グリーンランドの雪―1970年代の温暖化兆候―

1) はじめにー海外調査のあり方―

北海道大学低温科学研究所の杉山慎氏のグループが、5月25日夜のNHKテレビで、温暖化によるグリーンランド北部地域の氷河の融解による洪水や生態系の変化、とくに氷河末端が海に接している場合は氷河底から栄養塩を含んだ融解水が海水全体を循環させるので、海のプランクトンが増殖し、捕食者の魚や海獣とともに海鳥などの生態系が活性化するという現地調査からの視点(資料1)には感心した。従って、氷河末端が温暖化で融解・後退し、海から陸地へと縮小すると、前記の生態系を活性化させる氷河の機能が弱まってしまうというのだ。まずは、杉山さんたちのグリーンランドでの現地調査が今後ともますます実り豊かになっていくことを期待したい。さらに、杉山氏たちの研究手法が、グリーンランド最北の村シオラパルクに住み着いて半世紀以上にもなる大島育雄氏の息女であるトク・オオシマさんたちの現地住民の協力によって行われた現地密着型の研究手法が報告されたので、私たちがネパール・ヒマラヤの氷河で行ってきた共同研究や現地での博物館・講義活動などとの共通性(資料2)が感じられるとともに、1963~1965年の氷島アーリス2号での北極海調査に参加したことや1978年の植村直己氏の犬橇旅行によるグリーンランド初縦断時に観測した積雪や雪結晶の資料を解析したことを懐かしく思いださせてくれた。ところが、上記の大島氏は、「植村氏の犬橇旅行は現在のグリーンランドでは考えられない」と述べている(資料3)のだ。そこで、植村氏の調査結果を改めて温暖化の観点から考察し、1970年代にはグリーンランドの温暖化がすでに起こっていたことが認められたので、「グリーンランドの雪―1970年代の温暖化兆候―」と題して報告する。

今回の内容
1) はじめにー海外調査のあり方―
2) グリーンランドの雪―1970年代の温暖化兆候―
3) まとめー今では不可能な犬橇の旅ー
4) 付記ーグリーンランドは誰のものかー

資料1
サイエンスZERO「先住民と探れ!気候変動の最前線 北極圏」
[Eテレ] 2025/05/25 23:30-24:00
資料2
ハージュン物語ー現地調査の新たな展開に向けてー
https://glacierworld.net/home/lhajung-story-development/
ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出
https://glacierworld.net/travel/recollection/memory-of-gen-01/
安藤さんの事業集大成は「国際山岳博物館」
https://glacierworld.net/travel/aach-memorandum/aach10-andoh/
Kathmandu University Lecture
―Environmental Changes of the Nepal Himalaya―
https://environmentalchangesofthenepalhimalaya.weebly.com/
最終講義の報告
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/nepal2016/nepal2016_08final-from-ku/
さらば!カトマンズ大学、そしてガウリシャンカール峰
https://glacierworld.net/travel/nepal-travel/2017-2/conclusion/
カトマンズ大学での講義の思い出(1)
https://glacierworld.net/travel/recollection/memory-for-ktm-university-lecture/
カトマンズ大学での講義の思い出(2)
https://glacierworld.net/travel/recollection/memory-of-kathmandu-university2/
ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出
https://glacierworld.net/travel/recollection/memory-of-gen-01/
ネパール・ヒマラヤ氷河調査隊(GEN)50周年の思い出(2)
https://glacierworld.net/travel/recollection/memory-of-gen02/
国際協力と海外調査について -ネパールとモンゴルでの経験に学ぶ-
https://glacierworld.net/travel/recollection/international-relationship-nepal-and-mongol/
資料3
大島育雄
今では不可能な犬橇の旅
https://books.bunshun.jp/articles/-/2307

図1 (左)グリーンランドの位置;赤線は1978年の植村直己氏の犬橇探検のルート、緑線は1963~65年の氷島アーリス2号の北極海から北大西洋への漂流ルート;(中)は植村氏の文芸春秋社版「北極点グリーンランド単独行」の表紙;(右)は名古屋大学博物館の植村氏の展示コーナー。

図1 (左)グリーンランドの位置;赤線は1978年の植村直己氏の犬橇探検のルート、緑線は1963~65年の氷島アーリス2号の北極海から北大西洋への漂流ルート;(中)は植村氏の文芸春秋社版「北極点グリーンランド単独行」の表紙;(右)は名古屋大学博物館の植村氏の展示コーナー。 

グリーンランドは世界最大の島だ。面積は216万6千平方キロ、日本のおよそ6倍。南北の長さは約2800km、ほぼ北海道から沖縄までの距離に匹敵する。植村直己氏は1978年4月29日に、エルズミア島から北極点到達をはたした後、グリーンランド北端のモーリスジェサップ岬を5月10日に出て、グリーンランド氷床の初縦断を8月22日に達成した。そして、「北極点グリーンランド単独行」(資料4;図1左の赤線と中)が刊行された。これまでの北極地域の探検・調査旅行とは異なり、単独行の植村は賛沢な調査体制はのぞめない。気温がー30度以下にもなる厳しい極地探検なので、軽量化した器材を携行し、積雪と雪結晶およびエアロゾルの観測を行ったが、「北極点までの旅では、それどころではなく、十分にできなかったが、グリーンランドでは、できるだけ忠実に行いたい」と5月15日の日記(資料4)で述べている。そして極地探検の後、植村氏は名古屋大学水圏科学研究所樋口研究室の研究生になり、資料の解析を行い、その結果は日本山岳会の機関誌「山岳」に掲載されている(資料4)とともに、グリーンランド氷床の縦断中に観測した積雪と雪結晶の解析結果の一部は名古屋大学博物館に展示されている(図1右)。
ところで僕は、北極域ルートでヨーロッパに行った時、グリーンランド氷床を上空から眺めただけで、グリーンランドには行ったことがない。しかし、1963年11月から1965年5月まで、氷島アーリス2号の北極海調査(写真1左の緑の線)に参加し、氷島アーリス2号の漂流経路が北緯87度53.1分、西経76度38分の北極点近くを過ぎると、補給基地のアラスカのバローから遠くなり、DC3の小型機では補給が困難になったため、グリーンランド北部のチューレの米軍基地(4章参照;第1図左)からC130の大型機が氷島アーリス2号まで飛んできて、食料などを補給してくれるようになった。そこで、グリーンランドとのつながりができた。アーリス2号の漂流経路が北極海から北大西洋のグリーンランドの東岸沿いに南下し、アイスランド近くまで漂流したので、グリーンランド東岸を漂流中、氷島アーリス2号の観測塔に登り、グリーンランドを眺めようとしたが、かなわなかったことも、懐かしい思い出である。1978年の植村氏の犬橇探検当時、ぼくは樋口研究室にいたので、植村氏の貴重な資料を共同で解析し、グリーンランドが一層身近になった。
資料4
植村直己 1978 北極点グリーンランド単独行. 文芸春秋社, 261pp.
伏見碩ニ・植村直己・樋口敬二・池上宏一 1979 北極点・グリーンランド犬橇単独行における学術調査. 山岳, Vol.74, 1-21.
https://jac.or.jp/sangakuhensyuu/1979optimisation.pdf#page=9

2) グリーンランドの雪―1970年代の温暖化兆候―

2-1) 氷床表面の積雪

グリーンランド氷床を1952年と1954年に調査したベンソン氏(資料5)は、氷床をおおう積雪中の水の状態によって、乾燥相・失水相・湿潤相・消耗相の4つの積雪層に区別し、これらの積雪層の状態の地域分布が、気象条件と関連があることを示した。積雪層の状態は、ソリ旅行にも大きく影響し、植村氏は、北極海の乾燥相の積雪地域で、「ー34度、気温が低いので橇のランナーの滑りが悪い。雪にランナーが食いこみ、砂の上を走るように橇が重く感じられる」と述べている。同様な乾燥相の積雪による橇の滑りにくさを、グリーンランド氷床北部地域でも植村氏は経験している。
ベンソン氏は、グリーンランド氷床上の積雪状態のうち、乾燥相(水を含まない積雪層)がグリーンランド中央部から北部にわたり分布していることを報告している(図2右)が、植村氏の報告によると、北緯72~73度以北では、午後に気温の上昇があり、積雪表面が部分的に湿雪となる現象がみられたが、一般的には積雪は乾燥し、堅い板状となっており、このことがソリ犬の足裏の皮をすり減らす原因となった、と述べている。寒冷・乾燥気候を示す乾燥相の積雪地域のグリーンランド北部でも午後になると気温上昇で湿雪化していた。ベンソン氏の示した広域的な積雪状態の分布図では、この乾燥相の西経40度ラインでの南限は、北緯70度付近となっており、植村氏の観察した乾燥相の南限である北緯73度付近とは距離にして300キロほどの違いがある(図2右)。本調査期間は、グリーンランド氷床上での最暖月にあたり、乾燥相の積雪分布がもっとも縮小する期間にあたるので、季節変動のおよばない通年にわたる積雪状態の分布を観察するには、良い時季であったといえる。
グリーンランド氷床の最高部は、北緯71度、西経38度付近にあり、その高度は3000mをこえる。植村氏は、7月12日に縦断ルート上での最高点3230mを、北緯72度、西経40度付近で通過している。積雪状態からみると、もっとも内陸的な性質をもつ乾燥相の積雪の分布は、グリーンランド氷床の最高点を中心として分布せず、広域的にみると、この最高点から北部グリーンランドにかけての北面に分布する。これは北大西洋からの温かい気団の進入が、グリーンランド氷床の南面には及ぶが、氷床の分水嶺にさえぎられて、グリーンランド氷床の北部地域には達しないため、この氷床北部地域が寒冷・乾燥化しているためと考えられる。グリーンランド氷床上の積雪の年間堆積量分布をみると、この乾燥相の積雪分布と堆積量の少ない地域とがともにグリーンランド北部にみられる。グリーンランド氷床上での最低気温は、6月22日、北緯76.5度、西経30度付近で観測され、ー26度であった。この地域は、乾燥相の積雪分布のほぼ中央にあたっている。この乾燥相の積雪地帯で、橇の走行中、雪面が突然10センチほど沈下することを経験した。これは、積雪層中にできた空隙のある霜ザラメ層が、橇などの重量で破壊されたために、積雪表面が沈下したものと解釈できる。
また、この地域で積雪の砂丘(デューン)状の堆積構造が東西方向に伸びていることは、グリーンランド氷床北部にみられる西方からの卓越風によるものと考えられる。グリーンランド氷床上の風向の地域性をみると、中央部の氷床最高点付近で、南北の斜面方向の風が観測されたが、北部と南部グリーンランド氷床の大部分の地域は、西風が卓越する。このことは、南極氷床でみられるような大規模な斜面下降風は、氷床最高点付近では認められたが、8月のグリーンランド氷床上では広域的に発達していないことを示している。グリーンランド氷床の最高点から南部では、積雪は水を含んだ失水相となり、植村氏が「湿りだした雪が犬の足の裏にくっつき、ゲタの歯が雪を噛んでだんだん大きな玉になってゆくように、重そうなダンゴになる。犬たちは走りにくいので、口で噛みきろうとする。それを走りながら急いでやろうとするから、くり返すうちに毛までむしれ、血が出てきている」と述べているように、堅い乾雪や低温下の積雪のみならず、湿雪もまた犬橇旅行の障害となった。
北緯61度39分、西経44度15分にあるグリーンランド氷床最南端近くのヌナタック付近より低地の積雪は湿潤相となり、部分的に池や川がみられるようになる。そして、植村氏は「この先はナルサスワックに下るコルプックセルミア氷河である。この氷河は、無数のヒドン・クレバスがひそんでいる。夏の雪どけの時期に犬橇で通過するのは、ほとんど不可能といっていい」と述べているように、グリーンランド氷床上の乾燥相から湿潤相の積雪状態を観察したグリーンランドを縦断する犬橇旅行を終えた。
以上の植村氏の積雪観測の結果からまず指摘しておきたいのは、ベンソン氏(1962)から植村氏(1978)の調査期間の16年間で、乾燥相の南限が、つまり、寒冷・乾燥気候を示す乾燥相の積雪地域が300キロほど北進したことである。年平均約20キロの速度で乾燥層の積雪地域が縮小し続けていけば、植村氏の調査から半世紀ほど経た現在では、グリーンランド氷床の乾燥層の積雪地域は消滅し、氷床全体が湿潤相の積雪に変化している可能性がある。このことを逆の言い方をすると、1060年代のベンソン氏と氷島アーリス2号での北極海調査当時は「氷河時代がやってくる」(資料5)と言われていたほどの寒冷期ではあったが、寒冷・乾燥気候を示す乾燥相の積雪地域のグリーンランド北部でも午後になると気温上昇で湿雪化していたことや広域的な湿雪相の積雪地域が拡大していたことなどを観測した1978年の植村氏の積雪観測の結果から、グリーンランド氷床の温暖化の兆候を1970年代に認めることができる。

図2 (左) グリーンランド氷床における調査行程図;(右) グリーンランド氷床上の積雪の分布状態で、点線(‐---)によって囲まれた地域がベンソン(1962)による乾燥相の積雪分布、鎖線(--一)は植村(1978)によって観測された乾燥相の積雪の分布範囲を示す。△は雪結晶観測地点で、図3左の三角印1に相当する。

図2 (左) グリーンランド氷床における調査行程図;(右) グリーンランド氷床上の積雪の分布状態で、点線(‐—)によって囲まれた地域がベンソン(1962)による乾燥相の積雪分布、鎖線(--一)は植村(1978)によって観測された乾燥相の積雪の分布範囲を示す。△は雪結晶観測地点で、図3左の三角印1に相当する。

資料5
Benson, C.S. 1962 Stratigraphic studies in the snow and firn of the Greenland ice sheet. U.S.Army Snow Ice and Permafrost Research Establishment, Research Report, 70, 93pp.
根本順吉 1973 氷河期へ向う地球. 風濤社, 222 pp.

2-2) 降雪の結晶

植村氏によって採集された雪の結晶型は、中谷宇吉郎氏の分類法(資料6)によると、樹枝状六花、角板、つづみ型(角柱と角板の複合したもの)、平板付砲弾(砲弾と角板の複合したもの)などであった。1978年6月20日、グリーンランド氷床北部北緯77度11分、西経38度11分、高度2350mの地点で、01:00GMT(注)に観測されたつづみ型と角板型の雪結晶のレプリカによる写真をAーlとAー2に、また同日14:00GMTに観測された樹枝状六花をBー1とBー2に示す(図3)。01:00GMTの天気状況はー8度、層雲、雲量10、視程4kmで、また14:00GMTはー10度、層雲、視程7kmで薄日がさしていた。
(注)
GMTとはGreenwich Mean Timeの略で、グリニッジ平均時、グリニッジ標準時などと訳されます。これは、イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線(経度0度)を基準とした時間です。主に、国際的な時刻の基準として使われています。
中谷氏の人工雪の研究(資料6)によると、樹枝状結晶ができる気温条件は、ー14~ー17度である。樹枝状結晶がみられた時の気温は、ー10度であったので、気温減率を100mごとにー0.7度(観測地点の高度に相当する750mbにおけるー10度とー15度の湿潤断熱減率の平均値)とすると、この時、樹枝状結晶の形成される雲頂高度は、観測地点の上空600m~1000m、つまり高度2950m~3350mとなる。写真の樹枝状結晶には過冷却水滴が凍りついた雲粒付結晶がみられないので、この時の層雲は雪の結晶だけからなっていたと考えられ、その雲頂高度は、樹枝状結晶のできた上限高度3350mに相当すると考えられる。中谷氏の実験によってー14度からー17度の間では,樹枝状結晶のできる条件のほうが、角板や角柱などからなるつづみ型や平板付砲弾型結晶の条件にくらべ、氷についての飽和度が高いことが示されている。01:00GMTと14:00GMTの氷床上の気温変化は、2度であり、雪が形成された上空の気温にも大きな変化がないものとすると、積雪の分布状態からみると、もっとも内陸的な性質をもつ乾燥相の積雪が分布するグリーンランド氷床の最高点周辺であっても、北大西洋からの温かい気団の進入によって、6月20日の約3000m上空の気象状態は、乾燥から湿潤に変化したものと解釈できた。つまり、積雪相の特徴からみてグリーンランド氷床北部の寒冷・乾燥気候を示す乾雪相の積雪地域であっても、角柱と樹枝状結晶が半日ほどの時間差で同一場所で観測されたことは、積雪の分布状態からみて、もっとも内陸的な性質をもつ乾燥相の積雪が分布するグリーンランド氷床の最高点周辺であっても、北大西洋からの温かい気団が進入してきていると解釈できるので、グリーンランド氷床の温暖化の兆候が1970年後半には認められた積雪観測の結果と矛盾しない、と考えられる。
7月16日(図3左の三角印2)、19:00GMT(北緯71度22.4分、西経41度42.9分、高度2900m)と、7月30日(図3左の三角印3)、20:00GMT(北緯67度24.8分、西経44度36.7分、高度2300m)の観測では、ともに気温ー2度、積雲がみられ、そして図3右と同様な樹枝状結晶が観測された。上記と同様な方法でこの時の雲頂高度を求めると、前者は5000m、後者は4400mとなり、グリーンランド氷床南部であっても7月の積雲対流が約5000mほどまでしか達していないことを示している。中緯度に位置する日本では、7月になると積雲対流はしばしば10000mにも達することと比較すると、北極圏のグリーンランド氷床南部では、はるかに低い値となっていたが、温暖化が進行する現在のグリーンランドでは積雲対流が活発になって、樹枝状結晶の形成される雲頂高度はさらに高くなっていることであろう。
資料6
Nakaya, U. 1954 Snow crystals, natural and artificial. Harvard University Press, 510pp.

図3 (左)グリーンランド氷床におけるレプリカによる雪結晶の観測点と(右)レプリカによる雪結晶(左図の三角印1が右図のレプリカによる雪結晶の観測地点)

図3 (左)グリーンランド氷床におけるレプリカによる雪結晶の観測点と(右)レプリカによる雪結晶(左図の三角印1が右図のレプリカによる雪結晶の観測地点)

3) まとめー今では不可能な犬橇の旅ー

植村氏の積雪観測の結果で重要なことは、ベンソン氏(1962)に引き続き、植村氏(1978)が観測するまでの16年間で、グリーンランド氷床の寒冷・乾燥気候を示す乾雪相の積雪地域の広域的な分布が300キロほど北進したことである。年平均約20キロの速度で寒冷・乾燥相の積雪地域が縮小、つまり温暖・湿潤相の積雪地域が拡大していた。この状況が続けば、植村氏の調査から半世紀を経た現在では、グリーンランド氷床の乾燥層の積雪地域はすでに消滅し、湿潤相に置き換わっている可能性がある。このことを逆の言い方をすると、1960年代のベンソン氏と氷島アーリス2号での北極海の調査当時は「氷河時代がやってくる」(資料5)と言われていたほどの寒冷期ではあったが、1978年の植村氏の積雪観測の結果から、すでに1970年代には、寒冷・乾燥気候を示す乾燥相の積雪地域のグリーンランド北部でも午後になると気温上昇で湿雪化していたという局所的な分布特性からも示唆されるように、グリーンランド氷床の温暖化の兆候が表れていたことを示す。
中谷氏の実験(資料6)によってー14度からー17度の間では,樹枝状結晶のできる条件のほうが、角板や角柱などからなるつづみ型や平板付砲弾型結晶の条件にくらべ、氷についての飽和度が高いことが示されている。6月20日の01:00GMTと14:00GMTの氷床上の気温変化は、2度であり、雪が形成された上空の気温にも大きな変化がないものとすると、北大西洋からの温かい気団の進入によって、6月20日の約3000m上空の気象状態は、乾燥から湿潤に変化したものと解釈できた。つまり、積雪相の特徴からみてグリーンランド氷床北部の寒冷・乾燥気候を示す乾雪相の積雪地域であっても、角柱と樹枝状結晶が半日ほどの時間差で同一場所で観測されたことは、積雪の分布状態からみて、もっとも内陸的な性質をもつ乾燥相の積雪が分布するグリーンランド氷床の最高地点周辺であっても、北大西洋からの温かい気団が温暖化に影響すると思われるのは、グリーンランド氷床の温暖化の兆候が1970年後半には認められた積雪観測の結果と矛盾しない。
グリーンランド最北の村シオラパルクに住み着いて半世紀以上にもなる大島育雄氏は、「シオラパルクは北緯78度。昭和南極基地(南緯69度)よりもさらに極点に近い地球最北の村だ。いわゆる温暖化のため、チューレ基地の少し先のサビシビックまですら、年に一週間程度しか氷が安定しないのです。ましてウパナビックの方では海面は流氷のままで、とても犬橇で行くことはできません。植村さんの頃には、十一月上旬から翌年七月近くまで犬橇が使えたものですが、現在ではクリスマス頃から翌年五月頃までしか利用できません」など(資料3)と述べているように、北極や南極およびヒマラヤなどの極地の温暖化は著しく、海氷地帯の海水面が拡大するとともに、南極をはじめ北極の陸氷地帯の融解が急速に進み、場所によっては緑化さえもが報告(資料7)されている北極地域では植村氏が行ってきたかつての輝かしい犬橇旅行は現在では困難になってきているのであろう。さすれば、植村氏は北極地域での犬橇旅行を達成するための好機に恵まれていた、とも言えるであろう。いみじくも、現地の環境変化を的確にとらえた大島氏の温暖化の指摘によって、1978年の植村氏の観測資料を改めて再検討したところ、当初は気付かなかった温暖化の兆候が1970年代のグリーンランド氷床に認められたのである。
資料7
大西洋の南北循環の停止と地球環境への影響
https://glacierworld.net/home/ecological-effect-of-atlantic-ocean-flow/
グリーンランドが、地球温暖化により「緑の国」になりつつある
2024/02/23
https://tabi-labo.com/308894/wt-greenland-ice-melting
「緑化」が進むグリーンランド、世界に多大な影響及ぼす可能性
2024/02/14
https://www.cnn.co.jp/fringe/35215224.html
加速する南極の緑化、宇宙から衛星画像で確認 英研究
2024/10/05
https://www.cnn.co.jp/fringe/35224614.html
こんなにグリーンでいいの? 温暖化で南極の緑化が止まらない
2024/10/20
https://www.gizmodo.jp/2024/10/antarctica-isnt-supposed-to-be-this-green.html

4) 付記ーグリーンランドは誰のものかー

4-1) 安全保障面で注目

トランプ・アメリカ大統領が連日のニュースに登場している。あたかもトランプ劇場、連日公演のようだ。彼は「カナダを51番目の州に」などとの一方的な主張に続き、3月4日の施政方針演説で、資源に恵まれたデンマーク自治領グリーンランドについても「国際的な安全保障のために、手に入れることになる」と述べ、そのため軍事力の行使をも検討する可能性を示している(資料8)。しかしながら、当然なことではあるが、米国が武力行使や経済的圧力によってグリーンランドを奪取するという主張に対しては、デンマークとグリーンランドの地元民はともに断固として拒否している。トランプ氏の長男やアメリカ副大統領に続いて上川陽子前外相もグリーンランドを訪れ、マッツフェルト外相との会談では、日本で初となる北極域研究船「みらいⅡ」を国際的なプラットフォームとして活用することや観測データの共有などの可能性について確認した(資料8)そうだ。グリーンランドをはじめとする北極圏は、米国とロシアをはじめ、「氷のシルクロード」を提唱する中国が影響力を争い、キナ臭さを増している。アメリカとロシアの中間に位置するグリーンランドは、安全保障面で注目されている(資料8)。
資料8
「またトラ」と地球環境
https://glacierworld.net/home/trump-and-global-environment/
またトラ(2)―またトラからまだ*トラへの期待をこめてー
https://glacierworld.net/trump-again-agenda2/
またトラ(3)-トランプ氏の復帰直後の大統領令―
https://glacierworld.net/home/trump-again-vol3/
トランプ氏、グリーンランド領有に武力行使排除せず
2025/05/05
https://www.cnn.co.jp/usa/35232589.html
米が「領有宣言」グリーンランドは資源・安全保障の要衝
週刊エコノミスト Online
2025/04/08
https://mainichi.jp/premier/business/articles/20250405/biz/00m/020/020000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailyu&utm_content=20250408
中国が関心示す「氷のシルクロード」北極の未来、専門家はこうみる
2018/06/01
https://globe.asahi.com/article/11542171
グリーンランドは「売り物」? 上川前外相が現地で見たトランプ危機
毎日新聞 2025/05/15
https://mainichi.jp/articles/20250514/k00/00m/010/041000c?utm_source=article&utm_medium=email&utm_campaign=mailhiru&utm_content=20250515

4-2) チューレ空軍基地(Thule Air Base)

グリーンランドにアメリカ軍の基地が設置されたのは、1941年にデンマークがドイツに占領されたために、アメリカ軍がグリーンランドを保護したことによる(資料9)。第二次世界大戦中から戦後にかけて、チューレは気象観測基地となっており、小規模な滑走路などが設置されていた。1950年11月にチューレに爆撃機用の基地を設置する計画がアメリカ空軍で決定され、1951年6月にはグリーンランドがNATOの防衛担当地域となった。冷戦期において、ソ連とアメリカの最短経路は北極を経由するものであり、北極圏にあるグリーンランドは軍事的に重要な位置にあった(図1左)。つまり、ソ連を爆撃する爆撃機の発進・経由地として適した位置にあり、またソ連爆撃機の迎撃地点でもあった。1953年から1959年にかけては戦略航空軍団のB-36、B-47爆撃機、KC-97空中給油機などが配備され、1961年には弾道ミサイル早期警戒システム(BMEWS)のレーダーが設置されている。
1960年代前半がチューレが最も活発であった時期であり、配置された要員も1万人を超えていた。以降は、基地が縮小され、1968年には常駐人員が約3,370名となった。基地の管轄は、1952年1月には北東航空軍団(Northeast Air Command)であったが、1957年に戦略航空軍団(Strategic Air Commond)に、1960年に防空軍団(Air Defense Command)に移管され、1982年以降は空軍宇宙軍団(Air Force Space Command)の管轄となっている。現在の基地の主な任務は宇宙作戦軍団第12宇宙警戒中隊によるICBMなどの弾道ミサイル警戒任務および第23宇宙作戦中隊第1分遣隊により人工衛星の追跡・管制となっている。
資料9
チューレ空軍基地:
https://www.weblio.jp/content/チューレ空軍基地

4-3) グリーンランドの小史

イヌイットは、数千年前からグリーンランドに定住し、グリーンランドの自然環境に適応した独自の文化や技術を築き、北極圏での狩猟採集の生存を可能する生活を営んでいる(資料10)。現代でも、イヌイットはグリーンランドの主要な人口層であり、伝統的な文化や生活様式を維持しながら、社会の発展にも貢献している。
北極圏の探検は、すでに8世紀にアイスランドに住みついていたバイキングたちは、10世紀前後にはグリーンランドに渡り、その数9000人に達した(資料10)そうだ。バイキングたちはこの島をグリーンランドと呼び、”緑の島”という魅力的な名前によって人を呼びこもうという理由の他に、当時の気候は現在より暖かく、フィヨルド周辺には柳や樺の林があり、緑の牧草地があったといわれる。グリーンランドに入植したのはバイキングのノルウェー人であったが、14世紀末にノルウェーがデンマークと同君王国(カルマル同盟)となってからは、デンマークが当時の強国であったのでその領土となった。中世の北欧で勢力を誇ったバイキング(ノース人)はグリーンランドに進出し,農場を開拓し,セイウチを狩猟してその牙をヨーロッパ本土に輸出するなどして栄えたものの,これらの居留地が16世紀に放棄されたのは,セイウチの牙の貿易が世界情勢の変化によって衰退したことや,北方にいたチューレ族の侵入などのほか,気候が16世紀から寒冷になり、「小氷期」になったことによって衰退を招いたようだ。
イヌイットが数千年前から定住していたグリーンランドに入植したのは8世紀のノルウェー人であったが、14世紀末にノルウェーがデンマークと同君王国となってからは、デンマークが当時の強国であったので、グリーンランドはデンマーク領土となり、アメリカ軍がグリーンランド北部にチューレに基地を1941年に設けた歴史をみても、トランプ氏のグリーンランド領有の主張は一方的すぎるとともに、数千年前から定住していたイヌイットたちからみれば、デンマーク領有の根拠にも疑問がつくのではないか。
米国のバンス副大統領は3月28日、グリーンランドを訪れたが、地元住民は反発し、現地の指導層も歓迎しない意向を表明していたので、彼は南部の主要な町ヌークにはいくことができなかった。そこで彼は、北部のチューレの米軍基地に赴き、「我々は彼らが米国との連携を選択することを期待する。なぜなら我々こそ地球上で唯一、彼らの主権と安全保障を尊重する国だから。彼らの安全保障はほとんど我々自身の安全保障でもあるからだ」とこれまでで最も明確な形で米国によるグリーンランドの領有を主張した(資料11)そうだ。
グリーンランドの小史を振り返ってみると、数千年前から定住し、グリーンランドの自然環境に適応した独自の文化や技術を築き、北極圏での狩猟採集の生存を可能する生活を営んでいたイヌイットの世界に、8世紀にノルウェー人のバイキングが侵入し、14世紀末になるとデンマークがノルウェーに取って代わったが、16世紀からの小氷期でスカンジナビア人たちが撤退状態になっていたところ、第2次世界大戦中の1941年にデンマークがドイツによって占領されたため、アメリカ軍がグリーンランドのチューレに基地を設置した。その後、アメリカはソ連(ロシア)との冷戦期を通じてチューレのアメリカ軍の基地活動を拡大してきているが、そのチューレ基地を訪れた前述のバンス氏は、「グリーンランドの将来は地元の住民が自ら決定するべきだ」とも述べた、と一見本心かどうか疑わしいような報道(資料11)もされているのである。それならば、グリーンランドには大島育雄氏の息女であるトク・オオシマさんのようなハーフの人たちなどが多いようだが、やはり、現地に住む人たちの意志によってグリーンランドの将来を決めてもらうのが最もふさわしい、と考えるのは僕一人だけではあるまい。
資料10
Stefanson, V. 1962 Unsolved mysteries of the Arctic. Collier Books, New York, 320pp.
消えたグリーンランドのバイキング
https://www.nikkei-science.com/201709_082.html
デンマーク高官、トランプ氏は1期目よりも「はるかに本気」 グリーンランド購入めぐり
2025/01/09
https://www.cnn.co.jp/world/35228068.html
トランプ氏 グリーンランドめぐり“デンマークに高い関税も”
2025/01/08
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20250108/k10014687361000.html
トランプ氏がグリーンランド購入にこれほどの関心を寄せる理由
2025/01/08
https://www.cnn.co.jp/usa/35228060.html
資料11
バンス氏、デンマークのグリーンランド放置を非難 米国による領有を主張
2025/03/29
https://www.cnn.co.jp/usa/35231147.html

5) 謝辞

グリーンランド氷床の厳しい犬橇単独行時に積雪観測を行い、その貴重な資料を提供してくれた植村直己氏や、本ブログを書く動機づけを与えてくれた現地密着型の研究を推進している北海道大学低温科学研究所の杉山慎氏のグループの方々と、現地に住み着いて半世紀以上にもなり、現地の温暖化の環境変化を的確に指摘してくれ、当初は気づかなかった温暖化の兆候が1970年代のグリーンランド氷床に認められるきっかけになった大島育雄氏に感謝の意を表する。