鳥海山「貝形小氷河」,立山「御前沢氷河」と鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」の考察

(1)はじめに

「土屋巌氏の鳥海山“貝形小氷河”説を批評してほしい」と,そもそもなぜ,立山カルデラ砂防博物館の飯田肇さんがぼくに言ってきたのか,今もって良くは分からないのだが,とにかく,ぼくは土屋さんの大著「日本の万年雪-月山・鳥海山の雪氷現象1971~1998に関連して-」(文献1)を持っていなかったので,彼から送ってもらい,その書評を雪氷に発表した(文献2)のに加えて,樋口敬二先生の卒寿記念誌「敬雪時代―樋口敬二先生卒寿記念文集―」に「日本の氷河問題に関連して-鳥海山「貝形小氷河」説と立山「御前沢氷河」説-」(文献3)を書いているので,今回,日本の氷河問題に一石を投じた福井さん他(2012)の立山「御前沢氷河」説(文献4)と吉田さんの鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」説(文献5)を考察するために,それらを再検討し,はたして「日本に氷河はある,のか」を改めて考え直した.

(2)ネパール・ヒマラヤの氷河群と鳥海山「貝形小氷河」説の考察

土屋さんの大著は,月山や鳥海山の雪氷現象とそれに関連する日本の万年雪(雪渓)および世界の小規模な氷河に言及したものであるが,その主題は,従来の「万年雪」の認識に対して「氷河」とあえて銘打った鳥海山「貝形小氷河」なる著者長年の主張である.はたして,その「貝形」は氷河か雪渓かについては,かつての学会や比較氷河研究会の場で著者と議論したことを改めて思いだす.その際のぼくの主張は,次に述べるようなネパール・ヒマラヤの氷河群の観点からであった.
1970年代に作成したネパール・ヒマラヤのクンブ地域の氷河台帳 (文献6) には,クンブ氷河のチョモランマ(エベレスト)峰頂上近くの急な崖に分布する平衡線高度以上の氷体(氷河台帳番号EC210~250など)を(A)タイプとすると,1970年から継続調査しているギャジョ氷河(氷河台帳番号CB480)は数年ごとに前進と後退をくり返す典型的なカール氷河(文献7,8)で,涵養域と消耗域が明瞭に区分できるため,平衡線高度が氷体中に分布する(B)タイプだった.しかし,温暖化が顕著な1990年代になると,ギャジョ氷河全域が平衡線高度以下になり,著しい融解過程の進行にともない,上流部と下流部の氷体が分離し,ともに氷河流動が見られない「inactive」な氷体,つまり氷河から雪渓のような氷体になり,かつての氷河全面が平衡線高度以下の消耗域になった氷体(文献9)とともに,氷河下流部が膨大なデブリで覆われた一部の氷河では,末端部が「active」な氷河本体と分離した「inactive」な氷体(クンブ氷河台帳番号EC010,EB100,110,160,EE080など)が出現した(文献10)のである.このような氷河の縮小期に形成されたこれらの「inactive」な氷体が(C)タイプの氷体である.ところが,平衡線高度以下の消耗域に位置する氷体であっても,急峻な崖からの雪崩などによって雪氷と岩屑を大量に取りこみ,末端モレーンを前進させている氷体(クンブ氷河台帳番号EC340,360,400,410,430など)も認められた.これらはいわゆる岩石氷河の性質を合わせもつ平衡線高度以下の「active」な(D)タイプの氷体である.
以上のように,クンブ地域の氷体には,平衡線高度以上の(A)タイプ,平衡線高度が氷体中に位置する(B)タイプ,そして平衡線高度以下に位置する「inactive」な(C)タイプと「active」な(D)タイプがあり,これらの多様な氷体がネパール・ヒマラヤの氷河群を構成しているのである.このような氷河群の観点から見ると,土屋さんの鳥海山「貝形小氷河」は,日本の他の雪渓と同様,従来の「万年雪」の認識が示すように平衡線高度以下に位置する(C)タイプに分類されるが,もし日本に氷河があるとするならば,雪崩や落石による岩屑を多量にふくむとはいえ,やはり平衡線高度以下に位置する(D)タイプの岩石氷河のような,今西(文献11)が指摘する「低位置氷河」形成の可能性はあるのではないかということを本報告の命題である,はたして「日本に氷河はある,のか」のまず初めに指摘しておく.だがそのためには,下記のGlaciationの観点でも触れているように,その氷体が現在も「active」なのか,または「inactive」なのか,を見極めることも重要である.
それにしても印象的なのは,土屋さん(2000)の表紙カバー写真「鳥海山貝形小氷河とチョウカイアザミ」である.これが「貝形小氷河」なのか,と改めて凝視した.というのは,ぼく自身,1993年の雪氷学会新庄大会のとき瀬古勝基・大野宏之両氏とともに鳥海山に登り,この写真の「貝形小氷河」上部のみが,わずかな雪の塊として残っていたのを見ていたからである.その時の印象は「吹きだまり雪渓の残骸ではないか.これが“小氷河”なら,日本の雪渓のほとんどが小氷河になってしまう,であった.ネパール・ヒマラヤの氷河群の観点から判断すると,日本では平衡線高度が山頂高度以上なので,(A)タイプの氷体や典型的な氷河である(B)タイプのような氷体は認めがたいとともに,平衡線高度以下に位置する(D)タイプの岩石氷河ではないとするならば,(C)タイプのものとみなせる土屋さんの主張する「貝型小氷河」の解釈そのものにも疑問がある.しかしながら,土屋さんの大著は日本の雪渓・氷河問題を改めて考えさせてくれる労作ではあるが,若浜(文献12)や樋口(文献13)の氷河特有の現象からの指摘にもめげず,鳥海山「貝形小氷河」説を一貫して展開している姿勢には今さらながら恐れいる.

(3)立山「御前沢氷河」の考察

以上のように,土屋さんの「貝形小氷河」説に疑問を投げかけたのであるが,そもそもその書評をぼくに頼んできた飯田さんたちが,なぜ立山「御前沢氷河」説など(文献4)を提唱したのか,改めて興味をもたざるをえなかった.そこで,飯田さんたちが2014年10月10日に行った「御前沢氷河」の調査(文献14)に同行した.
2014年10月の御前沢氷河の規模は著しく縮小し,氷体下部の右岸と山腹との間の隙間が広がっていたので,そこから氷体の下に潜り込み,底部の氷の調査をすることができた.この調査のぼくの目的は氷河構造の観点から,「御前沢氷河」の底面付近に見られた層構造が,せん断応力による氷体流動で形成されたバブル・フォリエーション(葉理)構造に代表される氷河特有な現象なのか,それとも積雪が積み重なってできた雪渓に見られる年層構造なのかを調査することだった.というのは,バブル・フォリエーション構造なら氷体内部の変形を引き起こすせん断応力による氷河流動によって形成される構造であり,一方,年層なら積雪が積み重なった雪渓の堆積構造と解釈できるとともに,さらに地質屋の観点からみると,前者は流動現象によって動的に形成した変成岩,後者は積雪やフィルンの積雪が静的に形成した堆積岩に相当する違いがある,とみなせるからである.さらに結晶学的に言えば,氷河とは,上流涵養域の堆積岩(雪渓氷体)と下流消耗域の変成岩(氷河氷体)から成り立っているとともに,さらにGlaciationの観点からいえば,変成岩にたとえられる下流域の氷体が現在も氷河流動する「active」な(B)タイプの氷体なのか,あるいは膨大なデブリに覆われたクンブ氷河などのように下流末端域が停滞する「inactive」な(C)タイプの氷体(化石氷体)なのか,を見極めることが重要であることを指摘しておきたい(文献10).そもそも,ネパール・ヒマラヤの多様な氷河群をGlaciationの観点からみると,そこに(C)タイプの氷体が混在すること自体が氷河現象の衰退期,氷河縮小期の特徴を示す兆候にほかならない.
以上に述べたように,氷体の性質を明らかにするために,平衡線高度との関係で区分・分類することは重要であるが,福井他(文献4)が「今回観測した3つの多年性雪渓(氷河)の中流部付近に平衡線が存在すると仮定した場合,現在の日本の中部山岳地域では,降雪量の大幅な増加に伴って,太平洋側から日本海側に向かって平衡線高度が1800m以上も低下している可能性がある」と述べているのは理解に苦しむ.もしそうなら,中部山岳地域の3000m級の山頂や稜線は平衡線高度以上になり,ヒマラヤなどで観察されるような連続した本格的な氷河が中部山岳地域に分布することになってしまうからである.そのようなことは,ない.福井他(文献4)は「多年性雪渓(氷河)の中流部付近に平衡線が存在する」と仮定したが,その仮定を証明することは極めて重要で,そのためは平衡線高度の定義である「The equilibrium-line altitude (ELA) marks the area or zone on a glacier separating the accumulation zone from the ablation zone and represents where annual accumulation and ablation are equal.」(Encyclopedia of Snow, Ice and Glaciers, 2011 Edition)を明らかにしなくてはならない.また,「降雪量の大幅な増加」と指摘しているが,剣岳周辺の急峻な地形から見れば,当然,雪崩などによる涵養を重要視しなくてはならないであろう.中部山岳地域の3000m級の山頂や稜線地域は平衡線高度以下である(文献11)と考えられることから,福井他(文献4)が観測した立山「御前沢氷河」などの氷体は平衡線高度以下の急峻な谷地形の中に分布する雪渓であるとみなされるので,ネパール・ヒマラヤの氷河群の観点からみると,平衡線高度以上の(A)タイプの氷体や1995年以前のギャジョ氷河のような平衡線高度が氷体中に分布する(B)タイプではありえないとともに,さりとて岩石氷河のような「active」な(D)タイプの氷体でもないとすると,土屋さんの鳥海山「貝形小氷河」と同様に,降雪や雪崩などによって涵養された「inactive」な(C)タイプの氷体である,とみなせる.
そもそも,「active」な氷体とは,せん断応力による動的環境下で氷体内部の変形を伴って流動する氷体であり,また「inactive」な氷体とは,雪渓のように,せん断応力による氷体の内部変形がほとんどないが,雪食地形に見られるように,雪渓全体が底面滑りで移動し,底面の地形表面を浸食する場合があるので,氷体表面の位置が移動するのを測定するだけでは,せん断応力による動的環境下で氷体内部の変形を伴って流動する氷体かどうか,つまり本来の氷河の流動様式であるかどうかを明らかにすることができないのは言うまでもない.というのは,「三ノ窓雪渓」などにクレバスがあると報告されている(文献4)が,氷体の割れ目の構造に注目すると,氷河の上・下流域の流動様式の違いを反映して,上流域では引張応力でできる雪渓特有の割れ目(流動方向に直角なベルクシュルンド)が,中・下流域ではアイス・フォール地形がないとすると,氷河流動による側壁への圧縮応力で形成される割れ目(流動方向に平行なクレバス)が形成される違いがあるので,福井他(2012)が述べているクレバスは雪渓特有の流動様式を示すベルクシュルンドであることを指摘しておきたい(付記1も参照).ただし,氷河がアイス・フォールを通過する場合や棚氷の場合は流動方向に直行するクレバスが形成される.

    

(左写真)文献3のP7.氷の互層構造(上)に木の枝(右下)が介在する(2014/10/10)
(右写真)文献3のP8. 結晶(上は御前沢雪渓,下右はギャジョ氷河のもの)と気泡形(下左は御前沢雪渓のもの)
さて,福井他(2012)がとなえる「御前沢氷河」の氷体底部の氷構造の特徴であるが,まず,透明な氷と気泡を多く含む氷との互層構造を観察したところ,ところどころに,比較的新しい新鮮な木の枝を含む汚れ層が介在している(P7の右下)ので,雪渓的な氷体が示す堆積構造だとまず判断できた.さらに,その汚れ層面に直交する氷試料の薄片を現場で作り,結晶学的な観点から気泡形と結晶形について偏光板を使って調べると,気泡形は円形で大きさは1~2mm,不規則に分布(P8の左下)し,ネパールのクンブ地域にあるギャジョ氷河で観測されたような氷河の流動方向にひき伸ばされた気泡構造(文献15)は認められなかったのである.また結晶形の特徴はというと,5mmほどの細粒の結晶が全体的に分布(P8の上)し,前記のギャジョ氷河で観測されたような氷河氷に特徴的な複雑な粒界を示すとともに,大きく成長した結晶(P8の右下)は認められなかった.さらに,氷河氷に特有な結晶(主軸)方位の定方位性(ファブリック・パターン;文献15)を概観するために偏光板を使って観察したところ,それは認めがたかった(P8の上)ことから,「御前沢氷河」の氷体構造は氷河流動のせん断応力による動的環境下で形成されたものではなく,雪渓の堆積作用の過程でザラメ雪が静的に氷化した氷体であると解釈できた.また,氷体の年代は介在する新鮮な木の枝からみても比較的新しい氷体であるので,福井他(2012)は「御前沢雪渓の下流部では水平方向の流動が観測されたので,御前沢雪渓も現存する氷河である」(文献11)と主張しているが,「氷体表面の位置が移動するのを測定するだけでは,せん断応力による動的環境下で氷体内部の変形を伴って流動する氷体かどうか,つまり本来の氷河の流動様式であることを明らかにすることができない」ことはすでに指摘したことに加えて,結晶学的な氷河構造の観点からも,立山「御前沢氷河」は雪渓である,と解釈できた.従って,少なくとも,福井他(2012)の「御前沢氷河説」にも,疑問を呈しておきたい.ただし,内蔵助雪渓下部の氷体(文献16)のようなバブル・フォリエーション構造を持つ「inactive」な化石氷体が御前沢雪渓にもあるとすれば,御前沢雪渓の下流域の底部付近に残されている可能性はあるであろう.

(4)鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」の考察と結語

以上のように,鳥海山「貝形小氷河」と立山「御前沢氷河」説に疑問を呈したのであるが,吉田さんの鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」(文献5)はどうであろうか.吉田さんの結論は「日本の氷体を持つ多年性雪渓で一定以上の規模ものはすべて雪渓であると同時に氷河であると認められるので,上記の一般的な考え方も考慮して,この種の雪渓を雪渓氷河と呼ぶことを提案する.しかし一方,これらの雪渓を単に氷河と呼ぶことは不適当と考える.例えば国土地理院の地形図などでは,“カクネ里雪渓”あるいは‶カクネ里雪渓氷河“と記載 されることが妥当であろう.」と述べているが,すでに述べたような氷体の流動様式と結晶学的な観点から雪渓と氷河は堆積岩と変成岩の違いがあるので,まず「すべて雪渓であると同時に氷河である」との指摘は理解に苦しむ.そもそも吉田さんが「これらの雪渓を単に氷河と呼ぶことは不適当」と述べているのは,氷河よりも雪渓の観点を強調しているように解釈できるが,前述したように,平衡線高度以上の氷河の涵養域は堆積作用が卓越する雪渓のような氷体であり,平衡線高度以下の消耗域では,せん断応力による氷体内部の変形を伴う流動様式がみられる氷体(文献10,15)といった氷河の上下流域の違いがあるので,前記の「すべて雪渓であると同時に氷河である」との表現を「上流域は雪渓であると同時に下流域は氷河である」との観点から内蔵助雪渓のように,「上部は雪渓で,下部は化石氷体」との観点で吉田さんが「雪渓氷河」という提案をしているのなら,理解することはできる.
さらに,鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」の場合でも,その上部に堆積した雪渓の下には,内蔵助雪渓下部のような「inactive」な氷体(文献16)があると思われるが,それがはたして,「inactive」な(C)タイプの化石氷体なのか,それとも「active」な(D)タイプの岩石氷河なのかは,ネパール・ヒマラヤの氷河群の観点から大変に興味あり,それを明らかにするためにも,前述したような氷河構造学や結晶学的な調査が吉田さんのカクネ里「雪渓氷河」についても望まれる.さすれば,「inactive」な(C)タイプならば内蔵助雪渓のような化石氷体なのか,または「active」な(D)タイプの岩石氷河(文献11)なのかが鮮明になるであろう.ネパール・ヒマラヤの氷河群の観点から考えると,吉田さんの鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」は平衡線高度以下に位置する(D)タイプ氷体の岩石氷河であるかどうかは興味のあるところであるが,そうでないとするならば,平衡線高度以下の(C)タイプの氷体である,と解釈できる.
さて最後に,「日本に氷河はある,のか」というこの報告の命題であるが,平衡線高度以下の日本の山地には,ネパール・ヒマラヤの氷河群を構成する(A)タイプと(B)タイプの氷体は架空の存在であるので,現実的には,氷河現象の縮小・衰退期に見られる(C)タイプや,あるいは(D)タイプの氷体ならば存在できる可能性がある,と考えている.ただし,平衡線高度以下の(D)タイプのような岩石氷河の存在に関しては,私たちが「inactive」な氷体と解釈した(文献16)内蔵助雪渓であるが,国土地理院(文献17)によれば,日本で唯一の活動的岩石氷河として内蔵助カールの岩石氷河の存在が挙げられているのである.はたして,内蔵助雪渓は「active」な氷体なのだろうか(その他の岩石氷河としては,非活動型岩石氷河として高山市中岳の岩石氷河と化石岩石氷河として静岡市三峰岳南カールの岩石氷河もあげられている).
この報告の命題「日本に氷河はある,のか」の結論として存在が明白なのは,吉田他(1983)が報告する内蔵助雪渓のような「inactive」な(C)タイプの化石氷体(文献16)で,日本の氷河問題に一石を投じている土屋(2000)の鳥海山「貝形小氷河」,福井他(2012)の立山「御前沢氷河」と吉田(2019,2020)の鹿島槍ヶ岳「カクネ里雪渓氷河」の各氷体はおしなべて本来の氷河である必要条件を十分には備えていない,と解釈できた.

(5)付記1

雪渓の末端地形について
  

左図は福井他 (2012)の資料の一部であるが,福井さんが富山市民大学で行った時の講演資料で,個人的に頂いたものである.福井さんが報告しているクレバス(文献4)については流動様式との関係ですでに述べた通り,流動報告に直行する割れ目(左図の右)は雪渓のベルクシュルンドであると解釈しているが,ここでは三ノ窓雪渓の末端部の地形に注目してみたい.右図の写真(文献18)でもやや不鮮明であるが,おそらく,三ノ窓雪渓の末端部にも雪渓特有のスノー・ブリッジ地形が形成されていることが読み取れる.ところが,本来の谷氷河の末端はGlacier Tongueとも呼ばれているように,舌状の形態をしており,せん断応力による氷体内部の継続的な流動で前進するとともに,融解作用で末端位置が後退する両作用のバランスの結果(文献7),氷河末端部の前進・後退や氷河末端特有の舌状地形が形成されるが,雪渓特有のスノー・ブリッジの地形があると思われる三ノ窓雪渓の末端部の地形はGlacier Tongueのような氷河末端特有の末端地形とは異なることも,三ノ窓雪渓は氷河ではなく,雪渓であることを示唆していると思われる.

(6)付記2

樋口敬二先生の卒寿記念誌に投稿した内容(文献3)にかつて目を通してくれた日本雪氷学会副会長を務めた(株)MTS雪氷研究所代表の松田益義さんが本稿への感想を寄せてくれた.その内容が氷河問題とその将来研究の課題について述べているので,下記に原文のまま添付するとともに,松田さんが指摘する気候変動と雪氷環境の変動のテーマとも関係する最近の報告資料,伏見(2020)(文献19)をあげておく.

氷河を特徴づける最も本質的な要素はかねてよりequilibrium lineの存在と思ってきました。equilibrium lineがあることで、氷河は、概念上は涵養域と消耗域の2区域に分かれ、両域は流動することで連続氷体でありながら異なる内部構造を構成しつつ長期存続が可能な氷体と思います。equilibrium lineの存在を証明しえない段階で、立山「御前沢氷河」と呼ぶことは、氷河研究の先人に対して礼を失するのではと思ってきました。
伏見さんは、「内蔵助雪渓下部の氷体(文献16)のようなバブル・フォリエーション構造を持つ「inactive」な化石氷体が御前沢雪渓にもあるとすれば,御前沢雪渓の下流域の底部付近に残されている可能性はあるであろう.」と好意的にも書かれてますが、その可能性に対して僕は悲観的です。
近々やがては消滅してしまうであろう氷体の微かな氷河性の痕跡立証に費やすエネルギーは、もっと未来に通じる大きなテーマ、例えば、日本山岳における気候変動と雪氷環境の変動、といった問題に取り組む中で吸収してゆく方が建設的のように感じてしまいます。 地質学は歴史科学でもありますが、人類生存の基盤である地球の未来を展望する最も大事な科学と思います。

(7)付記3

上記の松田益義さんから、雪渓と氷河を区別する基本的な特徴として「涵養と消耗の二つの氷域を形成するに足る流動量と空間的広がりをもった氷体を氷河と定義し,多年性雪渓と区別する」との観点などを提示した下記の情報提供があり、とくに「気候変動にともなう大雪山での氷河の形成について」の論文は本報告の「日本に氷河はある、のか」にとっても関係すると考えたので、原文のまま、付記3として紹介する。

伏見論文中に引用された私に関する部分の内容は、50年も前に低温研の学生だった一夏に行った大雪山の雪渓調査で得た知見に基づくものです。その時の調査成果は下記3論文にまとめ「雪氷」に投稿しましたが、ほとんど注目されることなく半世紀が過ぎました。
大 雪 山 雪 壁 雪渓 に お ける質 量 収 支 の研 究
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seppyo1941/35/4/35_4_180/_pdf
大雪山系, 多年性雪渓の構造
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seppyo1941/38/3/38_3_115/_pdf
気候変動 に ともなう大雪 山での氷河の形成について
https://www.jstage.jst.go.jp/article/seppyo1941/37/1/37_1_1/_pdf
僕は50年前からほとんど進歩してません。今回伏見さんは多年性雪渓について、特にその氷河との関係性について当時から僕が言いたかったことの全てを、はるかに深いレベルで丹念に記述、かつ実証的な諭評をしてくださいました。

(8)文献

1)土屋巖 (2000) 「日本の万年雪-月山・鳥海山の雪氷現象1971~1998に関連して-」. 古今書院.
2)伏見碩二 (2000) 書評 土屋巖著「日本の万年雪-月山・鳥海山の雪氷現象1971~1998に関連して-」.雪氷, 62巻4号, 412-413.
3)伏見碩二 (2017) サロンからヒマラヤへの想い-フィールド・ワーク雑感-.「敬雪時代―樋口敬二先生卒寿記念文集―」,日本の氷河問題に関連して-鳥海山「貝形小氷河」説と立山「御前沢氷河」説-第4章.
4)福井幸太郎他 (2012) 飛騨山脈,立山・剱山域の3つの多年性雪渓の氷厚と流動―日本に現存する氷河について.雪氷,74,213-222.
5)吉田勝 (2019,2020) 日本の氷河と世界の氷河―飛騨山脈カクネ里氷河見学会から
(地学教育と科学運動83巻(2019年11月)56-62頁及び84巻(2020年9月発行予定)
6) Higuchi K. et al. (1978) Preliminary Report on Glacier Inventory in the Dudh Kosi Region. Seppyou, 40, Special Issue, 78-83.
7) Fushimi H. et al, (1979)Recent Fluctuations of Glaciers in the Eastern Part of Nepal Himalayas. 1979, Sea Level, Ice, and Climatic Change, IAHS, 131, 21-29.
8)Fushimi H. et al, (1980)Fluctuations of Glaciers from 1970 to 1978 in the Khumbu Himal, East Nepal. Seppyou, 41, Special Issue, 71-81.
9)伏見碩二他 (1997) ヒマラヤ寒冷圏自然現象群集の将来像-生態学的氷河学と自然史学の視点から-.地学雑誌,106,2,280-285.
10) Fushimi H. (1977) Structural Studies of Glaciers in the Khumbu Region. 1977, Seppyou, 39, Special Issue, 30-39.
11)今西錦司 (1969) 日本山岳研究.中央公論社,408p.
12)若浜五郎 (1978) 氷河の科学. 日本放送協会,236p.
13)樋口敬二(1982)氷河への旅. 新潮社, 265p.
14)伏見碩二 (2014) 立山・御前沢調査

5. 立山・御前沢調査


15) Tanaka H. (1972)On Preferred Orientation of Glacier and Experimentally Deformed Ice. 1972, Journal of Geological Society of Japan, 78, 12 659-675.
16)吉田稔他 (1983) 北アルプス,内蔵助雪渓の氷体部に存在する縦穴の分布と形状. 「雪氷」日本雪氷学会, 45, 1, 25-32.
17)国土地理院 氷河・周氷河作用による地形.
https://www.gsi.go.jp/kikaku/tenkei_hyoga.html
18)福井幸太郎他(2014)立山連峰の氷河と万年雪.とやまと自然,No.148.
19)伏見碩二(2020)ネパール・ヒマラヤの環境変化.山岳文化,21,8-34.