注意深く有効利用する必要がある.

4-4―2) モンゴルのフブスグル湖

モンゴルのフブスグル湖の水位は最近の20年間に60cm上昇している.このため、周辺の森林や放牧地、湖岸の町が年々水没している.水位上昇の原因としては3つの要因が考えられる.1)湖南端部に流入する支谷からは砂や礫が運ばれるため、自然のダムが形成され、湖の流出口を堰きとめていること、2)人為的な牧草地の拡大や山火事の森林破壊によって、地面への直達日射量が増え、地温が上昇し永久凍土を融かしていること、3)地球温暖化が永久凍土層を融かすこと.

そこで、我々は次のことを提案したい.1)短期的対策としては、自然のダムを浚渫することである.我々の見積もりでは500m3の浚渫で水位を30cm下げることができる.2)中期的な対策としては、放牧地と山火事の拡大を防ぐための人為的な土地利用政策を実施することである.3)最後に、長期的な対策としては、国際的な協力のもとにフブスグル湖の自然環境モニタリングを継続することによって地球温暖化を解決する一助になることである.

4-4―3) 琵琶湖

日本では、2030年代に平均気温が1.5 ℃から3.5℃(最近の見積もりではこの2倍程度)上昇すると報告されている.もし平均気温が1.5 ℃増大した場合は、降水量が20%増大しない限り、降雪量は平均値である10億トンに達しないであろう.平均気温が3.5℃も上昇すると、降水量が20%増大したとしても、降雪水量は著しく減少し、6億トン程度になってしまう.

降雪水量が10億トンより多いと、琵琶湖北湖深層水の年間最低溶存酸素濃度は酸素を豊富にふくむ雪解け水の密度流によって増大する.しかしながら、降雪水量が10億トンより少なくなると、溶存酸素濃度は急激に減少する.地球温暖化は琵琶湖流域の降雪水量を著しく減少させるため、琵琶湖北湖深層水の溶存酸素濃度が減少するので、琵琶湖の富栄養化がさらに促進すると解釈できる.

4-4―4) まとめ

地球温暖化の進行によって、アジア内陸部の氷河や永久凍土層が融解し、増大した湖沼がしばしば決壊し、氷河湖洪水を起こしている.もしこの傾向が進むと、21世紀には人口増加が予測されているアジアの大河流域の水資源が不足するであろう.

そのために、合理的な対策を打つことが重要で、放牧地や山火事の拡大を防ぎ、地球温暖化対策とも協調して水位上昇を押さえることである.地球温暖化は琵琶湖流域の降雪水量および、琵琶湖深層水の溶存酸素濃度を著しく減少させるため、琵琶湖の富栄養化がさらに促進する可能性がある.21世紀の急激な人口増加が基本的な環境課題になるアジアの湖と水資源はきわめて危機的な状態になるといえる.

 

4-5) Title: Effects of Climate Warming on Asian Lakes from the Perspective of Water Resources

By Hiroji Fushimi

Introduction

Asia boasts numerous lakes in its inland mountainous regions and coastal lowlands, serving as the sources for mighty rivers such as the Yellow, Yangtze, Mekong, Ganges, and Indus, which flow downstream to densely populated urban centers. Initially, in the early stages of global warming, the melting of glaciers and permafrost layers leads to a rise in lake water levels. However, as global warming progresses, the shrinkage of glaciers and permafrost layers results in water resource shortages. These shortages can precipitate serious environmental issues in Asia, particularly during dry seasons when water resources become scarce. Therefore, this report aims to elucidate the effects of global warming on Asian lakes and water resources in the 21st century.

Section 4-5-1: Lakes in the Himalayas and Tibetan Plateau

Global warming has induced significant fluctuations in glaciers and lakes in the Nepal Himalayas, heightening the risk of natural disasters such as glacial outburst floods and associated landslides. Establishing a new management system is imperative to ensure the rational use of water resources in light of recent changes in glacial and limnological phenomena. The Himalayas and Tibetan Plateau are anticipated to experience water shortages from glacier-fed sources due to diminishing ice bodies. This decline in glacial meltwater is likely to exacerbate droughts in regions reliant on water resources from glaciers and permafrost layers, especially during dry seasons. In the Tibetan Plateau, freshwater lakes continue to form in current glacial areas where substantial meltwater is supplied. Additionally, the formation of salt lakes persists in the inner parts of the plateau, accelerated by evaporation-induced condensation, leading to elevated salinity levels. Lake Qinghai is currently undergoing this process, aggravated by anthropogenic water usage for agricultural purposes. Consequently, prudent water management, particularly during dry seasons, will be crucial in these regions amid the anticipated further warming in the 21st century.

Section 4-5-2: Lake Hovsgol in Mongolia

Over the past 20 years, the water level of Lake Hovsgol in Mongolia has risen by 60cm, resulting in annual inundation of surrounding forests, pastures, and lakeside towns. Three primary causes contribute to this rise: the natural dam formation at the lake’s southern end due to sedimentation from tributary rivers during heavy rainfall, permafrost thawing around the lake attributed to increased ground temperatures from deforestation for pasture expansion and forest fires caused by human activities, and permafrost thawing due to global warming. In the short term, dredging the natural dam could mitigate inundation, potentially lowering water levels by 30cm with the removal of 500m3 of sediment. Mid-term measures should focus on improving anthropogenic land use to prevent further pasture expansion and forest fires. In the long term, addressing global warming through international cooperation and monitoring environmental changes in Lake Hovsgol is essential.

Section 4-5-3: Lake Biwa in Japan

Projections suggest that average air temperatures will increase by 1.5 to 3.5 degrees Celsius by the 2030s. With a 1.5-degree Celsius increase, snow cover in the Lake Biwa basin is unlikely to exceed 1 billion tons, the average amount, unless precipitation increases by more than 20%. A 3.5-degree Celsius increase would significantly reduce snow cover to 0.6 billion tons, even with a 20% precipitation increase. Snowmelt contributes oxygen-rich water to Lake Biwa, increasing dissolved oxygen concentrations in its deep layers. However, reduced snow cover due to global warming will lower dissolved oxygen concentrations, exacerbating eutrophication in the lake.

Section 4-5-4: Concluding Remarks

The ongoing melting of glaciers and permafrost in Asia’s inland mountainous regions due to global warming has led to the occasional collapse of enlarged lakes, causing glacial lake outburst floods. Continued trends could result in water resource shortages in Asia’s major river basins, exacerbated by rapid population growth in the 21st century. Rational countermeasures, including improved anthropogenic land use and international cooperation to address global warming, are crucial. The vulnerability of Asian lakes and water resources in the face of rapid population growth underscores the pressing environmental challenges of the 21st century.

 

5) 国際山岳博物館の学芸員

下記はJICAのシニア・ボランティアーとしてネパールの国際山岳博物館の学芸員をしていた2010年の「JICA News Letter Vol. 58」に掲載された記事である.

5-1) As a JICA Senior Volunteer

Advocating Environmental Awareness

JICA News Letter Vol. 58、 2010

Dr. Hiroji Fushimi (PhD) saw Nepal for the first time in 1965. He recalls those days when the Kathmandu valley breathed fresh crisp air and the sight of towering White Mountains and lustrous green hills as well as various species of fishes in the clear Bagmati River simply took your breath away. However these days、 the mountains and hills are hidden by thick pollution and choking dust and in the name of Bagmati are the waste、 stench and filth. Fushimi reminds us to seriously think about the causes and dangerous effects of this environmental deterioration.

It was only towards the end of the 1980s that people started understanding the impending perils posed by the phenomenon of global warming. Dr. Hiroji Fushimi dedicated his life to studying and researching the Himalayan Glaciers. The journey started in the 1970s and despite his retirement as a University Professor of Environmental Science in Japan、 he continued to pursue his interest in the glaciers until an opportunity arrived for him to come back to Nepal again. “I befriended many Nepalis during my visits to Nepal. They offered me tremendous help and hospitality and I wanted to give something back to them.” With this noble thought in his mind、 he grabbed the opportunity of coming to Nepal as a Senior Volunteer through JICA and applied as a curator of International Mountain Museum (IMM) in Pokhara.

International Mountain Museum in Pokhara gets about 1-lakh visitors annually and more than 50 percent of them are students from all over Nepal. Dr. Fushimi prepared a corner section in the Museum dedicated to showing the changes of Himalayan Environment、 Glacial Lakes、 Glacial Lake Outburst Flood (GLOF)、 Global Warming and the problems created out of it. He believes the neat and comprehensive pictorial display makes visitors easily understand the process and effects of global warming. Dr. Fushimi wants all the Nepalis especially the younger impressionable minds to be aware of the fact that Nepal’s environment is also changing rapidly and its effects on the future of the country. He explains、 “People are exhausting natural resources、 fuel produces smoke and thus pollution occurs. We cannot see the Himalayas due to our own actions. Bringing about awareness at the right time is vital for Nepal’s future.” He assures that this is not just Nepal’s but the entire world’s responsibility.

Dr. Fushimi has organized various eco-tours in Pokhara、 Annapurna Base Camp、 Mt. Manaslu region、 Mt. Everest region、 etc. Having already visited many villages in the Himalayan region、 He believes that the changing nature or environment of a village can be known better by no other than the villagers themselves. He takes the example of Imja Glacial Lake in Khumbu. Claimed to be potentially dangerous、 the locals had no alternatives but to build their own hospital and schools as the Government refused to distribute budget to a place that is on a Danger Risk Zone. He personally opines that the Imja Lake is not as dangerous as other glacial lakes and does not pose any immediate threat. With his years of experience、 he believes that glacial lakes that cause floods have different features or characteristics. He emphasizes about the importance of locals studying the gradual changes occurring in their surroundings. He adds that they have to trust their own instinct and observations instead of relying blindly on foreign resources or surveys. Coming back to the Imja Lake、 he said、 “My term is almost over therefore my successor’s task will be to figure out the actual risk posed by this lake. The villagers should play a pivotal role in this as only they can give an actual data on the changes that are taking effectsthrough the years.”

Dr. Fushimi had his shares of challenges and difficulties. He said、 “Nepal is constantly changing in a rapid manner. Things were calmer back in those days both in Nepal as well as in Japan. These days、 people lead a very busy life、 perhaps、 too busy for my taste. Nepal is heavily affected by its fast developing giant neighbors. The bubble growth、 fast lifestyle、 and a decade long conflict-all these are changes、 whether good or bad、 that are occurring in Nepal.” Instead of dwelling on his individual contribution、 Dr. Fushimi likes to talk about contributions made in a collective manner by the JICA volunteers. He explained、 “We are sent to the rural places to offer support and share our skills. Every volunteer should have a close-knit relationship with the local people to see more substantial effects. I highly recommend the future volunteers to learn the language and mingle in with the community they are working in. I have made many valuable friends since I first came to Nepal. Some of these relationships are beyond mere friendship. It is important to have the right connection. These relationships and unforgettable treasured memories spent with them are some of the rewards I’m taking with me. I only hope for peace and prosperity for Nepal.”

Dr. Fushimi shared his future plans of wanting to make a picture database、 about 40、000 massive and valuable image collections of his research、 studies and trips including films. Determined and dedicated、 he is planning to donate it to the museum.

 

5-2) チャットGPTによる和訳

JICAシニアボランティアとして、環境意識の啓発に取り組んでいるDr. Hiroji Fushimi(博士)は、1965年に初めてネパールを訪れました。彼は、カトマンズの谷が新鮮でさわやかな空気で満たされ、そびえ立つ白い山々や輝く緑の丘、そして透明なバグマティ川に棲むさまざまな魚たちの姿が息をのむようであった日々を思い起こします。しかし、現在では、山や丘は濃い汚染と喉をつまらせるほどの塵で覆われ、バグマティという名の下には廃棄物や悪臭、汚物が広がっています。フシミは、この環境悪化の原因と危険な影響について真剣に考えるよう私たちに促しています。

1980年代末になって初めて、人々が地球温暖化現象によって引き起こされる迫り来る危機を理解し始めました。フシミは、ヒマラヤの氷河に関する研究に生涯を捧げました。その旅は1970年代に始まり、日本の環境科学の大学教授として引退した後も、再びネパールに戻る機会が訪れるまで氷河に対する彼の興味は続きました。「私はネパールへの訪問中に多くのネパール人と友達になりました。彼らは私に多大な助けとおもてなしをしてくれ、私も何か恩返しをしたいと思いました。」という高潔な考えを心に留め、彼はJICAを通じてシニアボランティアとしてネパールに戻る機会を得て、ポカラの国際山岳博物館(IMM)のキュレーターとして応募しました。

ポカラの国際山岳博物館は年間約10万人の来場者があり、その50%以上がネパール全土からの学生です。フシミは、ヒマラヤの環境の変化、氷河湖、氷河湖決壊洪水(GLOF)、地球温暖化およびそれによって引き起こされる問題を示すための博物館のコーナーセクションを準備しました。彼は、整然とした包括的な画像の展示が訪問者が地球温暖化のプロセスと影響を容易に理解するのに役立つと信じています。フシミは、特に若い影響を受けやすいネパール人全般に、ネパールの環境が急速に変化しており、それが国の将来に与える影響を認識することの重要性を訴えます。「人々は自然資源を枯渇させ、燃料は煙を出し、それによって汚染が起こります。私たちは自分たちの行動のためにヒマラヤを見えにくくしています。適切な時期に意識を高めることは、ネパールの将来にとって不可欠です。」とフシミは説明します。これはネパールだけでなく、世界全体の責任であると確信しています。

フシミは、ポカラ、アンナプルナベースキャンプ、マナスル山地域、エベレスト山地域などでさまざまなエコツアーを企画しました。ヒマラヤ地域の多くの村を訪れてきた彼は、村の自然や環境の変化をよりよく知ることができるのは村人自身以外にはいないと考えています。彼は、クンブのイムジャ氷河湖の例を挙げます。この湖は潜在的に危険だと言われていますが、地元の人々は政府が危険リスク地域に予算を配分しなかったため、独自の病院や学校を建設しなければならない状況でした。彼は個人的に、イムジャ湖は他の氷河湖ほど危険ではなく、直ちに脅威を与えるものではないと考えています。彼の長年の経験から、洪水を引き起こす氷河湖には異なる特徴や特性があると信じています。フシミは地元の人々が自分たちの周囲で起こるゆっくりとした変化を学ぶことの重要性を強調しました。外国の資源や調査に盲目的に頼るのではなく、自分たちの直感や観察を信頼する必要があると強調します。イムジャ湖に戻ってフシミは言いました、「私の任期はもうすぐ終わりますので、後任者の課題はこの湖が実際にどれだけのリスクをもたらすかを把握することです。村人はその中で中心的な役割を果たすべきであり、彼らだけが数年を経て起こる変化の実際のデータを提供できるからです。」

フシミは多くの困難や挑戦に直面しました。フシミは、「ネパールは急速に変化しています。かつてはネパールと日本の両方で静かでしたが、今日では人々は非常に忙しい生活を送っています。ネパールは急速に発展する巨大な隣国の影響を強く受けています。バブルの成長、速いライフスタイル、そして10年間の紛争-これらすべてが、ネパールで起こっている変化です。」と述べました。個々の貢献にこだわる代わりに、フシミは、JICAのボランティアたちによる集合的な貢献について話すのが好きです。「私たちは地方に派遣され、支援を提供し、スキルを共有するために送られます。すべてのボランティアは地元の人々と密接な関係を築き、より実質的な影響を見るためには必要です。将来のボランティアには、自分が働いているコミュニティで言語を学び、交流することを強く勧めます。私は初めてネパールに来て以来、多くの貴重な友人を作りました。これらの関係のいくつかは単なる友情以上のものです。適切な接続を持つことが重要です。これらの関係と彼らと過ごした忘れられない思い出は、私が持つことができた宝の一部です。私はネパールに平和と繁栄を願っています。」と説明しました。

フシミは、研究、学習、映画を含む彼の約40,000点の膨大で貴重な画像コレクションの写真データベース(注5)を作成したいという将来の計画を立てています。決意と献身に満ちたフシミは、それを博物館に寄付する、と考えています。

(注5).

ギャラリー

ギャラリー

伏見のギャラリー  44318枚

https://glacierworld.net/gallery/

吉田克人カンチェンを行く  87枚

https://glacierworld.net/Khanchenjunga2016/

伏見の東南アジア歴訪  977枚

https://glacierworld.net/SE%20Asia/

 

6) むすび

ネパールでもモンゴルでも、氷河と永久凍土の融解で湖沼の拡大期を迎え、大きくなりすぎた湖沼の決壊・洪水や、また湖岸集落や森林の水没による災害が ひきおこされている。このことは、現在は水資源が豊富な時代に思えるのだが、将来は氷河や永久凍土の減少で、水資源の乏しくなることを肝に銘じなければな らない。すでにチベット内陸部に現れているような湖沼縮小・塩湖化現象が、今世紀中頃にはヒマラヤ山脈・チベット~モンゴル高原全域におよぶ可能性がある。氷河や永久凍土、つまり固体としての淡水資源が地球温暖化で融け、枯渇するからである。アジアの大河川はこれらの地域を水源とするので、1年の大半をしめる乾期の河川水量は減少し、すでに黄河で現れているような断流現象が、アジアの各大河川にまでおよぶと、著しい人口増加が見込まれる南アジアに深刻な 環境課題をひきおこす。

モンゴルのフブスグル湖の現地調査で述べたように、環境課題の原因がわかると、対策がはっきりする。まず短期的には、自然のダムを取り除くことである。1980年代初めのような浚渫を実施すれば、水位を30cm低下させることができる。ただし、かつての社会主義時代は人海戦術のような土木工事が容易にできたが、自由社会 となった今はなかなかできないようだ。次に、中期的な対策としては、森林保全のための土地利用の改善で、住民への環境教育が重要になる。

ネパールやモンゴルでもそれぞれの地域の地元環境は、「地球全体のことを考えて地域で行動せよ、という「Think globally, act locally.」標語が1980年代から登場しているが、地元のわれわれにとっては、まず「Act locally. think globally.」なのではないか、と考えてそれぞれの海外調査を行ってきた。その結果、地元の環境課題の原因がわかると、対策の方向性が明らかになり、その課題解決のために地元民との協力が欠かせないことを学んだ。いわゆる、国際協力である。

では最後に、国際協力の一環として行った、2015~2017年の3年間、毎年春3か月をカトマンズ大学で講義を行った(注6―1)。2015年の講義期間中にはネパール大地震を経験したが、それも懐かしい思い出だ。講義で接した学生たちの何人かはネパール内とともに、今では国際的にも活躍している(注6―2)のはうれしい限りである。講義の中心テーマは「ネパールヒマラヤの環境変化」で、干場悟さんに作っていただいたペーパーレスのホームページ(注6-3)を用いて、講義ではネパールでの現地調査の結果を中心に紹介するとともに、できるだけ参考文献を示すことにした。

カトマンズ大学のリジャンさん(前列中央左)と教室の皆さん

(注6―1)

カトマンズ大学での講義の思い出

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/07/blog-post.html

(注6―2)

カトマンズ大学での講義の思い出(2)

https://hyougaosasoi.blogspot.com/2023/08/blog-post.html

(注6-3)

Kathmandu University (KU) Lecture 2015-2017

https://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/

Environmental Changes of the Nepal Himalaya

1)  Introduction

1-1. Personal history of my student era

1-2. Student’s research activities in Nepal Himalaya

1-3. Activity of the international cooperation

2)  Philosophy of Nature

2-1. The present is the key to the past.

2-2. Academic Fields

2-3. Environmental Preservation

2-4. Earth History and Great Mobile Belt

2-5. Glacial History of the Himalayas

3)  Environmental Issue

3-1. Glacial Phenomena

3-2. Machapuchari Studies

3-3. Eco-tour

3-4. Summary and Concluding Remarks